【掌編小説】Twilight Legacy

初春の夕暮れ時、島にスターがやって来た。
正確には、帰ってきた、と言うべきか。西側にある島唯一の港に泊まった定期便から、水上志門みずかみしもんは桟橋に降り立つ。その風貌は、薄手の黒いパーカーに、穿き古したデニムのジーンズ、右手にクラッチバッグをひとつ携えただけという軽装。前髪が両目を覆い隠すほどに長いこと以外は二十年前と何も変わらず、彼は右肩下がりの側弯の身体をのっぺりとよろめかせて島に足を踏み入れた。
明日は嵐になると聞いて、鈴森小春すずもりこはるは観光案内所に併設されている八百屋の外で売っていた野菜や果物のダンボール箱を屋内に移している最中だった。数日前から腰をいわして調子が悪い母に代わって、箱入りのジャガイモやら玉ねぎやらニンジンやら、蜜柑や桃なんかを台車に積んでひたすら押していく。
志門の耳がイヤフォンで塞がっているというわけではなかった。でも、その時は、わざわざ声をかけなかった。彼が左手の人差し指でテンポを刻んで、ボソボソと何かを口遊くちずさんでいるのが遠目に見て判ったから、小春は気づかないふりをして売り物の撤去作業を続けた。
外販売のひさしになるように設けてあったタープを解体し、支柱だったポールは建物内に運び込んで横倒しにしておく。屋根だった防水シートは園芸用土のコーナーに覆い被せて、吹き飛ばされないようにコンクリートブロックの重しを載せた。
大方の作業が完了して、雨戸を下ろす頃になると、夕陽の茜色はすっかり水平線の彼方へ没してしまった。入れ代わるように藍色の帳が垂れ込みつつある辺りには、まだ少しばかり冬の名残をまとう肌寒い涼気がざわざわと満ち始めていた。
島の子供たちは中学を卒業すると、そのまま家業を継ぐか、あるいは親元を離れて内地の高校へ進学して一人暮らしを始める。今の子たちは男女問わず大学まで出る子が珍しくないけれど、小春が十代だった頃は、女は中学を卒業すれば嫁ぎ先の家業を継ぐのが常識だった。その慣例に倣い、実家が神社である志門は、兄の慈玄じげんさんが神主を継ぐことが決まっていたために島を出て行き、それきり戻ってこなかった。
中学を出ると、小春は一年ほど実家の八百屋を手伝いつつ接客業務を覚え、ほぼ同時並行で、調理師になるために鈴森家の営む旅館の厨房で修行を積んだ。二年の歳月を経て調理師免許試験の受験資格を得て、晴れてそれに合格すると、約束されていた鈴森家に嫁いで旅館経営に従事し、十九の時に長男の浩一郎こういちろうさん、通称コウちゃんと結婚した。そこから、通信教育で高卒認定を受けたり、食品衛生責任者などの細々とした講習を修めたりもしつつ、十年ぐらいは基本的に仲居や板前として四六時中を旅館の業務に費やしていた。
だが、ここ最近は実家の八百屋の運営が生活の中心になっている。
母の腰痛がひどくて診療所へ連れて行った際に、内地の大学病院の泌尿器科で詳しい検査をすることになった。そこで、腎結石が見つかったのと同時に、慢性腎臓病のステージ3、余命宣告はされなかったものの、遠くないうちに通院による透析治療をする必要が出てくるかもしれない、と診断された。以降、漁師の父が八百屋の面倒も見るようになり、小春もコウちゃんに事情を説明して、連休や観光シーズン以外で島全体に閑古鳥が鳴いている期間は、実家に戻って力添えをしているという次第である。
父は命にかかわるような大きな病気は今のところしていない。しかし、糖尿病で高血圧、加えて常に肩が重怠いようで、年齢どおり順当に身体にガタが出てきているようだ。
コウちゃんとの間に授かった息子のさとしがこの春から高校生になり、島を出た。毎日の面倒を見なくてよくなったことで、両親への気配りにより集中できるようになったし、ようやく子育てから解放されたような心地がしている。
今日は母が大学病院へ定期検診へ、父はそれに付き添っていて朝からいない。夜の高速船で帰ってくると言っていたから、日中の業務から店じまいまで任されていた。おまけに嵐の前でそれなりに客足が伸びて忙しく、同時に暴風対策で撤去作業を急がねばならなかったため、さすがに骨身に応える労働をして疲労困憊である。
このあとコウちゃんのところへ戻って慧の晩ご飯を作らなければならないことになっていたら、少々気が滅入っていただろう。そんなことを考えながら、小春は本日の売上を集計して日報に記録を残し、レジを締めた。

