
八. 出会うということ
いい匂いが漂ってくる。
すでに陽は傾き、柔らかい西日があらゆる影を長く伸ばしている。
涼し気な風が吹き抜ける集落の細い道を抜け、ホールへと近づくと開け放たれたままの扉から、響き合う数え切れないほどの人の話し声や笑い声がひとつのかたまりとして漏れ出てくる。
あまりに賑やかで、これから本当に葬式が始まるのだろうか、と思わず首をかしげてしまった。
中に足を踏み入れると、円形のドーム状に建てられた木造のコミュニティホールの床は、土がこれでもかと思うほどに踏み固められている。円い壁に沿って、ぐるっと一周するようにベンチが取り付けられている。もうすでに、空いている場所を探すのが大変なほど多くの人で埋め尽くされていた。
「ここ座りなさいよ!あんた!ちょっと詰めて!」
座る場所を探してうろうろと歩き回っていると、リックの知り合いが声を掛けてくれて、ようやくぼくらは腰を下ろした。
それから彼女は言った。
「これでも人が減ったのよ。昔は人で溢れて、床に座る人もいて、いっぱいいっぱいだったんだから。寂しくなったものよ」
住む人が減っていくのは、どこの田舎も同じなのかもしれない。
ホールの奥、入り口から最も遠い一角に棺桶が置かれ、家族が周りを囲うように座っている。その前には、タバコやガムなどの小さなものが山積みにされている。隣に並べられたテーブルの上には、その村の人たちの持ち寄った食事と飲み物とデザートの大皿が常にところ狭しと並べられている。棺桶の中ではひとりの女性が深い眠りに———もう二度と目を覚ますことのない深い眠りについている。
「お腹すいただろ!なんか取ってきなよ!」
友人たちと話し始めたリックが気遣って声を掛けてくれる。
アリーとぼくは立ち上がり、紙皿を片手に載せて,並べられた大皿から食事を取り分ける。料理がたくさんありすぎて、これも美味しそうだよ!こっちはとった?などとアリーと話しながら、ついつい迷ってしまう。またおかわりすればいいだけなのに、もうこれ以上は無理、というくらい紙皿にこんもり盛ってぼくらは席に戻った。
続いて何人かが立ち上がり、食事やデザートを自分の皿に取り分けている。誰かがホールから出ていったと思ったら、別の人がホールに入ってくる。
この場の誰もが、決められた時間以外は自由にそこに出入りし、思い思いの場所に腰を落ち着けて、好きなときに好きなだけ好きなものを食べ、好きなときに好きな人と好きなだけ話しながら時間を過ごしているようだった。
食事はどんどん無くなっていく。それに負けじと次々に追加の料理が大皿で運ばれてくる。食材が足りなくなると、狩りに出る。
「獲れたぞ!」
「そうか!よかったな!あいつが仕留めたらしい」
「さすがだなあ」
夜中のホールでこんな会話も繰り広げられる。
集まった人々の胃袋を賄うために仕留められたムースが、解体され、ホールに運び込まれる。亡くなった人とその家族のいる場所の向かい側、ホール内に広げられたタープの上に、頭から足先まで、各部位に切り分けられた塊たちが置かれる。村の人たちはそれぞれ肉の塊を持ち帰り、調理してまたホールに持ってくる。そうしてみな、また腹を満たす。人の死を悼む人々の集う空間を、動物の死が養う。人と動物の生と死が、同じ空間で入り混じる。
ホールには夜通し誰かがいた。誰かの話し声で空間の沈黙はいつも埋められていた。亡くなった人とその家族を取り巻くように、周りのベンチやテーブルで、談笑したりトランプをしたり食事をしたりしていた。順番もなく、決まった時間もなく、ふと思い立ったように誰となく、亡くなった人の顔を見に行ったり、周りに座る家族に話しかけに行ったりする。ついでに、ガムやタバコを手に取って、またもとの場所へと戻っていく。
合間にはフィフティー・フィフティー(50/50)やラッフル(raffle)と呼ばれるゲームもあり、大盛り上がりだった。
