Ⅲ.愚か者

遮るものが何もなく、容赦なく降り注ぐ陽射しが痛かった。アスファルトの照り返しで地面がゆらめいている。一年のうち半分以上は深い雪に閉ざされるアラスカの地も、夏はこんなにも暑いものなのかと、君もきっと驚くと思う。たいていの人は驚くんだ。ぼくが向こうで、半袖短パンで日中過ごしていた話をすると。

半袖を捲った肩に食い込むザックをときどき背負い直す。一歩、また一歩、ザックの重みで倒れるように足を出す。重い荷物を背負っているときはこの歩き方が一番楽なんだと、教えてくれたのも君だった———君との山歩きだった。

見た目がみすぼらしく見えたのかもしれない。
ちょっと自信がないようにも見えたのかもしれない。

とぼとぼ、とぼとぼ、空港を背に歩いていたぼくの前に、大きな黒塗りのバンが後ろから回り込んできて停まった。
「どこまで行くんだい!?」

左ハンドルの運転席の窓から、ワークキャップを被った女性が身を乗り出して声をかけてきた。左右が刈り込まれた短髪。ブルーに光るサングラス。褐色の肌。ボーイッシュで威勢のいい声だった。

びっくりした。
一瞬だけ、連れ去られるんじゃないかという恐怖すら感じた。

なんて言ったら君は呆れるに違いない。どんだけ危ない橋を渡ってたのか、ようやくわかったのね。やれやれ、困ったもんだぜ。ってね。君の言う通りだよ。ぼくはもう、苦笑いしてごまかすしかない。

とりあえず返事をしなければ、とぼくは恐怖をせっせとかき消して期待を膨らませ、頭の中で適当な英単語を懸命に手繰り寄せていた。

 
フェアバンクス国際空港に到着したのは、その2時間ほど前。グリズリーベアやムースの剥製が置かれた小さな博物館のようなロビーを出て、滑走路に沿ってぐるりと半周歩いた。ちょうど滑走路を挟んで反対側にある、『ライト・エア・サービス』という、フェアバンクスとアラスカ中の村々をつなぐ小さな航空会社に立ち寄ったのだった。その事務所は国際空港と同じ敷地内にあったが、歩いて1時間もかかった。お金はなるべく節約したいので仕方がない。そして時間ならいくらでもある。

フェアバンクスから小さなネイティヴ・アメリカンの村々にはどうやって行くのか、どのくらいの料金がかかるのか、どのくらいの頻度で飛行機が飛び立っているのか。わからないことしかなかったが、2020年を迎えようというこの時代にネットにも載っていなかった。だから歩いて直接聞きに行くしかなかった。

飛行機とは言っても、そこから飛び立つのは10人乗りくらいのセスナ機だった。運航数も少ない。それに、思ったよりも値段が張る。これではいくつもの村を行ったり来たりするのは難しそうだなあ。どこかの村に行ったとしても、宿もないのにどこでどうやって泊まったらいいんだろう。何よりもまず、数えきれないほどの村がある中で、どこに行ったらいいんだろうか。結局何も決められないまま、掘立小屋のような事務所をあとにした。

この優柔不断さ。いかにもぼくらしい、と君は思ったんじゃないかな。でも時々この優柔不断さが功を奏したりする。だって声をかけられたのは、どうしようかと悩みながら、歩いていたときだったんだから。
 
「今晩泊まる予定のホステルまで行く途中だよ!」
ぼくは立ち止まって、たどたどしく不格好に英単語を並べた。

「ホステルって、どこのホステルだい?ここからどのくらいあるんだい?」
身を乗り出して声を張り上げる女性の向こう側には、白髪の混じった短髪で、丸眼鏡をかけた恰幅のいい男性が見える。

「だいたい8キロだから、ここから歩いて1時間くらいかな、たぶん」
ぼくは自信なく答えた。

距離とか時間の正確さに自信がなかったんじゃない。気付いたら、もうすっかり陽が傾き始めていた。暗くなる前に宿までたどり着けるか、危ないところに迷い込んだりしないか、成田からの長時間のフライトに疲れていたぼくは、正直、宿までの長い道のりを想像して途方に暮れていた。

正直に言えば、声を掛けられたとき、怖さと同時に淡い期待も抱いていた。それまで道端で親指を立てて何度かヒッチハイクを試みていたが、ことごとく素通りされては肩を落としていた。なのに親指も立てずに歩いていたときにわざわざ車のほうから止まってくれるなんて。ホステルまで乗せていってくれないかな。

