見えない世界
あなたの視界には何が映っていますか。
眼は世界を見るためについていて、耳は世界を聴くためについている。ところが、集中していると視野が狭くなり余計な音が聞こえなくなる様に、視覚や聴覚は必ずしも周囲の世界を正しく捉える様には出来ていない。
あなたが観てあなたが聴くものは、あなたがそうしたいものにフォーカスしていて、都合の悪いものは見えなく(聴こえなく)なっている。
その傾向は、あなたの知らないうちに強くなっていて、今では誰しも都合良くしか世界を捉えていない。それが普通になっている。そのせいで都合の良い相手とのコミュニケーションしか出来なくなっている。それはコミュニケーションと呼ぶには貧弱な、単なる情報交換に成り下がっている。
採用面接などでコミュニケーションが出来ない学生が増えた印象を抱いていたが、その原因はそんな所にあったのかも知れない。つまり、初めて会った、共通の話題の無い相手と会話をすることがコミュニケーションだとすると、普段の生活にコミュニケーションは殆ど必要がなくなっているということだ。
質問をされれば答えはするが、自分を伝えようという意志は感じられない。恐らく何をどうしたら良いか分からないのだろう。だからテンプレートに頼らざるを得ない。マニュアル通りのやり取りに終始する。
あるいは、採用者側をまるで品定めする様に見る学生もいる。コミュニケーションを通じてその会社を知ろうとするのではなく、少し遠くから観察するかのように見るのだ。決して近づこうとはせず、一定の距離を置いて観る。そして、自分のチェックリストに適合しているか一つ一つ確認していく。
今気付いたが、これ、マッチングアプリを通じた相手探し似ている。
コミュニケーションを取ろうと思ったら、自分の領域から一歩踏み出さなければならない。安全サイドに留まったまま眺めていても相手のことは見えて来ない。いくらじっくり観察したところで、あなたの見たいものしか見えない。あなたに見えるものしか見えない。広い世界のうちの、あなたというフィルターを通したものしか存在しないかのように。
年を取るほどに世界を知ったかのように錯覚する人がいる。実際には世界を知ったのではなく、あなたフィルターが固定化されてあなた色しか見えなくなっているだけだ。簡単に言えば思い込みだ。分かった気になっているだけで、つまり、見えるところだけを見るのが習慣化して、見たくないものが見えなくなっているだけだ。
そう言っている私のその見方は、私からそう見えるだけであって、それはホンモノではない。私は私で、見えていないエリアの方が多い。だから私の言う事など信じてはならない。というのももちろん信じてはならないから、あなたはあなたで考える他無い。でもそれは、あなた色でしか見えないということであり、要するに誰も世界など見えないのだ。
おわり