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差し伸べられたその手は、汚れていないか?

仕事で悩んだ時、困った時、誰かに相談したり場合によっては手伝ってもらったりすると思う。
こちらからお願いするなら良いのだが、注意すべきは相手側から声を掛けられた時だったりする。

「大丈夫か?困ってるのなら助けてあげるよ」

性善説を信じたいので、手を差し伸べてくれる人は基本的には心優しい方が多い。そもそも一般社会では、このように振舞う事が当たり前だと思う。

しかし残念ながら、仕事(ビジネス)の場面においてはこのようなシーンは疑わなくてはいけない。
私自身、過去に盛大に落とし穴にハマったことがあったから。

まずはトラブルメーカーへ

多くの企業が抱える問題の一つに「縦割り」がある。
ちょっと頭を柔らかくして他部署とセッションすれば解決できることも、部署単独であれこれコネくり回して問題解決に突撃してしまうので、その答えが歪んだ結果を生むことになる。
私自身はすぐ他部署の知り合いに詳細を確認したりするのだが、これもまた私の上席は気に入らなかったそうだ。
「我々の問題だから、相談する必要がない」ってね。

環境問題を解決するための施策を考えていた時、自部署内だけで企画した。環境意識を盛り上げようという主旨の啓発活動だったのだが、これが役員の承諾を全く得られなかった。
その理由はこうだった。
「かける時間や労力に対し、啓発活動の成果が定量的では無い」
全くもって正論。
自部署の上席達はすっかりトーンダウンして、それ以上企画することを諦めた。私に対してもそう促してきた。結果は失敗だが、よく統制の取れた組織という意味では合格だと思う。

ただ、私は諦めなかった。業務指示に従わない悪者である。

あろうことか、私の部署とは部門の異なる管理部門の役員に相談を持ち掛けた。
その役員とは、部署横断型チームで毎年実行していたCSRレポート制作業務で良く知る仲だったので、上司でもないのに気兼ねなく相談できた(そもそも一係長が役員と仲良く振舞うので、私はいろんな人から変人扱いされている)。

その役員は簡単に「助けてやる」という意思を示してくれた。
その瞬間、その役員に対する信頼感は倍増である。
しかし、これが落とし穴。

自部署の上席達には散々非難され、その役員の管轄内の部下(課長)の方も「何故こんなことやるのか?」と、四面楚歌。
はっきり言って私はトラブルメーカーだった。
企画を通したいという意思を実現できる望んでいた状況ではあったが、さすがに渦中にいると精神的に堪える。

しかし、その熱意と練り直した企画が教育部門とのセッションを伴う内容だったからか、社長からは一発で承認された。
これには上席達も他部署の課長も、啞然としていた。
助けてくれた役員と私は二人でガッツポーズしていた。

利害の一致

ここまでの話は武勇伝のようだけど、ちゃんと落とし穴がありました。
承認されたのでいざ実行フェーズに移ろうとすると、その役員から静止された。

「この企画は教育部門のメンバーで実行する。君には色々と協力してもらって、すごい助かったよ」

そう、一緒に企画した内容が、実はどっぷりと教育部門で実施すべき事項に染められていたのだ。私は文字通り「企画」しただけで、実行には関与できなくなっていた。
この一件で私の査定評価は上がった。これは喜ばしいことだった。
しかし、教育部門が実施したことで、私の社内的知名度は上がらず、目に見えた実績は教育部門の手柄となった。あの文句を言ってた課長がその中心人物として。

企画を通したい私。
自部署の実績をあげたい役員。
手柄を得たいその配下の教育部門。

他人から見れば利害の一致したすばらしい活動事例だと思う。

代償

私自身の単なるワガママではあるが、企画したからにはある程度実行フェーズまで携わりたいものだ。隠さず本音を言うなら、その立役者として認知もされたい。

そんな欲望にまみれていたから、こうなったのだと納得している。
助けてくれた役員が、一枚も二枚も上手だっただけである。これは社内の出来事だったからよかったものの、不特定多数の一般社会ではより劣悪な状況に陥る事も想像できる。

悲しい現実として、安易に差し伸べられた手は疑わなくてはならない。
助けられるという事は、何かを代償に捧げなければならないから。

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