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そして誰も来なくなった File 2

ダイニングのどこから響いているのであろうか。周囲に視線を巡らせてもスピーカーらしきものは見当たらない。天井の四隅を眺めてみたけれど、やはり音響装置の類は設置されていないようだ。

孤島に集められた、僕を含めて十名の招待客は、突然流れ出した「声」をじっと聴いている。「声」は壊れたカセットテープのような、ノイズが混じった途切れ途切れの言葉を乗せて、淡々とした調子でダイニングに押し広がっていく。

『浜内エリカ』

「声」が一人の名前を呼んだとき、食事を前に座っている女性がガタンと荒々しく立ち上がった。

『平成十五年、あなたは忘れられない生徒を受け持ち、忘れられない後悔をした』

「ちょっと、いきなり何よ!」

四十代半ばの目鼻立ちのよい女性が、眉間に皴を寄せて大股で歩き出す。「声」の出所が分かるわけもなく、闇雲にダイニングを彷徨ってしまっているのだが、「浜内エリカ」であろう人物は真剣に憤りの念を露わにしていた。

「どうして知っているのよ! 教員を辞めて十年以上も経つのよ!」

悲痛な叫び声は大きな天井に虚しく反響し、霧消していく。誰もが言葉を失ってしまっていることに気づいた浜内さんは、はっと我に返って、長い睫毛を床に向けた。

「あら…。気にしないで。過ぎた話ですから」

美里が何か言いたげに唇を開いたとき、第二の「声」がした。

『今藤はじめ』

「声」がしゃべりはじめても、会場の誰も微動だにしない。今しがたの浜内さんの失態があるので、同じように動揺しては自身の沽券に関わる。ゆえに、「今藤はじめ」という人物は、名誉を傷つけないよう自己防衛しているのだろうかと思われた。

『平成二十五年。あなたは妻を妻としてのみ扱い、そして捨てた』

肩でゴールデンハムスターを遊ばせている大柄な男性が、少しだけ指先の動きを止めて空を睨んだ。それに気づいた僕が彼を見たので、全員の視線が彼に集中する。おやおや、という風に両肩をすくめてみせた今藤さんが弁解するように言った。

「まったく、ここは頭の回転の速い方が多そうで窮屈ですね。謎のホストは『妻を捨てた』なんて言ってますがね、ただのでっち上げですからご安心くださいよ」

周囲の人間は、彼の言葉が正しいかどうか、不審そうな表情を浮かべている。僕も経験上、平気で配偶者を捨てるような男はたとえ捨てたとしても自覚が伴わないだろうし、いちいち感傷的になったりなどしないだろうと思っている。なので、おそらく彼は本当に妻を捨てたのだろう。しかし、現時点では判断材料が少ないからそれ以上の追及を控えた。夫婦の問題ほど他人が首を突っ込んでいけないものはない。隣に立っている美里が僕の肘を小突いて、「なんとなくカンジ悪い」というメッセージを眼で訴えてきた。

『ギルバート・ロス』

第三の「声」に対して、呼ばれた当人は潔く礼をした。

「今度は私の番ですかな」

前の二人と異なり、頭の天辺からつま先まで泰然と構えている。執事という長年の職業柄がそうさせるのだろうが、どんな内容が告げられても問題ないといった体で、手のひらの甲を重ねて前に組んでいる。

『令和元年、あなたは若いころから付き従った主人に対して、たった一つの過ちを犯した』

ギルバートさんは、ほうと落ち着いた息を吐くと、細い眼をいっそう細く尖らせて話した。

「過ち…なるほど。おもしろいですな。テーラー様の意図が掴みかねておりますが、まあよいでしょう。過ちがどんなものか、私の方からお尋ねしたいですな」

挑戦状とも受け取れる言葉に、謎の「声」は応じなかった。ガタガタと外の空気が振動したと思った矢先、ゴオと吹いた強風が二階の窓を激しく押し付けた。

「嵐、かしら。ますますミステリっぽくなってきたわね」

スマホで天気予報を調べたマーガレットさんが、僕と美里に大雨強風警報の告知を示してきた。美里はやや怖気づいて僕の顔を見た。僕も諦めて首をすくめてみせた。

「孤島に十人の人間が集められて、天候の悪化によって脱出困難になり、おまけにそれぞれの過去を暴き立てる声が響きわたる…。一体、ノイ・テーラーは何をしたいのでしょうね。楽しみだわ」

「楽しくないですよ。勘弁してほしいです! 今どき、悪趣味にもほどがあるわ」

美里の感想ももっともだが、僕はミステリ慣れしているせいか、あまり恐怖を感じなかった。名作ミステリの設定をほとんど踏襲してまで、テーラーがやろうとしていることは何なのか。考えてみても分からなかった。ミステリに親しんだ人ならば、十人のうちの誰かが犯人かもしれないと疑い始めるだろうし、過去の暴露自体が舞台装置の一つであると見抜いてしまうだろう。要するにテーラーの演出は子ども騙しもいいところなのである。もちろん、誰かの命が危険に晒されるのであれば話は別なのだが。

『マーガレット・K・水谷』

「あら、お次は私の過去を暴く気?」

不敵に笑うマーガレットさんの表情は、一度修羅場を潜り抜けた者だけが見せる底知れぬ威容を感じさせた。日本とアメリカのハーフだと紹介していたけれど、何か関係しているのだろうか。深紅のドレスとブロンズの髪が重なりあい、その様子が紅い獅子のごとき猛々しさを醸し出している。

『平成二十五年、あなたは、かつて過去を過去のまま封印したことがある』

ドレスの裾を掴む彼女の瞳がわずかに揺れた。孤島へ来て初めてみる彼女の「とまどい」であった。とまどいは瞼に波及し、睫毛が震え、豊かな髪がわずかに上下した。だが、ほんの一呼吸する間に、彼女の威容は元に戻っていた。

「そう…いいわ。後で倍にして返してあげるから、覚悟しなさい」

彼女の言葉に一同がどっと笑った。もちろんエンターテインメントの笑いではないし、蔑視や嘲りの笑いでもないのだけれど、この場で初めて「声」の主に反抗してみせた彼女の心意気を称賛しているかのように聞こえた。ないしは、「声」に歯向かうなど夢物語だと釘をさす意味をもった笑いも混じっていたかもしれない。

マーガレットさんの後も、延々と招待客の過去の一端が明かされ続けた。暴露の方法は一貫しており、まず名前が読み上げられ、年号が告げられ、その年にあった過去の記憶を順に曝け出していくという流れだ。過去の話が具体的に語られることはなく、必ずぼんやりした、婉曲的な表現である場合がすべてであった。

八人目の暴露が終わった後、ついに僕と美里だけが残った。どちらになるか顔を見合わせたが、九人目は美里であった。

『梶原美里』

美里は謎の声にすっかり怖がってしまい、膝を抱えるようにフロアに蹲っている。自身の名前が呼ばれたときも、組んでいた腕から二センチばかりくしゃくしゃになった顔を上げて、両目を伏せた。僕は美里の肩を叩くと言った。

「心配すんな。どんな過去でも構わねえから」

僕にしては大サービスで格好つけたつもりだったが、美里はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

『平成三十一年。あなたは最も大切な人の前で…』

バチン!

「声」が最後まで言い終わらないうちに、突然、ダイニングの電灯がすべてシャットアウトされた。目の前が真っ暗になり、美里の叫び声が聞こえた。不測の事態に驚き、暗闇でうごめく人影の波を感じながら、僕はひたすら美里の在処を手探りで追った。

                             (つづく)



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