そんな危なくて怪しいこと、よくもまあひょこひょこと乗ったよね、ほんとあり得ない。君ならきっとそう言う。

ぼくだってもう一度同じ場面に出くわしたら、今度は断ると思う。そもそも、ひとりでどこかに行きたいとも、もう思わない。でもこのときは、きっと頭のねじが、一本と言わず、二本か三本くらい緩んでたんだ。いや、外れてたんだ。

「ほんとに1時間も歩く気かい!?乗っていきなさいよ!」
「本当に!?いいの?」
「もちろんいいとも!その大きいリュックはトランクに入れて!」

こんな幸運が本当にあるのか。ありがとう!とトランクを開けてザックを放り込むと、ぼくは後部座席に乗り込んだ。

「はじめまして、私はエミー」
ぼくと握手をすると、エミーは前を向いてエンジンをかける。
「はじめまして、ぼくはヒロキ。よろしく」

「ヒ オ イ…?ヒ オ キ…?」
エミーはこちらを振り返って、笑いながら難しそうな顔をしてくる。英語では「ヒロキ」の発音が、特に「ロ」の部分が難しいみたいだった。

「ヒロって呼んでくれたらいいよ」
ぱっと思いついた呼び名を言ってみた。
「わかった!ヒロね!よろしく!」

それからぼくは「ヒーロー(hero)」といじられることになるのだが、このときそんなことは思いもよらなかった。帰国してからその話をしたら偉く気に入って、君もぼくのことを「ヒーロー」と呼んでいじるけれど、まだ飽きないのかな。ようやく最近はちょっと飽きてきたかな。

「はじめまして、僕はマイケル。みんなにはミッキーって呼ばれてる。ミッキーって呼んでくれたらいいよ」
エミーが運転している隣の助手席から、男性が振り返って手を差し出してくる。見た目に劣らず、あだ名までかわいらしかった。

「僕らはパートナーで、付き合ってるんだ」
ミッキーが、エミーのほうを見ながら教えてくれる。優しそうで、少しうわずったような高い声だった。

空港周辺の森をあっという間に通り抜けると、車は住宅街に入り込んでいた。庭付き二階建ての大きな家々が木々の中に構えている。大通りに出ても、あまり背の高い建物は見当たらない。ガソリンスタンドやコンビニ、ファストフード、いろいろな店が視界に入ってきては遠ざかっていく。

どこから来たんだい?日本からだよ!日本かあ、日本はいつか遊びに行ってみたいなあ!いつまでいるんだい?二カ月後に帰りの便を予約してるんだ!わお、長いね!というような他愛もない会話をしていたのだが、「ところで何をしに来たんだい?」とミッキーに不意に尋ねられた。

一瞬、言葉に詰まったが、ぼくはたどたどしい英語で何とか説明し始めた。
「実は、星野道夫っていう日本人の写真家がいて…」

彼の写真も、文章も好きだった。何よりも彼の、生と死へのまなざしに惹きつけられた。20歳のときに彼の文章に出会って、初めてMの死という経験を誰かと分かち合えたような気がした。彼は親友の死を契機に、アラスカへと渡っていた。

エッセイの中で、親友を亡くした悲しみを綴っている。例えば次のような。
 
二十代のはじめ、親友の山での遭難を通して、人間の一生がいかに短いものなのか、そしてある日突然断ち切られるものなのかをぼくは感じとった。私たちは、カレンダーや時計の針で刻まれた時間に生きているのではなく、もっと漠然として、脆い、それぞれの生命の時間を生きていることを教えてくれた。(星野道夫『旅をする木』)
 
親友の死を、Mの死を、分かち合える人がいる。

それはぼくにとって、この広い世界の中で自分はひとりではないんだと初めて思えた瞬間だった。20歳になって、初めてそう思えた。けれども彼は、ぼくが生まれたまさにその年に亡くなっていた。そのことを知ったとき、ぼくは再び孤独の底に突き落とされた気分だった。誰ともつながりえない、誰とも分かち合えないという感情が、またぼくを連れ去った。

彼にはもう会えない。だからせめて、彼がアラスカで見ていたものを、自分の目で見てみたかった。肌で感じてみたかった。

ただ、それだけだった。

それだけだったが、それは「したい」というような生半可なものではなかった。むしろ「しなければならない」というような感覚だった。一体彼はアラスカでどんな景色を目にして、どんな人たちと巡り合って、あの言葉の数々を紡いできたんだろうか。ぼくは、その景色を自分の目で見て、その人たちの日々を肌で感じなければならなかった。避けては通れない道。この先も自分の人生を歩き続けてゆくために。生きる意味を見つけるために。そして君ともう一度手をつなぐために。

