012_意外な盲点!こんな読書があったのか!「アドベンチャーゲームブック」
みなさんはレトロと聞いて何を思い浮かべますか?
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こんにちは。トレトロです。名前のとおり、レトロが大好きです。
レトロ好きの仲間の飲み会で、よく昭和50年代(1970年代後半)の話をして「なつかしい!」と、皆で盛り上がっています。
そこで、勝手にレトロなお裾分けということで、
昔の話をnoteにまとめることにしました。
子どもの頃に、突然やってきたブームについて書いていこうかと思います。
あくまで、私の周辺の狭い話となってしまいますが、
楽しんでいただけますと幸いです。
さてさて、今回のブームは・・・
アドベンチャーゲームブックブーム
みなさんは、アドベンチャーゲームブックを知っていますか?
小説のように読みながら、各段落に設置された選択肢を選び、選んだ番号(ページ)の先へ飛んで、読み進めていく本です。
私が初めてアドベンチャーゲームブックに出会ったのは、小4-5の頃。
訪れた本屋で、たまたま見つけました。
昔から本屋が好きで、一度入ると3時間くらいは楽しめます。
そのとき手に取ったのが、平積みされていた「火吹山の魔法使い」でした。
読んだ瞬間、こういう読書があったのか!と驚き、感心しましたね。
面白そう!と買って帰り、即ハマりました。
あまりにもハマりすぎて、ゲームブックを自作しました。もう手元にはありませんが、自分の家から小学校までの通学路で起こる奇妙な出来事がテーマでした。ゴールは学校ですが、道中でいろんな邪魔が入りなかなか学校まで辿り着けない設定です。
選択内容によってHPの代わりに時間が減っていき、時間内に無事登校できれば成功でした。
校内では、ゲームブック好きが集まり自然とサークルみたいなのができました。そして、放課後オリジナルのゲームブックをつくってましたね。
架空の地図を描いたりして楽しかったなぁ〜。
サークルの発表会で、元祖リアル脱出ゲーム?!
放課後にクラスの生徒を3人集めて、私たちサークルがつくったリアルアドベンチャーゲームを披露することになりました。
校舎内から無事脱出できるか、という内容です。
仕組みは超簡単で、各教室の黒板に選択肢を書いた藁半紙を貼っておき、それを見たプレーヤーが教室を転々と移動していくというもの。
途中トラップのある教室、例えば、怪獣のいる部屋があれば、じゃんけん勝負して2回勝つとクリア。(負けるとゲームオーバー)
もちろん、トラップのある部屋には前もって、誰かメンバーを配置しておきます。
その当時、けっこうプレーヤーを楽しませようと工夫をしたつもりだったのですが、いまこうして書いてみると、超絶つまらなさそうですね・・・(苦笑
スティーブ・ジャクソンのソーサリー四部作の登場
小6の頃、本屋さんでひときわ目についたのが、ソーサリーシリーズでした。
当時の私は、塾に通っていて(通わされていて)交通費と夜食代としてもらった1,000円を使って買いましたよ。
いま思うと、あの頃は塾ブームだったのかもしれません。とにかく、ものすごい人数の生徒がいて少し怖かったです。
ソーサリーシリーズは四部作で、私は全部買いましたが、
なぜか「王たちの冠」だけは書店在庫が少なかったように思います。
そのため、書店をいくつかハシゴしました。
どの巻も、私にとっては高難度で、死にまくりでした。それでもすっかりファンタジーの世界にハマっていましたね。
こうして書いていると、またプレイしたくなります。
ちなみに私の弟は「七匹の大蛇」がお気に入りだそうで。
和製アドベンチャーゲームブックが大流行!
海外のアドベンチャーゲームブックが流行ったのがきっかけかどうかはわかりませんが、和製のゲームブックも続々出てきました。
ゲームやアニメが題材となっていて、なかでもドルアーガの塔は名作で、まわりの皆が持ってましたね。ゲームやアニメをメインに取り上げているあたり、クールジャパンの先駆けかも知れません。
ルパン三世や仮面ライダーもゲームブックになってました。
仮面ライダーBLACKのほうは、アドベンチャーヒーローブックスというブランドで勁文社から出ていました。
珍しいところだと、ナイトライダーやエアウルフといった海外ドラマものもラインナップされています。
この頃、ルパン三世はゲームブック以外にも、オリジナル小説となってシリーズ化されていて、かなり面白かった印象があります。でも、書店であまり見かけませんでした。レアものだったのかも?