作曲家、作詞家、編曲家、ギタリスト、バンドマン、ダンサー、映像作家……。インターネットで『水上志門』と検索すると、ごまんと並ぶ記事の数々ではそのような肩書がずらりと紹介されている。
島から去って行った小中時代の同級生の近況など興味ないので知らなかったが、四年前から二年前までの二年間は活動を休止していたらしく、完全復活を遂げた昨年はイギリスと韓国でワンマンライブコンサートを成功させているとのことだ。“Shimon”の名で欧米諸国での人気も広まってきているようだし、国内においては彼の名前を一度も聞いたことがないという若い子のほうが珍しいかもしれない。海原に突き出た波止場の先端に座り込んで毎日のようにアコースティックギターを弾いていた少年は、二十年の時を経て、今やすっかり人気アーティストになってしまった。
天才、鬼才、非凡、異次元、神童……。ネット記事を漁ると、仰々しいワードがいくつも眼に入る。
しかし、夢を追う人間ならば憧れないはずがない評価をほしいままに世界を跨ぐ音楽家は、小春の記憶にある志門の姿とは全く相容れなかった。世間の声とはかけ離れた、いわば平均の権化のような男子で、天才だとか神童だとか、そんな大それた異名で呼ばれる才覚があったとは到底思えないほど、本当に普通だった気がする。
急に歌い出す少年。そして、音痴。これが、物心ついた頃から中学を出るまでの十数年を島で共にした志門に対して、小春が抱いている印象である。
空が晴れていれば、晴れていて気持ちが良いという内容の歌詞をメロディラインに乗せて即興で歌い出す。それも、歌と呼べるほどの物ではなく、酒に酔った父が風呂でわけのわからないことを適当に口遊むようなそれに似ていて、聴く者を惹きつけるような音楽を奏でるのとは違っていた。変なの、何それ、意味分かんない、彼が歌い出した歌詞を聞いて、小馬鹿にしたようにツッコミを入れていたことが鮮明に思い出される。
遠い日の淡い記憶に浸りながら今を時めく天才ミュージシャン水上志門に関するネットニュースをしげしげとスクロールしていると、家のチャイムがミードーと鳴り響いた。もう両親が帰ってきたのだろうか、と小春は一瞬だけ思ったが、すぐにその予想は打ち消される。
「小春、いるかー?」
勝手口のほうから聞こえてきたのは、コウちゃんの声だった。
時間を確認すると、もうすぐ午後七時を回ろうとしていた。しかし、両親は母が検診を終えたら内地で外食をして、それから午後八時台の最終便で帰ってくることになっている。
「はいはーい」
声をあげながら小走りで勝手口へ向かい、鍵を開ける。ドアの向こうにはブルーのワイシャツに紺のスキニーパンツを合わせたコウちゃんが立っていた。
「おお、さんきゅさんきゅ。もう帰ってたか」
繁忙期ではないとはいえ、旅館には旅行客が宿泊しているはずだ。まだ夕食の時間帯なのにもかかわらず、料理長がコックコートを着ていないとは、いったいどういうことだろう。
「うん、さっき店閉めてきたとこ」
「そうか。悪いな、外のもん片付けるの手伝ってやれなくて。お父さんもいらっしゃらなくて小春がワンオペになる、ってのは聞いてたんだけど」
「いいよいいよ。そっちは? もう終わったの?」
小春は驚きの声をあげながらも旦那を迎え入れようドアを全開にしたが、コウちゃんは一歩も動くことなく続けた。
「お客さんのほうは親父が引き継いでくれてる。そんなことより、もう夕飯食っちまった?」
「いいや、今からなんか、きしめんでもすすって以上終了かな、とか思ってたとこだけど」
「今シモちゃんが帰ってきててさ」
コウちゃんが当惑を隠せないといった様子で語気を強める。五歳年上で昔から自分たち世代の兄貴分のような立ち位置だったから、可愛がっていた弟分が久方ぶりに帰郷してきて愕然としているのだろう。
「ああ、そう。今日だったの」
「なんだ、聞いてたのか」
「慈玄くんからふわっとね。近々帰ってくるっぽい、みたいな程度だけど。なに、もう島にいるの?」
「ああ、そんで、紫苑しおんの間で飲まないか、って野郎どもで話が持ち上がっててさ。飯まだなら来いよ。できればちょっと厨房にも入ってほしい、ってのもあるんだけど」
紫苑の間とは、『旅館 鈴森』に用意されている最も広い客室である。
「うん、わかった。準備したら行くよ」
内心では億劫な心地も抱きつつ、お腹は空いているし、島に残った同年代の野郎どもと飲むのも悪い気はしないので、渋々といった感じで小春は答える。
「ありがとな、ほんと。助かるよ」
コウちゃんは両手を合わせて申し訳なさそうに片目を瞑ると、やはりまだ通常業務が山積しているらしく、きびすを返して足早に去って行った。

