アニメ フルーツバスケット25話感想 ~原作17巻を片手に~ 前編
2020年9月21日(厳密には22日)久方ぶりにアニメに殺されました。
本当に久しぶりの経験でした。年々見るアニメの作品数が減っており、そこにかける情熱も全盛期よりは衰えていっているため、仕方ないといえば仕方ないのですが、やはり次回予告からの一週間を悶々と過ごし、震える指で再生ボタンを押し、心臓を狂わせながら作品鑑賞をすることのなんと楽しいことか! アニメに殺されるのってこんなに楽しかったのかと再確認した日になりました。
あまりの衝撃に一人では耐えられなくなったので、今日は私を殺した「フルーツバスケット 2nd season 第25話」の感想大会をしよう思います。比較対象として、原作にあたる「漫画フルーツバスケット17巻 第96・97話」も読んでいきたいなとも考えています。狂ったオタクの叫びなことに変わりはないので、ところどころめちゃくちゃなのは悪しからず。頭おかしい人の脳内を覗き込みたい人向けです。
1概要
今回紹介する「フルーツバスケット」は花とゆめコミックスで連載されていた少女漫画で、確か世界で一番売れた少女漫画だったと聞いたことがあります。
すでに完結済みの作品ではありますが、その人気は衰えておらず、2019年4月から全編アニメ化企画が進行中です。2nd seasonは2020年4月から放送されており、25話で無事、一応の最終回を迎えました。まあ、ここで終わらせるのは控えめに言って頭がおかしい箇所で終わってるんですけど。「終幕」と最後に出たときテレビに向かってキレました。(恥ずかしいのでみんなはやめよう)
内容としては、母親を亡くしてテント暮らしをしていた高校生・本田透ちゃんが、ひょんなことから、クラスメイトで学園の王子様・草摩由希君と同居することになり、それをきっかけに、名家・草摩家の闇や呪いに巻き込まれたり立ち向かったりしていく感じの話になっています。
草摩家の呪いというのは、家の人間に代々十二支の動物に憑かれた、物の怪憑きが生まれるというものです。物の怪憑きの人間は、身体が弱ったり、異性に抱き着かれたりすると自分が憑かれている動物に変身してしまいます。(例えば、由希君は子(ねずみ)の物の怪憑きなので、ネズミに変身してしまうという具合ですね。)
生まれつきのハンディを抱えた十二支の物の怪憑き達と、彼らを統べる恐ろしい草摩家頭首。そして、十二支の除け者である猫。どこか闇を抱えた草摩家の人々を透ちゃんの美しい心が癒していく姿は涙なしでは見られません。
まあ、この文章読んでいる人でフルバ未読の人いないと思うので、あらすじはこの辺で。もし、未読の方がいたら、ここで読むのはやめて、すぐに本屋さんで原作を買ってください。この文章よりずっと有意義なものが見られます。
2 アニメ25話の内容
ここで扱うアニメ25話は、原作勢の皆さん向けにいうと、紅野さんの独白シーンのところです。つまり、めっちゃくちゃ物語のキーになるところです。なので、読んだけど完結まではいってないなという人、紅野さん?コンビニの人?って人もここでお別れ!解散!! この回の衝撃はちゃんと原作かアニメ版で見ないともったいないです。
原作では96話・97話にあたる話で、私にとっては、続く98話も加えて、全フルバエピソードのなかで最もお気に入りの話です。これがアニメになるのかと全編アニメ化を聞いたときから震えていたので喜びもひとしおでした。
先にいっておくと、私のフルバの推しは紅野さんです。序盤ははとりさん。中間はあーやだったのですが、この96話で予想外のところから衝突事故を食らって沼に突き落とされました。完全に事故だったんですよこれは……。同じく原作読了済みの妹にそのことを話すと「いや、いいキャラだとは思うけど、一番にはならなくない?」と言われました。うん、私もそう思う。
