FIREという誤解
FIRE=Financial Independence, Retire Early(経済的な自立と早期の退職)。
FIREする人々がいるという報道がしばしばある。そうした報道を見聞きするにつけ、何となく違和感があった。どうも、お金という点に偏った見方になっている気がするのだ。
私が考えるにFIREは、出来るだけ大金を貯めてさっさと仕事を辞めてやるってこと、ではない。
つまり、幾ら貯めればその後の人生を働かずに過ごせるか、なんてことではない。
ChatGPTはこう言っている。
Financialという言葉は一般的に経済的や財政的と訳されることが多いが、もっと単純に言うと、お金に関連することやお金の管理についてのこと。Independenceは、あなたの人生を自身で決断出来るということだから、Financial Independenceは、あなたの人生においてお金に関して自身で左右出来るといった意味になる。
つまり企業などを通じて労働対価を得るということからの開放を意味する。企業に預けていた人生を自分のものとして取り戻すことでもある。
他ならぬ私もそうだが、お勤めしていると毎月の給与収入を当てにして生きている。それが無くなることは怖いから、給与を貰うために働くという思考からは容易には脱出出来ない。時間と労力を捧げてお金を得るというのが当たり前に思っているかも知れないが、これは私達が現代の高度に合理化され抽象化された金融経済システムにすっかり取り込まれてしまって、そうした経済社会に組み込まれてしまっているからだ。
雇用されての労働もその対価たる給与も、本来の仕事とは切り離されて抽象化された概念だ。誰かのためになる行動の見返りとして自分が生きられるということが仕事の源であるが、企業のために働くようになると、その労働が誰のために役立っているのか見えなくなるし、給与として貰うお金が元々は誰から貰ったお金なのか見えなくなる。
見えていたはずのものを見えなくするというのは、人間の脳の性質によるもの。社会システム化、都市化、合理化、抽象化といったことは、便利な世界を創り上げることに貢献したが、高度に抽象化された世界では抽象がひとりあるきして現実と抽象とが切り離されてしまう。現代の私たちは、人間が創造した架空の世界を生きていると言っても過言ではない。私たちの多くは自然や世界を生のままに直視する能力を失ってしまっている。
こうした文脈で言えば、FIREは仮想世界から離脱するためのムーブメントはある種壮大なものに見えてくる。行き過ぎた世界から離脱して、より自然体の自分を取り戻そうという無意識が働いているようにも見えてくる。
finaceの語源はフランス映画の最後に出てくるfin(おわり)と同じ語源で、もとは借金を終わらせることを意味していた。人類が築いた世界の間違いを清算して新たな生き方を見出すという意味での financial indipendence だとしたら、悪くない気がする。
fin
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