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エッセイとは何か。

エッセイを書きたい

自分はエッセイの本を読むのが好きだ。
特に食べ物などの飲食にまつわるエッセイは、想像がしやすいし、時に心を掴むような話もある。そのようなエッセイを読んでいて、ふと、自分もエッセイを書いてみたいと思った。
エッセイを書く上で改めてエッセイとは何かを調べたところ。

エッセイとは、実体験や人から聞いた話等をもとに、自分の思いや考えを文章にしたものです。文体や語り口など形式に決まりはありませんが、日記とは違い、誰かに読んでもらうことが前提となります。「楽しい」「良かった」で終わらず、そう感じるに至った心の動きや背景等を掘り下げ、“読者”を意識して書くことが大切です。

高校生ふくし文化賞エッセイコンテスト  
書き方のコツ より
https://00m.in/kuPuS

と書いてありました。
最近はやりの『言語化』であるが、やはりイメージのみで頭にとどめておくよりは、一度言葉にして思考を整理すると、より深くはっきりと心に思い出や考えが残る気がする。最近よくアウトプット系の本を読んでいる。その中でも思考をイメージに留めず、言語化する。とよくある、浅い思考で終わらせずに、何でそう思ったか、何でそう感じたか、と自分と対話する形でどんどんと自分の考えの根本を探っていく感じだ。
こういう行為に意味はあるのか、だから何なのだと、と思われるかもしれないが、私は言語化することにより、自分のイメージをよりはっきりとさせ、整理して、あとから引き出しやすくしたいだけ、ただ脳にある引き出しにごちゃごちゃと思考の”走り書き”が丸めて捨てられるように入れられてたら、欲しい時に探し出すことが大変なので、一度その丸めたものを開き、並べて、まとめて、整理する。そしてその整理したものをまたわかりやすいようにジャンル別に引き出しに戻すように、いつでも整理された思考の書類を引き出してこれるようにしたいのである。
折角、色々なものやことにふれて生きているのに、その場だけというのは勿体ない気がする。おいしかったお酒や食べ物、楽しかった思い出、感動した映画、笑った動画、なんでも良いが、感情が大きく動いた瞬間というのは、いつ思い出しても楽しいものだと思う。そうしたその場の感情を改めて思い出す際にこのようなアウトプットの場所があるととても都合が良い。
人生、時間なんて無限にあるものじゃない、そう思うとなにも考えずにただ時間の経過だけを感じるのはもったいないと思ったのだ。

なんだかんだと書いたが、私はエッセイを書いてみたいのだ、
というよりも、文章を書くこと自体好きなのだが、その文章を書く上で一番ちょうどいいと感じたのが、エッセイという形なのだ。

だから私はエッセイを書きたい。


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