「厨房入るの、もしかしたら一ヶ月ぶりぐらいなんじゃないか?」
明日のお客様の朝食を追加で仕込んでいくコウちゃんの声は、小春の迷いのない手さばきを前に感嘆の色が滲んでいた。
「ああ、そうかもね」
調理場ではあまり会話をしたくないため、小春はぶっきらぼうに答える。十年もやっていれば、一ヶ月離れたぐらいではなまらないだろう。でも、正直、旦那であり料理長であり師匠でもあるコウちゃんに褒められるのが、結局は一番嬉しかったりする。
作り置きしてあったニシンと菜の花のお漬物を盛り、枝豆に塩を振って茹で、バイ貝を酒としょうゆとみりんで煮つけ、メジマグロとスズキを捌いて刺身を取り、サルエビに片栗粉をまぶして揚げる。冷蔵庫にあった小鮎の甘露煮の仕込みに手を伸ばすと、お客様の明日の朝食になるからとコウちゃんに止められた。
突然のスター来航に際して紫苑の間に同席しているのは、同世代の十二、三人程度らしい。灯子とうこ姐さんと風花ふうかちゃんが来ているようだが、あとは野郎ばかりだとか。島のじじばば達まで飲みの席に参戦していたら、間に合わせられなかったかもしれない。そのぐらいの在庫をざっと眺めて、即席で食材を組み合わせながら、小春は疲れた身体に鞭を打って、酒のさかなになるような小鉢を量産していく。
「リンちゃーん、とりあえずこれ、紫苑まで持ってってくれる―?」
仲居のリンちゃんに指示を出す。島の中心に広がる丘で蜜柑農家を営む遠藤さんのところの娘で、長期休暇の間だけ旅館に住み込みで働いてもらっている女子大生だ。業務が終わって退勤する寸前だったのにもかかわらず、急遽決行することになった大人の同窓会の準備を快く引き受けてくれた。
「はーい。コウさん、残業手当、二時間分はもらうからね!」
リンちゃんは小春から盆を受け取ると、コウちゃんに向かってしたり顔で叫んだ。
「はい、かしこまりました!」
ひと回り以上も年下のバイト相手に、コウちゃんは妙にかしこまって場を和ます。
リンちゃんは確約された超過勤務手当に得意げになり、小春と目を合わせてニッと頬を吊り上げると、紫苑の間へ向かってスタスタと去って行った。着物を着ている勤務中のしとやかさが失われた堂々たる足取りを見送り、それから釜で鯛飯を炊き始める。業務は丸一日かかるため、あまりの忙しさにすぐ辞めてしまう子も多い中、伸び伸びとやれているようで安心した。そして、バイ貝の煮つけにり下ろした生姜を入れ忘れたことに気づき、少しだけ萎える。
疲れている。身体は悲鳴をあげている。でも、八百屋での力仕事とは別の作業だから、良い気分転換になる。しばらく離れていた調理場に立ち、昂揚感のみなぎる手先が自由自在に流れていく。言われるがままに料理人になり、言われるがままにコウちゃんと結婚し、自分から何かを主張したことはあまりないが、やはり自分はこの島に残って良かったのだと思う。

―――上京して、音楽をやろう。おれが曲を書いて、小春が歌うんだ。
―――ええ、いやいや、わたしはこの島に残るよ。
―――小春、本当にそれでいいのか?
―――良いに決まってるじゃない。唄はこの島でだって歌えるし。
―――おまえの歌声は、こんなところでくすぶってていいものじゃない。もっと、大勢の人に聴いてもらわないと……。
―――別に、歌手になりたくて歌ってるわけじゃない。それに、島を出て東京に行って、仮に大勢の人に聴いてもらえたとして、それが何になるって言うの? わたしはこの島が好き。この島の人たちが好きなの。そんなにわたしの歌声を聴きたい人がいるのなら、そいつがこの島まで来ればいいのよ!