なので、推しキャラ回というのもあって、中立的な語りにはならないかもしれませんが、そこはご了承ください。オタクの叫びだからね、仕方がないね。
3 アニメ(たまに原作)の感想
注意点
※ネタバレを含みます。ネタバレ読んで面白そうだったら原作読もうなんて考えが通用しないレベルの重大ネタバレを含みます。
※アニメの時系列順に感じたことを書きなぐるだけのまとまりのない文章です。
※カメラワークなど映像表現については全くの素人の戯言です。
※画像はなしでお送りします。お持ちの方はアニメ25話の録画(もしくは配信サイトのURL)と、原作17巻を片手に読んでいただけるとより楽しめると思います。
アバン~OPまで
シーン1 アバン
・モノローグによる引きつけ
フルバにはよくあるモノローグはじまり。呪縛からの解放。解放からの新たな呪縛。おわりのはじまりというのは、リンちゃんも言っていました。
モノローグはじまりってとても掴みとして有効だと思っていて、25話も物語のエンジンがかかりだすのがAパート終盤と少し遅いのですが、最初に物語の最高潮を示しておくことで、読者をひきつけて離さないようにしてあるなと感じました。
これまでの話で透ちゃんが必死になって探していた呪いから解放する方法。それがその方法どころか、解ける瞬間が見せられるなんて、そんなの続きを見ないわけにはいかないじゃないですか。
そして、アニメ版では原作にはないシーンとして、紐が切れる映像が加えられていました。第1話で、十二支と神様の絆=呪いの象徴として描かれていた紐が切れる。視覚的にも聴覚的にも「千切れる」を見せつけることで、漫画版より、より明確に呪いが切れる瞬間が表現されていました。
逆に、漫画版ではモノローグとともに、涙を流す幼少慊人と学生紅野さんの二人が書かれるのみで、え?何がどうしてこうなった? 的な、アニメ版とは少し異なる驚きと困惑での惹きつけがされているように感じます。どちらも上手い。
・OP
その後のOPも今日で聞けるのが最後か……としんみりしながら視聴。新フルバOPの中で一番好きな曲でした。「離れてても心帰る場所は君だよ」のところで、今日子さんが映ったと思えば、次の瞬間、透ちゃん、由希君、夾君の三人組に移り変わるのがさあ……。まだ明確に描かれていない透ちゃんの心情変化を表していますよね。これFinalの伏線ね。
十二支達が全員映るのも嬉しい。リンちゃんがAメロでもBメロでもない隙間に置かれているの、彼女の今の立ち位置と孤独をこれ以上なく表していて好きです。純粋に絵としても格好いいし。でもスタッフさん? 他の皆は光のもとに置いてあげているのに、紅野さんだけ影の中に置かないでくれません? 慊人ですら後ろから光入ってきてますよね? 私泣きますよ?(毎週泣いてた)
絶対これ悪意あると思うんだよなあ。
Aパート
★シーン1 草摩家
・原作とアニメ版の冒頭の違い
アニメ版は、朝方の時刻、木にとまる二匹の雀の絵からスタート。原作にはこのカットはなく、ふすまを開けて外を眺める紅野さんが、慊人からふすまを閉めるように窘められるシーンからはじまります。始まり方が全く違うの面白いですが、これもうわかんねえな。比較で語っていたらこの数秒で詰みそうです。
アニメ版は明らかに意図的に雀の姿を入れ込んできています。本当にしつこく登場するのですぐわかると思います。それというのも、雀こそが、紅野さんの呪いが解けていることの証人だからですよね。このシーンも、紅野さんがいる屋敷から離れるように飛び立っていきます。
・カメラワークの違い