今振り返れば、よくもあんな無謀なことを平気でやったものだと思う。2か月間の予定を何も決めずに誰も知らない異国の土地に飛び込むなんて、正気の沙汰じゃない。だからさっきも言ったよね?頭のネジが二本か三本くらい外れてたんだ。

長い人生のなかで、そういうときって誰にでもあるんだと思う。なんて開き直ったらまた君に怒られちゃうかな。
 
「死ぬなよ」
出発前、ある知り合いに言われた。
「おまえは死の匂いがする」

当時はさっぱりわからなかったが、今振り返ると少しわかる気がする。ぼくは、生と死の境界線上を跨っていたのかもしれない。言い換えれば、死の世界のほうに片足突っ込んでいた。何しろぼくが物心ついたときから、心底気を許して話せたのは、唯一、もうこの世にはいないMだけだったんだ。だから正確にはぼくは孤独ではなかったのかもしれない。ぼくは「この世」で孤独だった。ひとりだった。

あまりに唐突で、理不尽だったMの死。そんなことは考えても仕方がない、と頭ではわかっていても考えずにはいられなかった。なぜMが死んだのか。なぜMでなくてはならなかったのか。Mの短い人生にどんな意味があったのか。Mはどんな思いで息を引き取ったのか。Mは最後にどんな景色を見ていたのだろうか。

———それは翻って、自分自身への問いかけでもあった。

残された自分は、どう生きるべきなのか。突然死が訪れるかもしれない今をどう生きるのか。いつか必ず終わりを迎える人生にどんな意味があるというのか。明日終わるかもしれない人生において、かけがえのない、大切なものとは何なのか。

人は生まれた時から死に向かっていく存在だと思えば、人生は無意味と化した。同時に、いつ死ぬかわからない存在だからこそ、今この瞬間がかけがえのないものだとも感じられた。

よくもまあこんなところに、というほどのわずかなアスファルトの隙間にもいつの間にか雑草が根を張っているように、知らぬ間にゆっくりと、ぼくの中にはいくつもの問いが引き抜けないほど深く根を張っていた。生とは、死とは、いったい何なのか。死に片足を突っ込んだときに、生にどんな意味があるのか。

たとえばどんな大学を卒業したとか、どんな会社に入ったとか、そんなことは死を目の前にして全くの無意味と化した。生きる意味とは、この世界の中に自分という存在をどう位置付けるのか、という問題だった。

だからぼくは探していた。
この世界で生きる意味を。
明日死ぬとしても今日を生きるその意味を。

でも世の中はそうはさせない。先へ進むことを、早く進むことを、強く望む。ぼくの目の前には大学卒業と就職が迫ってきていた。だけどそうして急いでどこへ行くというのか。いくら早く進んでも、いくら先へ進んでも、意味は取り残されたまま。

親友の死を通して、アラスカの自然と人々の生活を綴った星野道夫の文章は、そんなぼくの問いかけへのおぼろげな返事であるかのように、生と死へのまなざしで貫かれていた。

たとえばこの一節。
 
私たちが生きてゆくということは、誰を犠牲にして自分自身が生きのびるのかという、終わりのない日々の選択である。生命体の本質とは、他者を殺して食べることにあるからだ。近代社会の中では見えにくいその約束を、最もストレートに受けとめなければならないのが狩猟民である。約束とは言いかえれば血の匂いであり、悲しみという言葉に置きかえてもよい。[…]
この世の掟であるその無言の悲しみに、もし私たちが耳をすますことができなければ、たとえ一生野山を歩きまわろうとも、机の上で考え続けても、人間と自然との関わりを本当に理解することはできないのではないだろうか。(星野道夫『旅をする木』)
 
あるいは———
 
深い森の中にいると川の流れをじっと見つめているような、不思議な心の安定感が得られるのはなぜだろう。ひと粒の雨が、川の流れとなりやがて大海に注いでゆくように、私たちもまた、無窮の時の流れの中では、ひと粒の雨のような一生を生きているに過ぎない。川の流れに綿々とつながってゆくその永遠性を人間に取り戻させ、私たちの小さな自我を何かにゆだねさせてくれるのだ。(星野道夫『森と氷河と鯨』)
 