久方ぶりの同級生がスターダムの階段を駆け上がって帰還してこようと、腕をふるって手の込んだ料理を作ってやるつもりはない。お客様に提供して代金をいただくものではなく、ごくごく普通の島の家庭料理をちょっとばかし豪勢に盛りつけていくだけだ。メインは昆布出汁だしベースの鍋で、鯛とぶりを各自でしゃぶしゃぶしてもらおうと考え、小春はさっさと準備に取り掛かった。
「小春さーん」
リンちゃんに呼ばれた。
「はーい!」
鰤の刺身を一心不乱に薄く切りながら、小春は呼びかけに応える。
熱燗あつかん頼めないか、って灯子姐さんが」
「ありがとう。用意しまーす!」
そう言いながら、小春は内心で恐怖した。灯子姐さんは漁師の男たちが撃沈していても飲んでいる、島一番の酒豪だ。
「くれぐれもスターに手出すなよ、ってリンちゃんからくぎ刺しといて!」
おなじことを考えていたのか、コウちゃんがそわそわした様子で指示を飛ばし、調理場は笑いに包まれた。

港の定期船が出港する時に鳴らす、ボォーという低く唸るような汽笛。それが「ド」だと知るよりもずっと前から、小春はその音のことをよく知っていた。
完璧とまではいかないが、音楽の授業や番組で聴いた曲の音階を、そのまま鍵盤を押さえて奏でることぐらいはできた。学校や家のチャイム、コンビニの入退店時に鳴る音、船の汽笛、青信号の合図、救急車のサイレン……。日常に響くドレミも、わざわざ鍵盤で音を探す必要などなく一発で当てることができる。
学校とは別で楽器を習っていたというわけではない。そもそも、離島の八百屋で生計を立てる我が家にはピアノやらヴァイオリンやらを習う余裕はなかった。それを不憫ふびんに思ったことなんて一度たりともないし、なんなら音楽の授業も苦手だった。
でも、ただ、絶対音感があった。志門や父が口遊む歌の音程が原曲のキーと違うと、気持ちが悪くてつい指摘する癖があった。
灯子姐さんは舌先が鼻尖に届くし、慈玄さんは耳をピクピクと動かせるし、コウちゃんは水中で三分も息を止めていられる。その人にとってはなんの造作もなくやってみせてしまえる特技みたいな感じで、小春は聴こえてきた音をほぼ正確にトレースして、ドレミの音階に変換することができた。
小学一年生で鍵盤ハーモニカをもらい、初めてドレミファソラシドと奏でたとき、ああ、この音は、と瞬時に頭から風景を取り出すことができたのをよく憶えている。船の汽笛はド、カラスの鳴き声はファあるいはソ、救急車のサイレンはシーソーシーソーと鍵盤を押さえれば表現できる。ドの音を「ド」と呼ぶのだと知るよりも前から、小春は音を認識する感覚器官が他の子よりも鋭敏だったらしい。
しかし、ピアノは弾きこなせない。あくまでも絶対音感という、ただそれだけ。和音は解るから、耳にした曲のコード進行をたどたどしくなぞることならできる。曲をある程度聴き込めば主旋律の音も迷うことはない。けれども、本格的に楽器を練習する機会などなかったのだから、左右の指先を別々に動かして、和音とメロディを同時に奏でるなんて芸当は到底無理だ。
東京で音楽をやろう、と水上志門から誘われたことを、小春は二十数年ぶりに思い出した。
十五歳の春。中学を卒業して、彼が高校進学に伴って島を出る、その前夜のことだ。
時空を超えて、志門は今を時めくスターに成り上がった。あんなに平均が服を着たような陰気な少年が、今では天才だとか神童だとか持てはやされ、夢追い人たちの憧れの的になっている。
笑ってしまう。彼は天才なんかじゃない。彼の音楽が世界中で愛されているのは、他でもない、並々ならぬ努力の賜物だ。ほんとうに、びっくりするぐらい下手くそだったのだ。
小春は考える。あの時、彼がこうなる未来を信じて一緒に上京していれば、今頃は自分も大スターだっただろうか。誘いを断ったことを後悔しているだろうか、と。
いいや、と即答して首を振ることができるのは、もうこの島の地にしっかりと足がついているからかもしれない。
父が祖父から受け継いだ漁船。
母が営む八百屋。
旅館 鈴森。
慧の帰る場所。
この島を旅行先に選んでくださった観光客の笑顔。
この島で暮らすことを選んだ人たちの生活。
この島で生き抜いた先代の足跡。
この島の歴史から託された遺産。
ぜんぶが宝物だ。他にも、まだまだ、いくらでも挙げられる。命ある限り、何と引き換えても守り通したいものが、この島には抱えきれないほど沢山ある。世界や音楽を相手にしている人間に比べれば、眼の前に広がる辺鄙へんぴな田舎の景色などひどく狭くちっぽけな存在なのかもしれない。でも、売れっ子アーティストになって巨万の富と名声を得るよりも、ずっとずっと大事なものが、光が、願いが、この島のいたるところで煌めいているのだ。ある時は八百屋の娘として、またある時は旅館の料理人として、仲居として、鈴森浩一郎の妻として、慧の母として、この島で生まれ育った人間としてこの島で死に往くことを、心から誇りに思う。
小春とコウちゃんの夕飯として二人分の雑炊の用意を持って酒の席に合流する頃には、水上志門を含め大半の男たちは顔を真っ赤にして撃沈していた。同窓会は大いに盛り上がり、最終的には主役の志門を差し置いて、酒豪の灯子姐さんの独壇場だったようだ。
余っていた小鉢の残りを摘まみ、鰤しゃぶを二切れもらい、ちびちびと日本酒を呷りながら雑炊を作った。話し相手がいなくなって退屈してたのよ、とピンピンしている灯子姐さんのマシンガントークに付き合っているうちに夜も更けて、空模様に嵐の予兆が滲み始めたところで宴は強制的にお開きとなった。