フィフティー・フィフティーは、参加者がチケットを数ドルで買い名前を書き、袋に入れる。最後に袋から名前の書かれたチケットを引かれた人が、集まったお金の一部をもらえるのだ。
一方のラッフルは、数ドルで数字の書かれたチケットを買って、その数字が抽選で当たれば、亡くなった人の家族が用意した様々な景品がもらえるのだった。
いずれも、集まったお金の大部分が亡くなった人の家族のものになり、家族はそれで葬式の費用を賄うことができる。要するに葬式のカンパのためのゲームなのだった。
ラッキーなのかアンラッキーなのか、このフィフティー・フィフティーで、なんとぼくが当たってしまったことがあった。ポトラッチで賞金を当てた日本人がいるという一大ニュースは瞬く間に拡散され,おかげでぼくの名前はこの村中にも広まってしまった。
だけどこのチケットは、持ち金がないぼくの代わりにアリーが買ってくれたものだった。よそ者が当ててしまった申し訳なさと、これまでずっと面倒を見てもらってきたアリーとリックへのちょっとしたお礼をしたい気持ちもあいまって、ぼくは賞金をアリーに全部あげた。アリーもリックもとても喜んで受け取ってくれた。彼らはそんなに裕福というわけでもないのに、何から何までぼくの面倒まで見てくれていたんだ。
ヌラトの隣村、カルタッグでのポトラッチは三日三晩続いた。もちろん、ずっと寝ずに夜を明かすわけにもいかない。みんなでホールに寝泊まりするわけにもいかない。けれども小さな村々には宿がないので、滞在中はみな、その村の親族や友人の家に泊まるのだった。というよりもむしろ、観光客はおらず、みな親族や友人の家に泊まるので、宿が必要ないのかもしれない。
リックとアリーとぼくは,グレッグレイというリックの友人の家の庭にテントを張った。彼の家は小さな平屋で、3人も寝泊りするには広さが足りなかったのだ。「ひとりだったら家の中に泊まれたのになあ」とリックは冗談半分で愚痴をこぼしていた。
「やあやあ、おかキティ!元気だったかい?」
たくさんの柔らかな皺を刻み、しわくちゃな顔に少しいたずらっぽい笑みを浮かべて、半開きの家のドアの向こう側から顔を出してきたのがグレッグレイだった。ぼくらがちょうどテントを立て終わったときだった。
家の中に招き入れられると、キッチン横に置かれた2人掛けほどのダイニングテーブルを囲んで椅子に座り、コーヒーを飲みながらお菓子を頬張った。リックたちはもちろん欠かさずに葉巻もふかしていた。
気の向くままに、リックたちは友人の家とホールを往復し、多くの友人たちと言葉を交わし、葉巻をふかした。グレッグレイの家に集まる人数も次第に増えていき、気付けば小さな2人掛けのダイニングテーブルを囲む椅子は2列になり、10人を超える人たちが集うようになっていた。
三日三晩は、長いときをかけてゆっくりと、かなしみを昇華させるための時間のようだった。身近な人の死という、津波のように押し寄せて世界を一瞬で崩壊させる、言葉にならない深いかなしみを、家族や友人たちとともに日常に馴染ませているようだった。死者のために集い、互いの再会を祝福し、自分たちの世界をもう一度たしかに積み上げていく時間だった。
三日目の夕方、それぞれ村に帰る前の最後の集まりの最中に、グレッグレイが穏やかな声でゆっくりと、語りかけるように話し始めた。
「私たちはあなたと会ったことを決して忘れない。死ぬまで忘れない。もしあなたが帰ってこなくても。どんなに短い時間でも、出会ったということは人生が交差したということ。それはとても貴重なこと。時間の長さは関係ない。それが生きているということ」
「ありがとう。また戻ってくるよ」
ぼくも忘れない。あなたたちと出会ったことを。そしていつか、君の人生も彼らと交差したなら、どんなに素敵なことだろうか。
グレッグレイは、よれた白いノースリーブのシャツ一枚で思いっ切りぼくを抱きしめてくれた。
