
【作品分析】TVアニメ『逃げ上手の若君』のココがおもしろい!!
こんにちは、小清水志織です。
お盆休みは割とゆっくりできていたのですが、8月後半から公私ともどもやるべき仕事が増えてきて、相変わらずネズミのように走り回る日々でございます。
そんな忙しい毎日でも、おもしろいアニメ作品を見つけ、探求することはやめません(執念)。というわけで、今回はまさにいま話題の『逃げ上手の若君』を取り上げたいと思います!
〈おことわり〉以下の文章は2024年7月から放送中のTVアニメ版のみに基づく感想・分析であり、小清水個人の見解にすぎませんので、あらかじめご了承ください。
原作は、松井優征氏による「週刊少年ジャンプ」にて連載中の漫画作品。監督を山﨑雄太氏、シリーズ構成を冨田頼子氏、キャラクターデザイン・総作画監督を西谷泰史氏が務め、Clover Works が制作しています。
鎌倉幕府の正統後継者・北条時行は、いちど逃げたら誰も捕まえることが困難な「逃げ上手」の腕白少年。しかし、幸福に思えた彼の人生は、1333(元弘3)年、忠臣であるはずの足利高氏(後の尊氏)の謀反により一変します。高氏は後醍醐天皇と手を結び六波羅探題を攻略、鎌倉はわずか二十四日で滅ぼされてしまうのでした。
北条一門や家臣郎党を皆殺しにされた時行でしたが、そこに諏訪大社の当主・諏訪頼重と娘の雫が時行をかくまうべく現れます。二人の手引きと、自身の「逃げ上手」の才能によって窮地を脱した時行は、亡命先の諏訪大社を拠点に新たな仲間=郎党を集めながら、故郷の鎌倉を取りもどす戦いに身を投じる……というストーリーです。
以下、簡潔に章立てをしながら、『逃げ若』のどういったところが魅力的なのか、分析していこうと思います。
1「北条時行」という人選/イメージ転換の妙
『逃げ若』の特に優れた点は、北条時行という歴史上の「敗者」に、現代的な意味での「英雄」として新しい光を当てたことです。
時行は「中先代の乱」の中心人物として教科書では一行ほど登場します。正直に申し上げますと「鎌倉の復権を狙って北条の遺児が反乱を起こしたけど鎮圧されちゃった、残念な出来事」というイメージでした。いや、時行には申し訳ないのですが、多くの日本人はあまり記憶すらしていない人物ではないでしょうか。
しかし調べてみると、なんと反乱は一度で終わらず、生涯で三度も鎌倉を奪回し、少なくとも二度は(仲間は戦死しているにもかかわらず)時行自身は生き延びた、まさに「逃げ上手の若君」なのでした。これには尊氏も手を焼いたことでしょう。
「絶望の底のそのまた底、死の淵の淵に立たされてこそ、あなた様の中の英雄は輝く――」
「高氏は殺すことで英雄となり、あなた様は生きることで英雄となる。二人は、対極の運命の英雄なのです」
(第一話)
この諏訪頼重の言葉によって、視聴者は予想だにしなかった対立の構図を目撃します。善VS悪の構図ではなく、「戦って、殺す」尊氏VS「逃げて、生きる」時行という構図です。それと同時に、時行の後者のスタンスは、「戦って、死ぬ」ことが当然視される武士の有り様を真っ向からひっくり返すものでもありました。
こうした人物が主人公に選ばれたのは、もちろん原作者の優れたセンスによるところが大きいと思われますが、それだけではなく、現代という時代の潮流が、時行をして主人公に「昇格させた」のではないでしょうか。
2 「逃げるが勝ち」という価値観
えてして物語の主人公は、戦闘を厭わず強大な敵に立ち向かい、困難を克服してこそ主人公たりえるはずです。しかし「逃げ上手」の時行が主人公として成立している理由が、オープニング曲「プランA」にもっとも明瞭かつ端的に表されています。
TVアニメ『逃げ上手の若君』オープニング曲|DISH//「プランA」
〈歌詞抜粋〉
プランAだろ 迷いないだろ 生きてこそだろ
笑われても切なくても良いはずだろ
プランA
プランA
逃げが勝ちなのさ
プランA
プランA
逃げて勝ちなのさ
「DISH//」の北村匠海氏による詞には、場合によっては「逃げ」が最善なときがあり、何よりも「生きてこそだろ」と、人間の生命を尊重するメッセージが込められています。つまり、「逃げ」は「敗北」を意味せず、あくまでも「生存のための逃避」であるという価値観です。
そして(これを本稿で書いてもよいか、非常に迷ったのですが……)、本作について色々と思案をめぐらせるうち、私たち現代の日本人にとって「生存のための逃避」が、非常に身近で、かつ喫緊の問題であることに思い至りました。それは「災害からの避難」です。緊急地震速報、大雨や台風などの速報、避難訓練などを挙げるまでもなく、こうした災害対策は、何よりも人命を優先し、避難を促すことを前提にしたものです。頻発する災害(脅威)に対して「まずは逃げて、身の安全を確保すべき」という価値観が正しく社会に定着してきたのではないか。それゆえ、時代は大きく異なるものの、時行のような「逃げ上手」が主人公として受容されたのではないかと、私は考えています。
ただし、アニメ作品を現代社会と即座に重ねることは危険でもありますから、現時点ではあくまで個人的な見解に留めたいと思います。
そして、上記のことと相反するようですが、物語の時行は逃げているばかりでないことも、大きな魅力のひとつです。
「私にもはっきり未来が見えた。あの人はこの先もずっと、心に決めた大事なことからは、決して逃げない」
(第四話)
弓の名手・小笠原貞宗から無理難題を吹っ掛けられたとき、時行は頼重の勧めに応じて犬追物の勝負を引き受けます。その後ろ姿を見ながら、頼重の娘・雫が言ったセリフです。実は、時行は本編をとおして、尊氏に勝つ目的(そのための試練・鍛錬)からは決して逃げない姿勢が貫かれているのです。この点、やはり時行は「英雄」なのですね。
3「郎党」=王道展開!?