諸々の片付けをして掃除を済ませ、母の体調が心配だから、とコウちゃんに断って、小春は実家へ帰った。
余命宣告を受けた、と母から直接告げられても、小春は驚かなかった。
実感が湧かない、というのとはまた違う。慢性腎臓病と診断された日から、ずっと、覚悟していたことだ。
ステージ4、腎臓の機能が約30%以下にまで低下しており、回復させることが極めて困難な状態。透析治療を遅らせるために食事管理や運動習慣をより厳しく見直す必要があり、ステージの進行に伴って心筋梗塞や脳卒中などの合併症のリスクが飛躍的に高まるらしい。
「諸々の健康状態や生活習慣も合わせてみて、あと十年だってさ」
母は少しばかり不服そうに、あっけらかんとした口調で言う。
あと十年。何が。母の命が。
あと十年で、母が死ぬ。それは、自分の世界に、どのような影響をもたらすのだろうか。いまいち想像できない。でも、幼い頃に祖父母が亡くなった時とは決定的に違う何かが、実親の死にはあるような気がした。
十年。三千六百五十日。何時間なのかは、すぐには計算できない。長いのか短いのかすらも、よくわからない。もしかしたら、それ以上長生きするかもしれないし、あるいは、それよりも……。
「無理せずにね。極端に負担になることは、わたしがやるから」
今はまだ受け止めきれない残忍な現実から目を逸らし、小春は努めて微笑を維持して言葉をかける。
「大丈夫よ、普段どおりで。多少の運動も大事だって、先生もおっしゃってたし」
「今日みたいな、外の物の撤去とかさ」
「そうね、そういうのはお願いするかも」
腎臓の機能が低下していると言われても、自覚症状が現れにくい病気だから他人事みたいだ。
とりあえず、急激に悪化しているというわけではない。慢性腎臓病という病気の医学的な知見どおり、着実だが、緩やかに進行している。その事実は、小春の胸に張り詰めていた不安を幾分か和らげるのには十分な朗報だった。

夜半に轟々と唸り声をあげて訪れた嵐は、暖かな陽気に誘われて開いた桜の花びらに不意打ちを喰らわせる勢いで島を洗い流し、丸一日が経つと満足したように吹き去っていった。

