最終章を生き抜いた男
目が醒めてもそれが現実なのか分からない。眠ってしまったら死んでしまいそうで怖い。そう言って死んでいったパチスロライター、マエダを追ったドキュメンタリーを見た。
余命宣告された頃、怖くはないかと問われたときには怖いのは死ではなくて痛みだと言っていた彼は、きっと強さを紛らわせたかったのだろう。
四十半ばで人生の終わりを突きつけられるのは酷な話だ。人生に迷った末にようやくライターという天職に巡り合い、軌道に乗り掛けたところだった。
余命半年。
癌では良くある話なのだろう。きっと私たちは知らずにのうのうと生きているだけなのだ。
死ぬまでにやりたいことをやっておきたいとの想いに付き合ってくれる友との絆は実に羨ましいし、互いに憎まれ口をたたいて、まるでじゃれ合うように接しているのは、醜い自分をも許容してくれるという信頼関係があったからだろう。
友人の一人が本人がいないところで受けたインタビューで、奴に死が迫っているからと言って、敢えて態度を変えずにいるようにしている。でも、死んでからもっと他の接し方があったのではと後悔するのは少し怖いと言う。何が正解かは分からない。
でもマエダは、死がそこまで迫って来た頃に事あるごとに俺は本当に幸せな男だなぁと口にしていた。友の対応は間違っていなかったのだろう。
終盤、歩く度に脚の痛みに耐えかねて大きな声で痛いと叫ぶマエダを執拗に撮影し続けるカメラマンに対して、手を差し伸べてやれよと番組を見ているこちらが思ったのがバレたのだろう。
マエダは助けて欲しかったら自分から言うから余計な手助けはいらないと声を荒らげた。どうせお前は俺を助けることは出来無い、だから何とかしてやろうなんて思うな、と言い切る強い言葉に心臓を貫かれた。確かに何も出来ることはない。何かをしたところで間近にある死を遠ざけることは出来無い。
それでも、て言っても無理なのは分かるけど、と助け舟を出してくれたところにマエダの心根を見た。
あの時あそこであちらの道を選んでいれば、というような後悔はしたくなくてもしてしまうのだろう。早い死期の原因を探してしまうのだろう。人前では陽気に、そして気丈にいたマエダが涙をボロボロ流しながら死にたくないと訴える姿は勇敢に思えた。
赤の他人の私がマエダ呼ばわりし、その思いを勝手に推測するのは良い迷惑だろう。こんなところに取り上げるのも余計なお世話だろう。
死が迫ってからではなく、普段から毎日の些細ことにも感謝し、歓び、生きるということを実践したいと思わせられたマエダさんには、感謝しか無い。
最後に、マエダ氏の書いた詩を。
おわり
https://fod.fujitv.co.jp/title/908b/908b110013/
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