その後の展開は原作と同じで、台詞もほとんど変更なしですが、カメラワークが原作と少し違うのはアニメならではだなと思います。最初のふすまから外を眺めるカット、漫画は右から読むので紅野さんが画面右に立っていますが、アニメは画面左に立っていますね。どこかで聞いたのですが、アニメでは画面左が右より優位になるらしく、左の絵から先に目に入ることを想定して描くみたいです。そう思うとコミックのアニメ化ってめちゃくちゃ大変そうだな……。
カメラワークでいうと、一番特徴的なのが最後のキスのシーンで、原作では二人がアップになるんですけど、アニメ版は逆に後ろ側からの引きの視点になります。なんでこんな真逆の演出にしたのかなと思うのですが、アニメ版はギリギリなにやってるかわからないように描かれてるのかなと。原作では結構大ゴマで描かれるシーンでインパクトもあるんですけど、アニメ版のこのカットは本当に一瞬しか映らないので、見逃しそうにすらなります。
現時点では、慊人は男性扱いなので、ここでキスさせると視聴者が混乱するんですよね。原作は敢えてそれを見せ、今後の展開の伏線にしているのでしょうが、アニメ版は隠すことによって最後のシーンの驚愕を増すことを狙ってる気がします。あとは視聴者との心理的距離の表現の可能性もあるかな。女性としての慊人は視聴者にとって未知なので、視聴者から引き離したカメラワークで描いたとかも考えられそう。
★シーン2 学校
・うおちゃんと花ちゃん
うおちゃん……なんて切ない顔をするの。アニメ版はこのシーンでも飛び立つ雀を入れてきます。うおちゃんからすら離れていくのはちょっと悲しいぞ。
このシーン原作では室内なんですけど、アニメ版は屋外なんですね。確かに「空は青いのに寒ィよな~」や「さっさと中入れ」という台詞は室内より屋外の方が適しているような気がします。(まあ、冬の廊下も十分寒いんですが)
あと、ポニテ花ちゃん可愛すぎる。普段のおろし髪もミステリアスで彼女らしくて大好きなんですけど、ポニーテールは大人っぽくて上品な感じがしていいですね。透ちゃんや、リンちゃんも含めて、フルバの女の子達の髪型バリエーションは可愛くて素敵です。
★シーン3 師匠の道場(回想)
・リンちゃんと透ちゃん
ひえ~リンちゃん可愛い~。服の構造が意味わからないけど、そんなとこ含めても好きだ~。今までの彼女なら心内語で済ませそうなことをぽろっと透ちゃんに言ってしまうあたり、心を開いてくれてるんだなと思わずにっこりしてしまいます。何気ない表現で関係性の変化が書かれているの上手いなあ。
その後の怒りのシーン、馬のいななきが入ってるの面白すぎる。音が入るアニメならではの演出ですよね。
あと、続く女のカンのやりとりも大好きなんですけど、このシーン、また雀出てきますね。もちろんアニメのみの演出です。今まで飛び立つ姿ばかり描かれていた二羽の雀が、道場の庭に降りてきます。これは、Bパートの展開の伏線? それとも、透ちゃんとリンちゃんの距離の接近のイメージ? あえて雀を用いていることを考えると、伏線と考えるのが自然かもしれないですね。後に出てくる雀も透ちゃんには懐くわけだし。
・由希君・もみっちと透ちゃん
そして由希君登場。リンちゃんや透ちゃんが原作と同じ服を着ているのに対して、由希君の服装は原作とは少し違います。アニメ版は謎の襟が出てない。リンちゃんがいなくなる場面も、原作は由希君が入ってきた扉から出ていきますが、アニメ版では奥の縁側の方に歩いていく違いがあります。綺麗な動線になっていますね。
由希君は本当に強くなって……。2nd seasonは彼の成長に感動しっぱなしでした。そもそも、24話での彼の反抗がなければ、この話はないんですよね。慊人が不安定な今だからこそ、紅野さんはあの事実を話そうと思えたんだろうな。遠回りをしながらも、慊人を救う鍵になれてるんだよ、由希君。
その次はもみっちで、「いいなあ」以降のカットは原作とアニメで左右反転していました。これもきっと目の動きを意識した構図なんですよね。細かい。