ああ、またやってる。
そう感じて、小春は目を覚ます。そして、何を思うこともなく、誰がどこで何をしているのか、すぐにはっきりと見当がついた。
ベッドに身を起こし、遮光カーテンをひとひらだけめくる。窓の外を垣間見ると、まだ夜明け前で、水平線の向こうが薄ぼんやりと白み始めているかいないかといった頃合いだった。
また、やってる。輪郭がほのかに浮かび出した港を眺めて、改めて思う。
窓を開けると、潮風がカーテンをふわりと揺らした。アコースティックギターの柔らかな音色が、ポロン、ポロン、とわびしく響いていた。
隣の寝室では母がいびきをかいて眠っている。毛布から脱け出して一階へ降りると、父は漁に出ているようだった。自分が中学生の少女に戻っているような気がして、玄関を出るときに姿見を一瞥したが、そこには抗いようもなく二十年あまりの月日を経てきたアラフォーの女が映って、むしろ小春はほっと胸を撫で下ろした。
道路脇に伸び散らかる雑草が、そよ風に吹かれてするすると擦れる。昼間は半袖で過ごすことが多くなってきたが、明け方はまだ肌寒い。
見慣れない野良猫が一匹、母屋を囲む石垣の上で丸くなっている。定期船に迷い込んで、そのまま連れてこられたのかもしれない。
サンダルを突っ掛けて、港までぽつぽつと歩いていくと、凪いだ海原に突き出た波止場の先端に、一人の少年がいた。いつもと違うことはといえば、少年の背が伸びたこと、雨後で地べたが濡れているため折り畳み式の椅子を持参していること、そのぐらいだろうか。
少年の背中に近づいていくと、飄々ひょうひょうと流れる曖昧な音の連なりは、いつの間にか粒々と色づき出し、やがて聞き馴染みのあるフレーズを帯び始めた。それは、小学生の頃に嫌というほど聴かされた、当時一世を風靡ふうびしたバンドの代表曲のイントロだった。
でも、あまりわくわくしない。懐かしいと思えない。大きくなった少年が、物凄く悲しそうに、辛そうに弾いているからだ。
怖いのか。耳に入ってくる音色を、小春はいぶかしげに聴いていた。
波止場でアコースティックギターを奏でる、いつもの少年。
今時の若者を魅了する、スターの水上志門。
震えている。あの頃と何も変わらない少年が、来るところまで来てしまったことに、狼狽うろたえている。この先に広がる景色へ、次の一歩を踏み出すのが恐ろしくて、怯えている。志門の奏でる馴染み深い曲からは、哀愁のような、迷いのような、焦りのような、後悔のような、そんな音色がしっとりと滲んでいた。こんな姿になりたくて、こんな景色を見たくて、自分は音楽をやっているのではないのだ、とむせび泣いているような。
一昨日の宴会では馬鹿みたいに酔い潰れていたから、彼が帰ってきてからまだ一言もまともに口を利いていない。この瞬間に、自分は彼となんの話をするのだろうか。
水平線の切れ目から、眩い黄金色の光が差し込む。
朝だ。
この島で生きることを決めた。この島に代々託されてきた宝物を、しっかりと自分も受け継いでいくことを。
母の死が近い。自分だって、慧やその下の世代まで面倒を見ることは、絶対にできない。
でも、自分が死ぬまでは、同い年の少年が毎日ギターを弾いていた、この場所もちゃんと遺しておきたい。無限に膨れ上がる期待と不安に浮足立つ少年が、いつでも振り返って、安心して帰ってこられるように。
実家の神社に置き去りにしていたらしい、あの頃のアコースティックギター。背後から近づいてくる足音に気づいたように、ぴたりとその演奏が止む。
少年の名前を呼ぶために、少女は嗅ぎ慣れた潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


*この物語はフィクションです。登場する固有名詞は実際の人物や団体とは一切関係ありません。

*筆者は調理師、旅館業、音楽、医学、離島での暮らし等の経験がありません。また、執筆に際してでき得る限りの手を尽くして資料の調査を行いましたが、基礎知識にも乏しいため、描写には客観的・科学的な事実とかけ離れた認識の齟齬そごがあるかもしれません。あくまでも物語の一節としてお楽しみいただければ幸いです。

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