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浅見風君 能登のお話メモ
2024.11.23
「暮れてきたので、薪をくべてくれ」
浅見風君の能登お話メモ
はかりうりの店lagiにて
****
銭湯を拠点に支援に入った
薪でわかす風呂
災害ゴミに出す前に廃材を銭湯に持ち込む
ボランティアが切り出して薪にする
災害ゴミを持ち込むのと同時に
相談ごとも持ち込まれる
受けているのは銭湯の常連たち
銭湯は自衛隊よりも先に風呂を沸かした
寒い時期だったので人の生活の支えになっていた
あさいち通り200棟以上 ほぼ全て焼けた
翌朝まで焼け続けた
災害ゴミを薪に切り出す作業
5月は手作業
9月はチェーンソーを持ったボランティアが出入りするようになっていた
湾は隆起した
4メートル隆起したあとに津波がきたので、
自然の防波堤になった
反対側の湾は沈下している
8月、9月
ボランティアは1日30人
社会福祉協議会が手配していたが
人手余るようになっていた
解体業者待ちで、1月と変わらない風景だった
能登は祭りのさかんな地域
大小200くらいの祭がある
夏には祭りができて復興の兆しを感じていた
その直後に豪雨がきた
刈り取り直前のたんぼに土砂がはいった
ビニールハウスにも
あと1,2週間で刈り取りだったのに
震災後やっと作った米が
10日連続で泥かきの作業をした
体力もきついが
精神的にもきつい
終わりが見えない
家の上
床下まで
家の裏、重機が入れないところを手作業したが
また雨がふれば泥が押し寄せてくる
かいた泥は斜面に捨てたり
袋に入れて土止めにしたり
唯一のスーパー
震災後、また品物が並ぶようになったが
そこにも泥が入った
募金から買ってもっていった5万円分くらいの果物はすぐなくなった
たとえ不安な人が多めにもっていって
ためこんでいても それでいい
ためこむことができるのは必要なこと
一緒に行ったかおりさんの話
泥かきのつもりで行ったが
また大雨が来る予報だったので
さつまいもを収穫を手伝った
ついている泥は粘土質で
洗っても落ちない
この泥だから
泥かきがどれほど大変なことか
想像した
風くんの話に戻る
粘土質、重くて硬い土
スコップから離れない
手で剥がして取る
泥かきは果てしない
意味があるのか葛藤する
重機のパワーを感じる
自衛隊はほとんど入っていなかった
大谷は孤立集落
そこの道をあける活動もボランティアでやった
先に人家があるから道をあけようとした
社会福祉協議会の職員も
半分以上は被災している
道路などの道あけも進まないので
石川県に質問状を出した
自衛隊は来ないのかと
即効性と公共性を考えて検討していると
県からの回答
自分たちは見捨てられているのではと感じたと
崖の多い地域
ポリタンク給水車がきていても
運べない高齢者のひとがいる
風呂洗濯洗い物するには
いちにち1人500リットル必要
水タンクを家の横に設置しないといけない
タンクから水を押し出す強力ポンプの設置
水道復旧のめどはたたず
冬を越すかもしれないと
これから寒くなる 雪もふる
ポンプのホースが破裂してしまうと使えなくなる
あと1ヶ月で水道が戻らなかったら
大谷を出るしかないという
会場からの質問
今危機的なことは何なのか?
食料は届いている
物資も届いている
足りていないのは泥かきの人手と給水
泥かきをどこまでやるかという話もある
1,2ヶ月たつと家の基礎が腐る
冬をこえて床下で泥が凍ったら
どうなるかわからない
30人の集落に何億もかけて復旧させるのでなく
ゆるやかにインフラが断たれて
移住をせまられることになるのでは
通いながら答えは出ない
ひとりでできる泥かきには
もどかしい気持ちもある
今できることは伝えることかと
お年寄りは案外普通に暮らしている
井戸水を汲む、野菜をとって食べる
昔はこうだったよと
ボランティアに行くと
お茶とお菓子を出してくれる
大谷町は過疎
これからどうなるかわからない
奥能登
金沢までも遠い
伝える活動にシフトしていこうと
1月も墨田区の銭湯での展示が決まっている
また能登にいく
日中は泥かきをして
朝晩で人の話をきいてまわり
東京に戻ってきて届ける
一緒に能登に行った人からの発言
大谷地区は厳しい課題も抱えているが
隆起したところをジオパークにしようとか
お祭りもたくさんある楽しい地域
海でも遊べる
この地域で暮らしたいと思っている人たちはいる
泥かきをしたら、戻りたいと思っている人が戻れる
終わりに向かっているのではなく
これから暮らしていきたい土地をつくっていく
そういう思いを持った人がいることも
知ってほしい
風君の話に戻る
ある意味の開き直りのような思いでいる人もいる
井戸を使うとか
自治でやっていこうという住民の動きも
やっと通った道路が
大雨でダメになり、やるせない
会場から福島や原発の話が出る
能登にも原発予定地だった地域があった
福島と同じ規模の事故が起きていたら
会場から質問
もともと奥能登はどんな地域?
奥能登芸術祭というのがあった
参加作家がしばらく滞在して作品をつくる
滞在したアーティストは能登が好きになる
その繋がりがボランティアにつながっている
風君もそれがきっかけで能登に出会った
最果てであり最先端
アートを起点に町おこしをするという話も
会場の質問
現地の人からこうしてほしいと
リクエストはあるのか?
日用品でなくなるものではなく
人を連れてきてほしいと
忘れられるのが怖い
全国版の誌面に載らなくなったり
風君がボランティアに入ってから
その繋がりで30人弱の人が同行した
会場の質問
現地どう向かうか?
金沢や能登空港から乗合バスがある
宿泊つきのボランティア拠点がある
風くんはは物資や工具や人を乗せるので車で行くことが多いが
次の予定は?
銭湯での展示1/5-30
墨田区の向島 電気湯
展示の内容は今まで関わってきた人の投稿型の内容にしようかと
ゆかりのある人の投稿をなげてもらったものを
まとめて展示する
12月に能登にまた行って
いろんな話を聞いて文章にしよう
泥かきもやろう
雪が降るまであと1ヶ月
フルタイムで働きながら金月を休みとって行ったボランティアのひとの話
力がないので泥かきできないと思っていたが
ご飯作りや銭湯の掃除など
できることはあるときいて能登に行った
行政に相談するのがはばかられるような相談事は銭湯にくる
泥は綺麗にしてもらったんだけど
震災でなくなった奥さんの骨壷が見つからない
みつけてほしい、という相談
かきだした泥の中から
亡くなった妻の着物が見つかって水で洗う
大切にする
3,4日行くだけでもできることはある
継続的に通いたいと思った
会場から
志賀町、門前町のひとたちは飛ばされてしまうという声もきいたことがある
風君より
土地に赴いて話を聞くことはは意味があると考えている