あと、お祈りしようのくだりのさあ、もみっちの声の演技がさあ、ずるいよ。「祈る」という単語は、2nd season 16話の生まれる願いを意識したとしか思えない……。あの回も物凄く泣きました。叶わない願いがあると知っているからこそ願います。くれうお成就して。
★シーン4 草摩家の一室
・原作より冷たすぎるぐれさん
時間的にいつなんだこのシーン。学校のシーンと同じ時間帯なら、わりとお昼間から暇そうなんですけど、ぐれさん……。担当さん泣かせないであげてよ。
やっぱり目を引くのが、アニメ版はとりさんは煙草吸ってないところですよね。全編注目してみていたわけではないですけど、喫煙シーンって減ってるんでしょうか。煙草を吸う男=格好いいみたいなイメージは、今はあまりないですもんね。時代を感じる。
ぐれさんの回想シーンは、原作はぐれさんの視点で慊人の表情を書く形ですが、アニメ版は両方の視点で描かれているため、慊人視点のぐれさんの表情が見れます。その冷たいこと冷たいこと。絶対零度かよ。いい大人が年下に向けていい視線じゃないでしょ。表情筋ぴくりとも動かないの怖すぎ。ぐれさんの冷たさが原作より明確に表現されていて面白いなと思います。
でも、一番冷たいのは「認めないかい?」ですよ。これ聞いたとき心臓が跳ね上がったんですよ。まさかはとりさん相手にあんな声が出ると思わなくて。怒りなのか絶望なのか、自責なのか他責なのか、ぐれさんの呪いに対する複雑が気持ちが凝縮された恐ろしい言葉だなと思いました。原作では「認めないかい?」に対して睨み返すはとりさんが見られるんですけど、さすがのはとりさんもアニメ版では画面に背を向けたままでした。
・フクロウの星について
なんなんですかね? フクロウの星。原作では真白な表紙の本だったので、アニメスタッフさんが意図して書き込んでるのは間違いないんですけど。タイトルも作者名「山上義由」も架空っぽいですよね。Google先生ではヒットしませんでした。
私が連想するのは、宮沢賢治『よだかの星』ですかね。でも、ぐれさんは「よだか」ではないと思う。彼はもっとうまく生きられるんじゃないかな。
もう一つ、フクロウの星で検索してみると、ふくろう星雲がヒットするんですが、天文の知識が皆無なので、何か面白い話をご存じの方がいたら教えてほしいです。
とここまで言っておいて、高屋先生の別作品のパロディとかだったらどうしよう。フルバしか読めていないので、そういうネタは拾えないんですよね。他のも読んでみようかな、おすすめありますか?
・呪いと絆
それにしても、原作を読んだときも「認めないかい?」は刺さったんですよね。私自身が十二支の絆を呪いと思うと同時に、特別な力で繋がった彼ら十二人が魅力的に映った部分もあるので。はとりさんだって、呪いのせいで恋人と片目を失うという最低な思いをしていますが、彼が慊人や他の十二支に甘いのも間違いないし。人が隠している気持ちに土足で踏み込み抉りにくる感じ、さすがぐれさん容赦がない。
ちなみに、この二人、服装が原作と違いました。はとりさんのベストは二色だったし、ぐれさんはいつもの深緑?の着物っぽかったですね。ただ、アニメ版では二人とも黒一色。これは意図したものでしょうか。黒の服といえば喪服ですが、二人は何の喪に服してるのか……考えすぎな気がする。
★シーン5 紅野の部屋
・机の上について
デスクトップパソコン新しくなってる~。今みたら、原作のデスクトップが大きすぎてびっくりしました。いつのパソコンだよ。アニメ版のデスクトップは、画面が自分のノートパソコンと完全一致していたので、Windows10を意識しているのは間違いないと思うのですが、ハードディスクだけとてつもなく大きく見えるのはなんでだろう。あと、ディスクって縦入れじゃない?
