読書感想文を書けなかった私が、文章を書きたいと思ったわけ。
この11月から、エッセイストの紫原明子さん主催のもぐら会書くことコースに入会することに決めた。
私が書くことコースに入会を決めた理由、それは「他人に見せる文章を書くなんてありえない」と思っていた私が、外部の目を意識して書くことで、何か自分の殻が破れるかもしれないという兆しを感じたからだ。
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まずは「書くこと」を苦手としていた私の「書くこと」の歴史を振り返ってみる。私が一番最初に文章を書いた記憶は、小学1年生の夏休みの自由課題で、オリジナルの絵本を作ったことに遡る。幼少期から本が大好きだった私が、自由課題で絵本の制作を選んだのは自然な流れだった。作文も大して苦労した記憶はない。
しかし、小学校中学年になる頃に読書感想文なるものが課されるようになったころから、「書くこと」の歴史に暗雲が立ち込める。私は読書感想文が、致命的に苦手だったのである。今だったら、読書感想文なんて決まった型があるのだろうからそれの通りに書けばいいのにと思う。ただ、当時はそんなこと誰も教えてくれなかった。親に相談しても「頑張りなさい」と言われるのみ。私は途方にくれたが、どうにか既定の字数を埋めたのだと思う。それ以来「私は文章を書くのが苦手」という刷り込みを自分でしてしまい、主体的に文章を書く行為とはほど遠い生活を長らく送っていた。
そして、私が1回目の大学生だった時にmixiブームやブログブームが来た。今ではどっぷりSNSの海に浸かっている私だが、当時mixiに至っては何となく面倒くさそうだ(そもそも当時は人間関係全般が面倒くさかった)という思いから、入会すらしなかった。ブログに関しては、友人の熱烈な勧めにより書いてものの、自分の内面をさらけ出すようで到底誰かに公開したいとは思えなかった。有名作家を多数輩出している文学部に在籍し、周りには出版社志望の友達も多かった環境で、私は彼らに全く影響されることはなかったのである。(今思えば勿体ないことをしたと思う)
転機が訪れたのは、出産を経て新たにやりたいと思うことができ、進学を考えるようになった頃だ。まず、人生で最大の悩みの迷宮に入り込んでいた自分の考えを整理するために、手帳やノートに自分の思いを記録するようになった。当時使用していた手帳では到底スペースが足りず、ほぼ日手帳を使うようになったのもこの頃である。
そして、志望校の受験では小論文を書くことが求められた。そのため、3ヶ月間通信講座で小論文の訓練を受けた。
また、今の気持ちを文章で残しておきたい、そして自分と同じようなママで学生という立場の人と繋がりたいという思いからブログを始めた。
このように、ここ3年くらいは気が向いたらほぼ日手帳やブログに記録するということが当たり前になっていた。ただ、そのブログを友人知人に公開することは絶対に考えられなかった。SNS全盛期の現在、自分の書いたブログをSNSでシェアする人は多い。私は彼らを羨ましいと思いながら、自分の内面を公開することに対する恥の気持ちや、馬鹿にされるのではないかという恐れる気持ちがとても大きく、その壁を決して超えられることはなかった。
そんな中、私は今年の7月からもぐら会に入会した。
もぐら会に入会した理由は、「自分と世界とを“自分自身で”掘り深めていく」というコンセプトに惹かれたためである。また現在の育児中心でどうにも気持ちが行き詰りがちな生活に風穴を開けたいという思いもあった。
入会した当初は、「書くことコース」に入会しようと思う気持ちは微塵もなかった。「他人に自分の書いた文章を見せる恥の気持ち」が尚強固に存在していたためである。
しかし、もぐら会に参加するうちに、その気持ちが徐々に変化していった。まずもぐら会の方々の文章が素晴らしい。適度に自己開示をしながら、人の心を揺り動かすのだ。決定打となったのは、10月のお話会の最後に紫原さんがされた「外に向けて文章を書くことの意味」の話である。確か「自分だけに向けて書いていると、どんどんうちに籠っていってしまうので外に向けて文章を書くことが大事」というお話をされていた。「そうかもしれない」と私は素直に納得した。
そして、10月のお話会の夜に夫と色々話して自分に生じた気持ちをもぐら会の皆さんにシェアしたいという気持ちが生まれた。もぐら会の皆さんは非常に温かく、まさに「拡張された心」が存在するような安心感がある。「もぐら会のみんななら大丈夫かもしれない」、そう思うと同時に私はパソコンに向かっていた。
そうして「誰かに伝えたい」という気持ちを持ちながら文章を書くことは、何と想像以上に楽しかったのである。もぐら会のfacebookグループに「書きました」と投稿するときは指が震えた(なんせこうして人に見せる文章を書いたのが初めてだったので)。そして、若干の羞恥心が芽生えた。例えるなら、喋り過ぎた飲み会の翌朝と同じような気持ち。
そう、私は自己開示することが大の苦手。話すことも得意ではないが、まだましだ。話したことは、会議でもない限り記録に残らない。しかし文章は別だ。記録に残るし、ある意味私にとっては最難関の自己開示の方法かもしれない。
でも、「公開する」と決めて文章を書くことは、ひっそりとやっているブログを書くことよりも格段に楽しかった。言うならフロー状態に入っているような感じ。
そして文章を公開することで、自分の中に存在する何重も重なっている強固な膜が少し剥がれた気がしたのである。さらには自己肯定感が極端に低い自分のことをちょっと好きになれたような気さえした。これは、自己啓発本をいくら読んでもなかなか変わることのできなかった私が、近年感じたことのない感覚だった。
これは文章を書くことを続けたいし、学んでみたい。私はこうして復学するまでの半年間限定でもぐら会の「書くことコース」に入会を決めたのである。そこで思い出したのがこれだ。
自分の中に大きなキャビネットがあって、そこに引き出しがいっぱいあるんですよ。
村上春樹、川上未映子(「みみずくは黄昏に飛びたつ」より)
というわけで、「書くことコース」入会の目的は、村上春樹のいうところの自分の「キャビネット」の引き出しを開けることとしておこう。きっと決められたテーマについて書くのは難しいことなのだろうと容易に想像できる。でも、来月から新しいことを始めるわくわくする気持ちに今は浸っていたいと思う。