星野道夫の言葉は、道標のように、ぼくをアラスカへと導いていった。大切な何かが見つかるんじゃないか、そんな淡い期待も抱きつつ、ぼくはアラスカへと飛び立った。ぼくを引き留めることなく、ただ涙をこらえる君をひとり置いて。
 


「それで彼のように、ネイティヴ・アメリカンの暮らしを経験したいと思って、でもどこに行ったらいいのかわからなくて困ってるんだ」
ぼくは笑いながら正直に打ち明けた。

「それなら僕の村に来たらいいさ!」
間髪入れずにそう大声で言うと、ミッキーはにかっと笑った。

エミーは手を叩いた。
「そうよ!彼はこう見えてもヌラトっていうネイティヴ・アメリカンの村のチーフなのよ!」

「チーフって、本当に!?」
思わず耳を疑って、ぼくは聞き返してしまった。まさか。こんな偶然があるものなのだろうか。

「本当だよ!」と彼は呆れたように笑った。「星野道夫のこともよく知ってるよ。アラスカ大学に通ってたときに、彼と寮が一緒だったんだ」

まさか。本当にこんな偶然があるものなのだろうか。とにかく頭の中が沸き立っていた。気付いたらぼくは頼み込んでいた。
「一緒にヌラト村に連れて行ってもらえないかな」

「もちろんさ!」
ミッキーはにんまり笑って威勢よく返事をくれた。
「何なら一年いたっていいんだぞ!」
「ほんとに!?ありがとう、嬉しいけど、でもそれは不法滞在になっちゃうよ」
ぼくは笑って答えた。でも、その気持ちが嬉しかった。
「じゃあ決まりね!」
エミーは興奮気味にはしゃいでいる。
「そしたら私たち明後日のフライトで村に戻るから、そのとき一緒に飛行機に乗ればいいわ!たしか時間は———」

フライトの時間を確認して、連絡先を交換しているあいだに、一泊だけ予約していたホステルに着いてしまった。行き先が決まっていないと入国検査で引っかかってしまうので、仕方なく予約した安宿だった。

それでも知り合いもいない土地で2ヶ月間も何をするんだい、観光が目的って書いてあるけど本当の目的は何なんだ、いろいろ回りたいっていうんだったら知ってるだけ地名を言ってみろ、などと乗り継ぎのために下りたシアトルでの入国検査で別室に連れていかれて、30分以上も尋問されたんだ。まだアラスカにも辿り着いていないのに、ここで帰されるわけにはいかない、と頭の隅々まで絞って知っている限りの地名を捻り出した。

それよりもっと前、シアトルへと向かう飛行機内で早くもアメリカの洗礼を受けたことも、今では懐かしい。機内食で出たケーキもアイスクリームも、砂糖の塊を食べさせられているんじゃないかというくらい、とにかく甘くて吐きそうになった。こうやって思い出すだけで胸がむかついてくる。君はきっと一口でお腹いっぱいになっちゃうんじゃないかな。
 
「なんだかよさそうなところじゃない!」
エミーが建物を眺めながら楽しそうに言った。
「なんか、きれいだね」
ぼくも少しほっとして笑った。

安宿というイメージからは程遠い、庭付きの木造2階建ての建物が目の前にあった。真っ白い壁は、ついさっきペンキを塗ったかのようにぴかぴかに光り、紐にぶら下がった色とりどりの国旗がそよ風にたなびいている。

「そうだそうだ」
ぼくが車から降りようとすると、ミッキーが何かを思い出したかのようにリュックの底に手を突っ込んで、中身を引っ掻き回している。それから何かを引っ張り出してきた。
「これ、あげるよ。お腹すいてるだろ?」

振り返って伸ばしてきた手には、ジップロックがぶら下がっていた。中にはキッチンペーパーにくるまれて、15センチほどの半透明の赤みがかった橙色のスティックが何本も入っている。

「これはスモークサーモンだよ。もう残りちょっとだし、全部あげるよ。そのままこうやってかじって食べるんだよ」
そう言ってミッキーは一本食べて見せて、ぼくにも手渡してくれる。

「ほんと!?ありがとう!」
ぼくは受け取ってさっそく前歯で噛もうとするが、かなり硬い。皮ごと奥歯で噛み千切り、すり潰す。噛むたびに少しずつ身がほぐれて、脂と塩味が口の中にじわっと溶け出してくる。