あと、机周りも少し違いがあって、原作は書類がかなり散らばっていて、整理整頓ができていない様子が書かれています。対して、アニメ版はとても綺麗ですね。この違いも意図して作られていそうです。
私個人としては、原作の机を見た時、紅野さんの精神状態の暗示なのかなと考えていました。初期の由希君や、真知ちゃんにも片付けられないという設定がありましたが、彼らは精神が安定すると片付けができるようになるので、フルバにおいて部屋の整頓度は心の安定度に直結しているのかなと。
じゃあアニメ版のあの綺麗な机はなんだ? 手帳なんて手元に置いちゃって、きちんと仕事してそうだしなあ。アニメ版が原作に比べて特別安定しているようには見えないけど。まあ、デキる男って感じがして格好良さは増しますね。格好いいからいいか!(思考放棄)
・うおちゃんと慊人のせめぎ合い
お気に入りのシーンです。「シンデレラっぽいもの」の再生が始まった瞬間に幼少慊人の回想が入り、回想の慊人の笑顔をうおちゃんの雄叫びが塗り替える。
これ、きっと序盤は真面目に見てないんだと思うんです。目は画面を見ているけど、頭のなかでは慊人のことを考えている。透ちゃんにも出会っているはずなのに、彼女が出てきても全く反応しませんからね。透ちゃんスルーできる十二支は後にも先にもこいつだけだよ。
それが、うおちゃんの声が聞こえた瞬間、意識は画面に移り変わる。同時に、視聴者が見ている画面も演劇の映像に切り替わる。心の揺れ動きを画面の切り替えで表現していて凄いなと思いました。臨場感などというとわかった感じになってしまいますが、一種の追体験なのかなと思います。
ただ、ここの演出は、どちらかというと原作の方が好きなんです。アニメでは、うおちゃんの声と同時に、幼少慊人の映像が目を見開く紅野さんの映像に移り変わります。ここが原作では、うおちゃんの声が、幼少慊人の笑顔の上に重なる形で書かれているんです。
なんというか、うおちゃんの叫びが慊人を越える瞬間が、原作の方がより明確に出ているんですよね。アニメで同じことをしようとしたら、慊人の笑顔の映像を流した状態でうおちゃんの叫びを被せる感じかなと思います。
・手の動きについて
しんどい……。声に出さない人だからこそ仕草で示すのは鉄板だけど……鉄板だけど!!
もうここはただひたすら綺麗だよ。そして悲しいよ。(画面に対して手を伸ばすという行為の虚しさなんて知ったこっちゃないです。だれもがやるでしょ←やらないよ)
原作は、現実と画面の中を交互に小さなコマで映すことで連続性を表現していますが、アニメはただ手を伸ばす映像に変わっていました。これは静止画と動画の差だと思います。
あと、アニメ版は幕が閉じるシーンの書き方上手いなと思いました。我に返った瞬間、歓声が響き渡って、そのままうおちゃんの姿を幕が消してしまう。十二時の鐘が鳴り、もう彼女は戻ってこない。その別れを彩るのが歓声って酷すぎる。見ている方が硬直してしまいました。
その後の項垂れるシーン、アニメもたっぷり時間あててくれて大満足です。原作がびっくりするぐらい贅沢にコマを使ってくれていたので、この時間感覚を急ぎ足ぎみのアニメが再現してくれるか心配だったんですけど、ただの杞憂でした。BGMが消えていく余韻のなかで、伸ばしていた手を引っ込め、顔を覆う。アニメ版は、机によりかかる動きが入っているので、余計に自立不能の状態を感じます。台詞もないのに、今までで一番深い絶望が伝わる。ここぞというときの無音は効きますね。
★シーン6 紫呉の家
・電話バトル
このシーンを電話バトルと称している方がいて、なにそれ面白いと笑ったのですが、これバトルじゃないでしょ。電話リンチだよ。今回放送された箇所だけではそこまでですが、原作101話を読むと、言葉でめためたにするぐれさんと、一切反論できない紅野さんが見られるので、Finalに期待します。
そういえば、スマホもWindows10も出てくるのに、黒電話だけは修正されていませんでした。確かに、連載当時ですら黒電話は過去のものなので、ぐれさんの時代錯誤ファッションの一つなのでしょう。
このシーンを動くぐれさんで見たくてフルバアニメ見ていた人、それなりにいると思います。そして期待にしっかり応えてくださりました。今までの誰に向ける態度とも違う、苛立ちと投げやり感。原作でカタカナで表現されている箇所を、語尾の処理の仕方を雑にして表現している感じがします。「存外」にアクセントあてて「抜けてるね」をさらっというの嫌味ですっごく嫌だ!(褒めてる)
原作では、ぐれさんが画面右向き、紅野さんが画面左向きで描かれていて、対比構図になっているのですが、アニメでは逆向きになってますね。確か向く方向にも意味があったような気がしなくもないけど、詳しい人教えてください。まあ、どちらにせよ二人の視線が交わらない対決姿勢なのは変わりないです。
・学者海域とは
ああもう、またアニメオリジナル本出てきたよ。絶対遊んでるよスタッフさん。
次のカットの紅野さんの本が白紙だから、絶対なにかメッセージが込められているのは間違いないと思うのですが……。作者名が一文字読み取れないし、考えてみても結果でないと思うので、今回は許してください。
空ならまだしも、海が今回の話にどう関わるのか想像もつかないよ。
・「やっとかよ」
これが!これが聞きたかったんだ!私は!!
