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デジタル化って何だろう

 改めてデジタル化って何だろうか。

 まずは、今話題のDXのことではなくて身近な生活の中に既にあるデジタルからおさらいしつつ、デジタル化で目指したい方向性を考えた。

身の回りのデジタル

 その昔、私が小学生の時、デジタルの腕時計に憧れた時があった。いま流行りのスマートウォッチのことではない。時間や日付がデジタル表示されている腕時計のことだ。ただそれだけのことだが、針がくるくる回っている時計が古臭く感じられ、デジタル時計が先進技術の象徴のように思われたものだ。
 そんな思い出話は脇においておくとして、いまや音楽も写真も書籍も新聞も、そしてテレビも、私達の身の回りはデジタルで溢れている。
 ダウンロード出来る音楽配信データやCDは、音の波形を数値に置き換えて、それを磁気などによって記録したデジタルデータだ。写真はデジタルカメラで撮影したそばから色や輝度情報などが数値化されたデジタルデータとして電気的に記録されている。電子書籍などの文字情報も、文字コードに置き換えられて記録されている。テレビは画像と音声を数値に置き換えて電波に載せて届けられている。
 つまりこれら生活周りで既に馴染みの深いデジタル化は、あらゆる情報を数値に置き換えて記録もしくは伝送出来るようにすることを指している。

デジタル化出来るもの

 目に見えるものから見えないものまで、数値に置き換えられるのであればデジタル化出来る。直接数値に置き換えられないものでも、音や画像や文字など、数値に置き換え可能なものに変換できるのであれば間接的にデジタル化出来ると言える。
 だから身の回りの殆ど全てのものはデジタル化出来る。少なくとも理論上は。
 しかし実際のところ、デジタルに変換するのは、なかなか骨の折れることだ。一旦デジタルになってしまえば良いのだが、例えば紙に書かれた文書をスキャンして文字をテキストデータに変換しようと思うと難しいように、自然界にあるものを数値に置き換えるのは難しい。方法論から考えなければならないし、そうして考えたアルゴリズムを効率化していかなければならない。しかも精度高く置き換えようとすれば、仮に理論的には出来ることであっても、それを実現するためには高度な処理能力、つまりコンピュータが必要だ。
 それでも、なぜこうまでしてあらゆるものがデジタル化されてきたのか。それには理由がある。

デジタル化のメリット

 今のようなコンピュータの無かった時代で考えても意味が無いので、安価で高性能で小さなコンピュータが容易に手に入るこの時代を前提として、デジタル化することによるメリットを考えてみよう。それはアナログとの比較で考えられる次のようなことだ。

 コピーするときに劣化しない
 複製が容易
 容量が少ない

 そして、これらのメリットは次のような副次的メリットを生む。

 情報の記録、伝達に優れる
 処理がしやすい
 場所を取らない

 これらのことは当然、デメリットと背中合わせなのだが、デメリットを補って余りあるというよりも、デメリットを受け入れてでもデジタル化することで情報の伝達スピードが速くなる、現代はその事を望む社会だということだ。

情報速度と便利さ

 私達は知らない間に、情報伝達速度が大きいほど便利で、便利な方が良い社会と思うように餌付けされている
 情報伝達速度とは、一定期間内に伝えられる情報の量で表される。
 
 手紙が廃れるのは情報伝達速度が遅いからだし、歩くより車を使うのも情報伝達速度を上げるためだ。いやいや、歩く代わりに車を使うのはその方が楽だからだよと言われそうだが、「らく」というのは実は、同じだけの時間を費やしたときに得られる情報が多いということだ。逆に言ったほうが分かりやすいかもしれない。言い換えると「同じ情報を得るために費やす時間が少ない方が楽だ」ということだ。費やす時間が少なくても多くの情報が得られるというのは情報伝達速度が高いということだ。
 あなたの移動速度が上がることは一定期間内に出逢うことのできる情報量を増やす方向に働く。つまり便利になる。
 便利な方が良いという考え方自体は間違っていないが、便利至上主義を追求するのは少し違う気がする。

社会と便利さ

 情報伝達速度で便利さを考えるとき、その対象はあなただけのことだけではなく社会全体で考えた方良い。社会全体の情報伝達速度が上がれば私達の社会はより便利になる。
 役所の窓口で待たされなくても家にいながらにして住民票が取得出来れば人はそれを便利と呼ぶだろうし、個人番号を登録してあれば住民票の取得も要らないとなれば人はそれを超便利と呼ぶ。その便利さは住民票のデータの移動速度の話だ。