2日目の午後、2メートル弱の深さの長方形の穴を、集まった十数人の男たちで掘った。誰かが亡くなると、ポトラッチの期間中に自分たちで墓を掘るのだった。棺桶が収まる程度の大きさが必要なのだった。
想像以上の重労働だった。幾度となく交代を繰り返し、数時間にもわたって汗水を垂らしながらスコップを地面に差し込み、土を掻き出す。穴が深くなるほどに、堀った土を外に出すのも一苦労だった。
「おれが死んだら、燃やして灰にして川に撒いてほしいな」
ぼくに向かってこう呟いたのは、キャップを被り、金色の太いネックレスを首から下げた、ぼくと変わらない年齢の若者だった。
「そんなこと考えるのは百年早いよ!」とは口が裂けても言えない。墓地に立ち並ぶ、ごく最近立てられたという3つの真っ白な十字架も、すべてまだ20代、30代で亡くなった人たちだった。みな、アルコールに溺れ、命を落としたのだという。
舗装されていない村の砂利道にウイスキーの瓶がしょっちゅう転がっていたことを思い出す。働き盛りのはずの20代、30代、40代が昼間から道端でビールやウイスキーを飲み交わしていた場面も浮かんでくる。一方のディーもリックも、酒なんて口にするもんじゃない、と言わんばかりに忌避していた。
ここではアルコールは、美味しくたしなむものではなく、人の気持ちをほぐしたり会話を盛り上げたりするものでもなく、飲んでしまったら最後、溺れて手放せなくなってついには死に至る、わずかでも関わってはならないものだった。
それでもネイティヴ・アメリカンのうちの少なくない人たちが、特に若者がアルコールに手を出してしまう。同世代の死を目の当たりにしながら、彼もまた自分自身の死を見つめていたのだろうか。
決して同じではないけれど、彼と重なる小さな歴史をもっていたぼくには、少しだけ彼のまなざしが理解できる気がした。ぼくらは言葉を———「なぜ生きるのか」についての言葉を探している、そう感じた。
ディーやジョージは、いつも口々に話していた。
「高校のときは、村から遠く離れた寄宿舎に入れられて、私たちの言葉は禁じられ、英語で話すように強制されたんだよ」
同化政策によって文化は断絶され、言葉は奪われた。
それだけではない。
「ベトナム戦争でぼくたちネイティヴ・アメリカンは最前線に送り出されたんだ。ひどい戦争だった。傷ついて帰ってきた男たちは、変わり果ててた。アルコールや薬物に溺れたり、暴力をふるったり、自殺したりした。時代が変わって、ネイティヴ・アメリカンへの福祉政策が手厚くなったけど、それは働かなくても何もしなくても、酒がただで手に入れられるようになったってことでもあったんだ。そうやって親から子どもに、そのまた子どもに、アルコールと薬物と暴力が今も受け継がれてるんだ」
リックが繰り返し語っていたことだ。
親から子へ、子からまたその子へ。アルコールと、薬物と、暴力と、死と。あらゆる負の遺産が受け継がれ続けている。立ち並ぶ、まぶしいほどに光る真っ白な十字架たちが、静かにその歴史を物語っていた。
けれどもその奪われた言葉を、もう一度若者たちが探し出し、取り戻し、受け継ごうとしていた。かつての自分たちの言葉を知る古老たちはひとり、またひとりとこの世を去り、継承のタイムリミットが迫っている。仕事を求めて、新たな世界を求めて、都市部に出る若者のほうが圧倒的に多い中、ポトラッチでは、村に残った若者たちが自分たちの言葉で唄い踊っていた。圧倒されるような祈りの響きに、ぼくはカメラを構えることができなかった。
「死んだら、燃やして灰にして川に撒いてほしい」という彼のつぶやきはきっと、すべてを引き受けて村に生きることを選んだ彼の、そのような生き方の表明なのかもしれない。「なぜ生きるのか」についての言葉を探しているような気がしてならなかった。
置かれた状況は全く異なるけれど、ぼくも、言葉を探していた。
なぜMは死んだのか。なぜ自分は生きるのか。
母語としての日本語は手元にあったけれど、どんな本にもMの死と自分の生の意味を言い表せる言葉はなかった。