このエピソードは全体的に大好きなのですが、一つ好きな台詞をアニメで見せてあげようといわれたら、私はぐれさんのこの台詞を選びます。
先にいうと、予想していたのとは違っていました。原作で読んでいたときは、今まで物腰柔らかだったぐれさんが、彼のなかにある敵意を初めて読者に提示する台詞だと考えていたので、一段と冷酷な黒ぐれさんを期待していました。しかし実際は、一呼吸置いたあとの、しょうがない弟をみるような呆れに満ちた呟き。よかった。まだ完全には見捨ててないのかもしれない。少しでもぐれさんのなかに、かつて自分を慕っていた弟分の姿が残っていたらいいのにと願わざるをえません。フルバは最上級のハッピーエンドをプレゼントしてくれる作品ですが、この二人はとうとう和解しませんでしたから。
まあ、自分が愛する女を同情で抱いた男を許せるかっていわれたら難しいのかも。でも、ぐれさんの場合は仕返しがえげつなさすぎるので、一概に被害者とも言えないと思うんですよ、私は。
★シーン7 公園
・雀
原作でもアニメ版でも、雀は呪い崩壊の証人です。アニメ版がここまで雀を出してきたのもこの瞬間のためなんだと思います。ちょっと面白いなと思ったのは、透ちゃんは、元物の怪憑きよりも鳥に好かれるんですね。人懐っこい雀に避けられる紅野さんに問題があるのか、それとも透ちゃんが草摩家と関わるなかで、いつの間にか野生生物に好かれる体質を会得していたのか。
ただ、この後、慊人が机を叩くシーンでも雀が飛び立ちますが、これは少し違う意味にもみえます。今まで大人しく草摩という鳥籠に入っていたはずの紅野さんが、ついに飛び立ってしまったのではないかという、慊人の恐怖を描いているのかもしれないです。
・今明かされる衝撃の真実
お巡りさん、事案です。
異性に抱き着かれると変身してしまうはわかるけど、それは抱き着かれるではなく抱きしめるではないのかという疑問が原作読んだときから消えません。(まあ、うっかり衝突レベルで変身しているときもあるので大丈夫なんでしょう。それに、抱きしめてみてとか言われるほうが百倍嫌だわ)
透ちゃんを抱きしめた構図も原作から左右反転していますね。これアニメ版では、ずっと紅野さんが画面左で透ちゃんが画面右に立っているんですけど、原作はこの構図だけ透ちゃんが画面左にいて、それ以前・以降は、アニメと同じ方向という少し特殊な感じになっています。ターンして抱きしめたんですか?(なにその無駄な動き)実際は視点が移動しているんだと思います。
・原作との閉め方の違い
原作96話は、ぐれさんが電話で問いかけた「前から思ってた事」がナレーションの形で語られる「解放されてるんだろう 呪いから」で閉められますが、アニメ版はここをカットしてきました。代わりに紅野さん自身の口から呪いが解けていることを告げさせるのをAパートの終わりに置いています。
衝撃のエンドとしては申し分ないし、とても綺麗に纏まっていると思うのですが、結局、ぐれさんが電話で何を聞きたかったのかわからなくなってしまいました。
Bパートのぐれさんの台詞に「だって、もう呪いはないんだろう?」というのがありますが、ぐれさんが呪いの有無を聞き出しているという事実が不明確だと、下手をすれば、初見さんに『ぐれさんは紅野さんの呪いが解けていたことを知っていたのではないか?』と、とてもまずい勘違いをされそうな気がします。初見さん!ぐれさんは知らなかったから! 無罪だから!(※この件に関しては)←ココ重要
ここでいったんCM入ります。フルバの時間にながれる「ミュークルドリーミー」の番宣の、あの謎の間が面白すぎる。CM飛ばしてた人は見てみてほしいです。
Bパート感想は後編へ