キャッシュレスの情報伝達速度

 キャッシュレスで象徴されるように(お金などの)何かが不要になるのは、見えないところで効率的な情報伝達が行われているからだが、例えば買い物をする時のお金の(データの)動きを追い掛けてみれば解りやすい。
 あなたのお金の実体が銀行のコンピュータに記録されたデータに過ぎないという事を疑う人はいないと思うが、買い物するということは、そのあなたの銀行の残高データを少し減らして、お店の銀行残高データをその分だけ増やすということにほかならない。たったこれだけのことなのだ。単に銀行間の残高データ変更をするだけなら秒もかからず出来る。
 これを、現金で買い物する場合で考えてみよう。まずあなたは銀行にお金を下ろしに行く。もちろん買い物の度に下ろしに行くのではないだろうけれど下ろさないことには始まらない。そして下ろしたお金を持ってお店に行き財布から出したお金をお店に払う。あなたとしてはここまでで買い物が終わったと思うかも知れないが、払ったお金がお店の銀行口座に反映されるためには、お店の人があなたから受け取ったお金を銀行に入金する必要がある。その段階まで来て漸く取引完了だ。ここまで来てやっと、あなたの口座データから減った残高が、お店の口座の残高データの増加という結果に結びつく。キャッシュレスの場合、このような残高データの移動は一瞬で行うことが可能だ。
 どうだろうか。口座残高の移動速度は現金とキャッシュレスのどちらが速いだろうか。

キャッシュレスの本当の速さ

 ちょっとまて。キャッシュレスの場合、月単位でまとめて処理されるのだから、あなたが払ってからお店の銀行口座に反映されるためには最大一月掛かるじゃないかって?
 確かにそうだ。企業同士の商売は大抵「掛け」、つまりツケで売り買いすることが常道だ。注文書ひとつで買い物が出来て、請求書の発行でお金をもらう権利を表す。とっくにキャッシュレスが成立しているということだ。
 この掛けでの取引は、通常月末精算されるので、実際のお金のやり取りは月に1回、つまり即時決済ではないことになるが、月にまとめて1回の決済だけで済むということは、むしろ極限まで銀行口座データの移動速度を高めた状態と言える。
 全てがキャッシュレスで済む世界は、たとえ即時引き落としでないとしてもお金という情報の移動距離は限りなく小さくなり(移動時間は短くなり)、移動量は大きくなる。つまり情報伝達速度はとてつもなく速くなる。

便利さと豊かさとデジタル化

 話の発端は身の回りのデジタル化って何? ということだった。
 なぜデジタル化するの? ということでもあった。
 そして、デジタル化した方が個人としても社会としても便利だし、便利な方が良いに決まっているということだった。
 でも、本当にそうだろうか。
 特にスマホが普及したここ十数年で、情報の移動量も移動速度も移動距離も、もの凄い勢いで加速度的に増加している。本当なら、それだけ便利になっている筈だ。
 確かに便利にはなっているが、情報の行き交う速さに見合うほどにまで便利になっているだろうか。そして、便利になった分だけ私達は十数年前より幸せになっただろうか。社会は暮らしやすくなっただろうか。

 デジタル化の加速は急務であるだろうが、それによって、人々の時間に余裕が出来て、生活にゆとりが持てて、人が幸せになる。それがデジタル化することの目的になっていることが重要だ。社会変革の目的はそうであるべきだろう。
 これまで、世の中が便利になるほどに忙しくなるというのを体験してきて、ともすると本末転倒になってしまいやすいという危機感が私にはある。

私の目指すデジタル化

 便利になることで実現される暮らしやすさも確かにある。
 でも、暮らしやすい生活の達成には便利さ以外にも必要なことがあるのではないか。幸せは便利さで測れるだろうか。便利さと社会の豊かさは同じ地平上に共存出来るだろうか。つまり、情報伝達速度の向上で全てが解決出来るだろうか。

 少なくとも私自身は、デジタルに利用されず、デジタルを上手く利用する感覚を忘れずにデジタル化に取り組んで行きたい。

おわり


 

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