クレリックになった私
ソーサリーシリーズにどっぷりハマっていた友人H君は、当然のようにD&Dにもハマっていきました。
H君は私を含め3人を集めRPG同好会をつくり、ファンタジーRPGの面白さを私たちに説きます。そのあとで「実は、D&Dというのがあってね」とまんまと私たちをD&Dの世界へと誘ったのでした。
ある休日、私たち4人は1時間ほど電車に乗り、大きな玩具屋へ行きD&Dのキットを購入しました。4人でお金を出しあいましたが、金額は覚えてません。また、種類が2つくらいあって赤い方を買いました。
早速日程を決めて、ゲームマスターであるH君の家でお泊まりD&D大会をすることに!H君もD&Dをするのが初めてらしく、異様に気合が入っていたのを憶えています。
さて、いざD&D大会開催となりましたが、H君には悪いですが、ほとんど記憶に残ってないんですよね。
個人的にけっこう、ワクワクしていたんですけどね…
おそらく、ゲームマスターがしゃべり出すと、都度K君が質問などの横槍を入れるものだから、非常にテンポが悪かったためだと思います。
ついには眠たくなってきて、ゲームマスターの声が遠くなっていきました…
ところで、お泊まり会当日のお昼、H君の家に集合した私たちはゲーム内での役割を決めることになりました。私は、前衛も後衛もこなせる万能プレイヤーという説明に惹かれ、クレリックになったのでした。
復刻するゲームブック
Amazonなどで検索すると、ゲームブックが復刻していてビックリします。電子書籍版だから、選択によってページをめくる必要はなく、リンクで該当ページへ飛んでくれるみたいですね。
前述のドルアーガの塔もあり、かなり食指を動かされます。
(オマケ)塾ブームってあったよね?
小5のときに、「小6になったら塾に行かなきゃね!」と母に言われたものですから、小6になると塾に行かないとだめなんだと思っていました。
あの頃は、あちこちに“塾”ができましたね。
電柱には塾の広告が貼られ、こんなところに塾ができてる!と、塾の乱立状態でした。
私は小6以降、高卒までに4回ほど塾に通うわけですが、最初に通ったのは電車で15分くらいのところにある大手の塾でした。
大手と言っても、どデカい校舎があるわけではなく、雑居ビル3か所くらいに各3フロアずつ借りていて科目ごとにクラス移動するシステムでした。
特筆すべきは、土日にも開いていて自習できるようになっていたこと。
わからないところは先生に質問もできます。
ある土曜日、自習しに行くとなぜか先生たちは留守で、臨時休業になったことをその場で知りました。
たまたま一室だけ開いていたので、入っていくと事務員さんが掃除をしていて、どうしてもわからないことがあると伝えると、「わかる範囲で教えてあげる」と心よく教えてくれました。
プラスマイナスの計算、例えば、「(-7)+3」とかがよくわからなかったんですよね。
その事務員さん、教え方が先生より上手で、ウソのように理解できました。
彼女に「教え方上手なのに、なぜ先生をしないのか」尋ねると「人前に出るとものすごく緊張してうまくしゃべれない」のだとか。
そういうの慣れると思うんだけど、もったいないなぁ〜と思いましたね。
この塾は、順調に生徒数を獲得していき、ついには立派な白塗りの校舎を建てました。全生徒を収容できるほどの大きなものでした。
雑居ビルのときとは大違いで、部屋は異様に明るく、だだっ広かったです。
先生の講義も、マイクを使って行われ、「自分はまだ小学生だよね・・?」というくらい、そこはもう予備校並みでした。
ただ、クラスの人数が多すぎて質問しづらく私は以前のようなアットホームな感じの雑居ビル時代の方が好きだったなぁ〜。
生徒数が非常に多く、賑わっていましたが、それだけ人が集まるということは、悪友もできるということ。
M君に出会った私は次第に塾に行かなくなりました。
夜食代と電車代を母からもらっていましたが、そのほとんどを近所のゲーセンに使ってました。ポールポジション2やLDゲームの忍者ハヤテなどのゲームにハマってしまいます。(ソーサリーシリーズの魔法使いの丘を買ったのもこの頃です)
塾には「理解度テスト」というものがありましたが、授業を受けないものですから、当然赤点だらけ。(初めて0点をとりました)
塾長はじめ先生方には問題児として知られていましたが(名前も覚えられた)、辞めさせるなどの罰は、特に何もありませんでした。
月謝さえ払ってくれればという、金づる的な存在だったのかもしれません。
中学に上がってすぐくらいにこの塾は辞めました。
理由は、新しい教室の壁が白すぎて目が痛くて、ホワイトボードが見えないから。
中2の頃には、かなりの落ちこぼれになっていましたね。
勉強ダメ、スポーツもダメ、そんな私を救ってくれたのは3つ目の塾の先生でした。
が、それはまた別の機会に。
今日のお話はここまでです。
読んでいただきありがとうございました。
次のブームでまたお会いしましょう!