「美味しいでしょ!?どう!?」
興味津々で覗き込んでくるエミーに、「とっても美味しい!」と笑って答えた。

「送ってくれてありがとう」
食べ終わったぼくは車から降りると、トランクに入れていたザックを背負い、礼を言った。

「じゃあ、明後日の朝にまたここに車で迎えに来るわね!その前に着く時間わかったら電話するから、ちゃんと出てよ!」
疲れ知らずのエミーの声は、最初から変わらず溌溂としている。

「じゃあ、またな!ヒロ!」
エミーの向こう側から身を乗り出して、ミッキーが手を振っている。エミーがゆっくりとアクセルを踏んだ。

ぼくも手を振り返した。
「またね!ミッキー!エミー!」
二人を乗せた車は、少しずつゆっくりと遠ざかっていく。

「ありがとう!」
ぼくは声を張り上げて、もう一度礼を言った。車が緩やかなカーブをなぞって、やがて木々の向こう側に見えなくなるまで、ぼくは手を振り続けた。

ザックを背負い直し、ぴかぴかの白い建物に目をやる。開けっ放しの玄関のドアの向こう側には、使い込まれたアンティーク調の家具が傾き始めた陽に照らされて光っている。汚いところには泊まれない、きれい好きの君もきっと気に入ると思う。

でも、芝生の庭でテント泊のほうが君も気に入るんじゃないかな。どんなにきれいなところでも、余程気を配っている宿でなければ君は汚いというし、だったら自分のテントのほうがいいって言うに決まってる。ちなみにぼくがテント泊にしたのは、きれい好きだからじゃなくてケチだから。よく言えば、節約したかったから。5ドル安くなると言われて、ぼくは庭にテントを張った。

もともと泊るはずだったドミトリーの部屋は、天井がガラス張りで透き通り、寝転んだベッドから空を見上げることができた。夜には降るような星空を眺められるかもしれない。おとぎ話のような空想が頭をよぎったが、安さには代えられない、と諦めた。次に君とふたりで来るときにはきっとここに泊まろう。

ホステルのオーナーは、5ドルも儲けが減ってしまうようなことも気前よく教えてくれる、おしゃべりで優しい、長髪の白髪を垂らして杖をついた色白の女性だった。ホステルは、このオーナーの女性の家を改築したものだとも教えてくれた。

テントを張り終えて共有スペースのリビングにおいてあるソファに身を沈める。ところどころ擦れて色の落ちた、揉みこまれた風合いの革。思わず撫でると、ひんやりと冷たい柔らかさが手に馴染む。背もたれのカーブが、天井からぶら下がった明かりに照らされて光っている。

はあ。
思わず安堵の息が漏れる。
あまりの急展開にぼくの現実感が追い付いていなかった。腰を落ち着けると一気に、疲労の波が押し寄せてきた。

ホステルの無料Wi-Fiを繋いだスマートフォンをポケットから取り出す。無事に到着したことを、家族にラインで知らせる。それからたったひとり、空港まで見送りに来てくれた君にSNSで電話をかけた。

「たったいま無事に着いたよ。うん、よかった。元気だよ。そっちはどう?そう、よかった。ちゃんと朝ご飯食べるんだよ」
なんとなく、会話がぎこちない。

置いてきてしまった罪悪感、置き去りにされた怒りや悲しみ、会いたいという気持ち、あと2カ月間も会えないという寂しさ。君もぼくもいろいろなものが言葉にならない。うまくかみ合わない。だから、君がちゃんとご飯を食べているか、それしか聞けなかった。もっと他に話すことはたくさんあったはずなのに。

「恋人かい?」
電話が終わった直後に話しかけてきてくれた、中国の大学で英語教師をしていて今は一ヶ月ほどの休暇中だという白髪交じりの肌の男の人が、チーズバーガーとグリーンピース、にんじんとさつまいもの甘煮を夜ご飯に作ってくれた。
 
そういえばこのとき、ヌラト村に連れて行ってもらえることになったとも君に話した。でも君は全然喜んでくれなかった。期待外れの反応に、ぼくは戸惑って、苛立った。それを隠すように、ご飯の心配をすることくらいしかできなかったんだ。

でも、今ならわかる気がする。村に行けばWi-Fiもなく連絡が取れなくなるかもしれない。何か危険なことに巻き込まれるかもしれない。命が危なくなるかもしれない。もう二度と、会えないかもしれない。

君は心から心配してくれていたんだ。いや、離れていってしまう、もう二度と会えないかもしれない、と感じていたんだ。Mを乗せた霊柩車が走り去っていくのを追いかけることもできなかったぼくのように。

そんなこともわからない、ぼくは愚か者だった。

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