「(前略)優れた者を見つけたらどんどん誘い、郎党を増やしていくのです! 未来では、こういうのを『王道展開』というそうですぞ~!!」
(第三話)
頼重がなぜ未来のワードを知ってるかはさておき(笑)、「郎党」の概念がうまく機能しているのも面白いです。郎党とは、有力武将と主従関係を結び命懸けで戦う配下のこと(第三話、頼重のセリフを参照)。バトル系アニメによくある、仲間を増やして物語を進めるプロセスを「郎党」を集めるプロセスと置き換えることで、アニメ作品を違和感なく歴史ものの文脈に落とし込んでいます。

ほんの試みに、現時点での主要キャラクター表を作成したのが表1です。縦軸には、物語における主な役割として指揮官・武闘・呪術・参謀を挙げました。また横軸には、性格を一言で表すために、便宜上〈熱〉と〈冷〉というワードを使用しています。この表でいう〈熱〉とは熱血・好戦・剛腕・多弁など、〈冷〉とは冷静・防戦・非力・寡黙などの性格や特徴を総括しています。
もちろん、キャラクターの性格を端的に表すことなど不可能(むしろ心の襞こそがおもしろかったりする)ですが、あえてこのように見てみると、バランスよくキャラクターが配置されていることに気づきます。弧次郎と亜也子はともに好戦的なキャラクターですが、性別が分かれており、時行への慕い方も異なっているように思われます。
なお、卓越した二刀流の使い手である吹雪を〈冷〉とするか迷いましたが、熱いハートをもちつつ冷静に状況を判断し、また作戦立案にも長けている(第七話)ことから、今回このようにいたしました。
3 「異形」の敵キャラ
回を進めるごとに、癖の強い敵キャラが次々と登場します。ある身体能力が不気味なほど発達した「異形」の者たちです。

敵キャラは押しなべて戦闘に長けた者たちであり、時行たちにとっての試練となる存在です。五大院宗繁は剣術、小笠原貞宗は弓術、市河助房は貞宗の補佐、瘴奸は悪党として戦闘・掠奪の全般、そして尊氏は鎌倉討伐の中心人物。彼らの現世での業を体現するような身体的特徴は、史実というよりも演出上の特徴としてとらえるべきでしょうが、それらはいずれも「異形」(通常とは異なった姿をしている)の相を表しています。
後醍醐天皇の治世に「異形」の者たちが活躍したという説があるそうですが、第十話で南北朝時代特有の空気を現したナレーションが挿入されています。
「この時代は、人と不思議が共存していた最後の時代だった。
『妖怪を見たら大地震が起きた』『天狗が町中を飛び回った』。そんな話が公的な文書に事実扱いで記されている。
(中略)この当時、祈ることは現実的な公共事業であり、莫大な予算が注ぎ込まれていた」
(第十話)
人と不思議が共存する……目に見えるものと見えないものが隣合せに存在する社会では、人智を超えた能力や、そうした存在と交わる能力をもつものが畏怖や崇敬の対象となりました。私が大学の卒論でテーマとした琵琶法師もその一つです(ちなみに、琵琶法師たちが自分たちの興行権を確保すべく団結した「座」は、南北朝時代にその原型がみられます)。人智を超えた能力という意味では、やはり足利尊氏が底知れぬ能力(妖術とでもいうべき恐るべき力)を秘めていることが、作品のそこかしこで確認できます。
こうした「異形」の者たちと対抗する時行が、実は「逃げ上手」の体裁をとった「生存本能の怪物(第一話)」であることが、作品に歴史的な深みとアニメ作品らしい魅力を与えています。
4 おわりに
以上、現時点でのTVシリーズをもとに『逃げ上手の若君』の魅力について語ってきました。長々と書いてしまいましたが、私の見解は、作品全体のほんの一部分に過ぎません。作品の魅力を感じる最良の方法は、当然ながら自分の五感をフルに使って本編を鑑賞することです。もし機会があれば、ぜひ今からでもチェックしてみてくださいね。
そして、私は来週からも、いちファンとしてこの作品を楽しんでいこうと思います! がんばれ、逃若党!
それでは、最後までご覧くださり、ありがとうございました。
また来週、お会いしましょう!
小清水志織
『逃げ上手の若君』
©松井優征/集英社・逃げ上手の若君製作委員会