好きだった人とそれ以外の「恋」

 わたしは女の子のことも男の子のことも好きになる、ほぼ等しく。「好き」の差については未だにわかっていないし、このことを性的嗜好というならそうなのかもしれないな、と思う。
 たった一つのちがいは今まで私がそれを「恋」と呼んだか、どうか。今ほど性的嗜好について自分が情報を持っていたわけでもなく、また公な話でもなかったので、わたしは周りの友人同様に「男の子を好きになったら恋」と認識した。好きな男の子ができた、と思いながらもっと好きな女の子と一緒に下校したりした。
 けれど、「恋」と認めて大事に貼ったそのラベルは想い以上に強く貼りついているものだと気づいた。
 誰よりも自分が仲良しと嫉妬して仕方がなかった大好きな女の子を家の方向が反対なのにバイバイしたくなくて家まで送った日、何を話したか覚えていないし、どういう気持ちだったかも覚えていない。はじめて一緒にプリクラを撮ったときの記憶もない。どんなところが好きだったさえも。
 なのに、好きな人が欲しいなあという願望で好きになった男の子に、数学の授業中「三角形ACEってエースだね」とつぶやかれて何が何だかわからなかったこと、放課後の教室で先生とその男の子の友達と4人で喋ってるときにばんそうこうを無理やり渡してちょっと恥ずかしかったこと、今でもはっきり覚えている。はじめて2人でするデートがわたしの近所のイオンで、その日私は午前中に部活の練習試合があったから汗臭くないか気にしたことも、試合中に髪に癖がつかないように気を付けてヘルメットをかぶったことも、そのイオンで部活の同期に偶然遭遇してしまったことも。
 野球部の補欠の男の子を好きになったこともある。エースの選手がバッティング練習でかっ飛ばしたボールをグラウンドの端で練習しているソフトボール部の私が拾い、ボール拾いの彼に投げる時、暴投しないか、もししたら笑ってくれるかなと、頭の中で一通りシュミレーションしてからどっちつかずのちょっとコントロールの悪い球を投げてしまったこと。バレンタインのチョコを渡すために呼び出したのにずっと渡せなくて何時間も二人で話しながら歩いたことも。

 何をどれだけ好きかなんてちっぽけで結局は「恋」というラベルのもとに小さくうずくまるしかないんだな、と思ってしまうような結果。
 なにが本当でなにが嘘かをだましだまし生活していたあの時。
 「恋」ってすごいなあと今は敢えて思ってみることにする。敢えてね。
 何かを結論付けるのはそう簡単なことじゃないのは、十分心得ているので。

 こんなことを、「人生でいちばん好き」と思った女の子が別の女の子に好意を向けていることを知り、目をそらすように交際した男の子が通っていたらしい塾の見えるマクドナルドで書いている。

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