だから物心ついてからというもの、繰り返し、繰り返し、言葉を書き付けた。Mはなぜ死んだのか、なぜ生きられなかったのか、8年間という短い一生にどんな意味があったのか。残された自分はなぜ、何のために、どのように、生きるのか。ノート、メモ帳、手帳、…乱雑にぎっしりと書き込まれた、形も大きさもばらばらの紙の束は、気づけば10冊を超えていた。
ここアラスカに持ってきた、こうして日々あったことを書き込んできたA4サイズの無地のノートは、14冊目。表紙には、一羽の鳥の絵が描かれている。お守りか、励ましか、妹が出発前に書いてくれた。いまにも飛び立って儚く消えてしまいそうな、水彩で描かれた小鳥。それは出発前のぼく自身であるかのようだった。
ぼくは幼稚園のころから鳥に夢中だった。いまでもなぜかはわからない。誕生日のたびに祖母に買ってもらった野鳥図鑑や鳥の写真集を開いては、その日に気に入った鳥を、父が仕事で使い終わってもう不要になった紙の裏側にスケッチしていたものだった。大空を舞う鳥の無限の自由に憧れていたのだろうか。
けれども鳥にも仲間と巣が必要なのだ。住処となる樹木が必要なのだ。そのことをぼくはようやくわかりかけていた。
「ちなみに東京では誰が墓を掘るんだい?」
不意に彼に聞かれ、ぼくは答えることができなかった。一体誰が、汗水垂らしてぼくの墓を掘ってくれるのだろうか。いや、君なら。君なら、どんなに硬い地面でも、どんなに時間がかかっても、必ず掘ってくれる。ぼくも君に約束しよう。
村に戻ったころには、陽が西に傾きかけていた。橙色に染められた地面に木々の長い影が伸びていた。
「おれもな、昔はアルコールに溺れて毎日朝から飲み歩いてたもんだ」
胸の中にある記憶を優しくなぞるように、ジョージがつぶやいた。
高校を二回追い出されて退学したこと、怪しげなキノコを食べて幻覚を見たこと、彼女にそそのかされて飛行機を盗もうとして逮捕され2年半刑務所にいたこと、森林火災の消防士として働いていたときの原野でのギャンブルや酒のこと———。
ジョージの過去の話は、いろいろなときに、断片的に聞いていた。ここでは書き切れない、とにかく波乱万丈な人生だった。だが、言葉にならないこと、語り得ないものもたくさんあるのだろう。
「もうどうなったっていい。どうなろうが誰の知ったことでもない。誰も心配なんかしない。おれの勝手だ、そう思ってたんだ」とジョージは言った。
ぼくに返す言葉が見当たるはずもなかった。
「だけどな、あるとき知り合いに、仕事のあいだ子どもを預かってくれないかって頼まれたんだ。彼女はクリニックに勤めてたんだ。住む部屋もあるって。ただし、条件付きでな」
「条件って?」
「おれがアルコールをやめる、ってことさ。アルコールをやめるんだったら、預かってほしいって。迷いもしなかった。難しくもなかった。きっぱりその日から、おれはアルコールをやめたんだ」
少しの沈黙のあと、再びジョージは続けた。
「その子がおれを救ってくれたんだ。初めてこのおれに、自分の家と、自分の仕事と、自分の居場所ができたんだ。そして初めて誰かが、おれのことを本当に必要としてくれたんだ。これがおれの生きる背骨になったんだ」
きっと誰しも生きていくために、背骨が必要なのだ。無数の人間が生きるこの世界の中で、自分を本当に必要としてくれる誰かがいるということのかけがえのなさ。そうして誰かが自分の背骨になる、と同時に自分もその人の背骨となる。
その子がジョージを救ったように、ジョージもまたその子を救ったのではなかったか。ジョージもまた、その母と子の背骨となったのではなかったか。
ぼくにとっては君が背骨なんだろう。ふと思い当たる。寂しさがこみ上げてくる。果たしてぼくは君の背骨になれるのだろうか。
「その子はRJって言うんだ。かわいい男の子だった。彼のためだったら、アルコールをやめることなんて、何も難しくなかったんだ」
ジョージはそう言い終えて、伸びる影の先を見つめた。