Hellper

読まなくても、大丈夫です。
読んでも、ああ、時間を奪われた、と感じるだけです。
貴方はとっくに気づいているのですから。

朝、ニュースで誰かが死んだことを目の当たりにすると、涙が出ます。
一人だけが死んでも、大勢が死んでも、その悲劇が凄惨であればあるほど、胸が締め付けられるような思いに駆られます。
小さなアリが大きな虫の死骸をヨロヨロと運んでいる姿を見ると、「がんばれ」と心の底から思います。
わたしは、わたしには、救いようがないのだ、という真実を、そろそろ自覚しなくてはなりませんね。
お医者様も、神父様も、芸術家も、先生も、恋人も、親も、お子様も、誰も貴方のことを救ってはくれません。差し伸べられた救いの手が、貴方には見えないのですから、致し方ありません。
人間の行く末は分かりませんが、人類の行く末は分かります。
音楽家がどれだけ愛を説いたって、人は人を殺しますし、人は死にます。
学者がどれだけ人間社会の行く末を憂いていようが、人間社会は予測された通りに成り果てます。
医者は医学的見地においてのみ、貴方を救います。基礎疾患を有する者は、新たに持病を抱えると、面倒がられます。散々病院をたらい回しにされた挙句、症状は悪化して、貴方は死にます。ヒーローにはなれない医者の延命措置には、必ず損得勘定が働きます。自分の手で死なせてしまうリスクのある患者を、わざわざ救おうとはしません。
「どうせ、私が死ぬ時に、息子はそばにいないんだろうな」
はい、いません。
貴方の親はどうでしたか? 
貴方の親が死んだ時、貴方はそばにいましたか? 
そばにいたとして、貴方は何かしましたか?
救おうとした? 祈った? それは、何か意味のある行為なのでしょうか。
死ぬ時は死にます。死ぬ時は、死ぬのです。数日後でも数年後でも、数秒後でも。
命を誰かに託すことはやめましょう。人生を誰かに託すことはやめましょう。
手っ取り早く誰かに救われた気になるのではなく、自分で他人ごと救ってしまえるような手筈を整えなければなりません。
誰もが、少しばかり淋しいのです。金やら権威やら性欲やら、有象無象に縋りつくのは、満たされたと脳を錯覚させるためです。
わたしがこのような独りよがりの言葉を滔々と紡ぐのだって、例外ではありません。こんなにも貴方を愛しているがゆえに、何をしても貴方を救えないこの身体が、憎たらしくて仕方がないのです。
愛している。信じている。
言葉にしてしまうと、空虚なものです。
大きな不安を抱えて、それでもヨロヨロと前進する貴方。あえて言いますが、貴方は本当に惨めで、そして、本当にかっこいいです。
救われた気になっている場合ではありません。
周りに流されている場合ではありません。
こうしてはいられません。
もっと力を抜いて、貴方を、私を、救う手筈を整えなければ。
「わたし」自身で、わたしが救われなければ。
さあ。

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