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大学受験の実力と、世界で闘う実力と

 日本でこの時期恒例の受験。
 なかでも大学受験は将来を左右するとも言われヒートアップする。しかしこれからの時代、日本の大学受験にとらわれ過ぎると残念な結果しか待っていない。大学受験というのは枠組みが小さ過ぎるのだ。受験者がいわゆる日本人に偏っているということもあるが、そういう事ではなくて、大学受験で高得点を取ることは世界という尺度で考えれば全く何の意味も持たないという意味だ。
 世界で闘うという事がマストでは無い。が、通信や交通の発達によって狭くなった世界で、いつまでも井戸の中に籠もっているわけにはいくまい。

 仮にあなたが東大を受験して合格したとしよう。それを聞いたフランスの高学力層の人がどう反応するか。何らかの価値を見出してくれるか。答は否である。で? と言われて終わりだろう。たとえ東大が日本のトップ校で受験合格がいかに難しいかを説明したところで、良くて社交儀礼的に凄いですねと言われる程度だろう。あまりゴリ押しすると逆効果だからやめた方がいい。
 大学受験に合格するというのはその程度のことと思っておくに越したことはない。受験勉強は大変な事だし難関校に合格すれば確かに凄いことだけど、それと同時に別に大したことではないという認識を持っていないと勘違いしてしまう事になる。
 僻みで言うのではない。受験勉強が無駄というのとも少し違う。受験勉強で培ったスキルが他に活かせないと言うのでもない。
 過度に重きを置くべきものではないとでも言おうか。
 例えばだ。遊ぶ時間もないほど勉強に時間を費やさなければ合格出来ないのだとしたら高望み過ぎるということ。学生時代に全ての時間を受験勉強に充てるのは不健全だとすら思う。大学に入ったその先に目標があって、その目標を叶えるにはその大学への合格が必須なのだとすれば勉強オンリーになるのもやむを得ない。けれど、代替案が有り得るのだとしたらそれもよく検討した方がいい。社会人になれば常に代替案の提示を求められるものだ。これしかないという思考法より、あれもこれも解決策になるという方が良い。一つの答えを追求する受験のテストとは真逆だ。
 受験勉強には、吸収力抜群の学生時代に、その事だけにのめり込む程の価値は無い。色々なことを経験して様々なことを学んで人としての幅を広げることの方が重要だ。

 日本の大学受験は何を測っているのだろうか。
 学力だろうか、真面目さだろうか、記憶力だろうか、頭の回転だろうか、IQだろうか、忍耐力だろうか。
 どれも当て嵌まるけどどれも正解とは言えないと言うのが私の答え。
 私の答えは、限られた期間で決められた課題を決められた方法で理解して効率よく習得する事が出来るか、だ。このスキルは優秀な人材が持つべきスキルのひとつとして重要ではあるが、これだけでは全く物足りない。
 例えば勉強は出来るけど異性とは上手く会話が出来ない、というのが取り立てて奇妙に思われないのは世界中を見回しても日本ぐらいなものではないか。

 試験勉強以外にも、成人するまでに身につけるべきスキルや知識はたくさんある。コミュニケーション能力もそのひとつだし、人間が生き延びるのに必要なスキル、何かを造るための手作業やノウハウだって重要だ。料理のひとつもやったことは無いのが当たり前のような状態に何の疑問も抱かないとしたらどこかおかしい。究極のサバイバルを習得する必要はないが、身の回りのことは一通り自分でこなせるようになることを学ぶことだって必要だ。

 大学受験で成功したとしても、英語力を見ても分かるように、世界で戦うための道具をひとつも得られないことは肝に銘じておくべきだ。
 そんな意味のないことに人生の重要な時期の全てを捧げるような風習はさっさとやめた方が本当は良い。
 大学という機関の本来の目的は研究することだ。本来の機能を求める人々が集い叡智を戦わせるはずの場所が、今後もこれまでのように就職の手段であったり、就職までの息抜きの期間であったりするとしたなら、今後の日本の凋落を予感させる気がしてならない。
 大学受験の実力は、残念ながらそれだけで世界で戦う実力には結びつかない。

おわり

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