クエタ(Q)
少し前に「ギガが足りない」というCMがあった。
携帯電話の無線通信でも「ギガ」の量のデータをやり取りしていると思うと感慨深い。何せ有線回線でも「メガ」すら遠い遠い存在だった頃からすればデータ量が少なくとも1000倍以上になっている訳で、日々それだけの情報に埋もれていると考えると恐ろしくすらある。
「キロ」や「メガ」や「ギガ」は、例えばメートルやグラムなどの単位と一緒に用いられる接頭語だ。大きな数値や小さな数値を表す時に用いられる。
例えばキロ(k)は10の3乗(1000)、メガ(M)は10の6乗(1000000)、ギガ(G)は10の9乗(1000000000)を表す。10の●乗というのは、1の後につくゼロの個数を表す。それぞれ千、百万、十億ということだ。
逆に小さな値を表すミリ(m)は10の-3乗(1000分の1)、マイクロ(μ)は10の-6乗(1000000分の1)、ナノ(n)は10の-9乗(1000000000分の1)を表す。マイナス●乗は1の後につくゼロの個数分の1という意味だ。
メートルなどの単位の国際基準を作るための機関である国際度量衡委員会で今年中にも新たな接頭語を追加するという報道があった。
今年新たに加えられる予定の接頭語は、クエタ(Q)、ロナ(R)、ロント(r)、クエクト(q)の4つだ。
それぞれ、10の30乗、10の27乗、10の-27乗、10の-30乗を指すという。
10の30乗は漢字で言えば100穣(じょう)らしい。
漢字ではまだまだ上があって、次のようになっているという。
大きい方は漢字の方が国際基準の接頭語よりも先を行っているが、小さい方は10の-23乗の浄(じょう)どまりだ。昔の人にとっては大きい数字の方がイメージし易かったということだろうか。いや、10の-23乗でもイメージ出来ない程に十分に小さい。
情報通信技術では、大きな数字も小さな数字も関わるから面白い。
半導体素子のサイズが小さくなればなるほど扱える量が増えるから大きな単位も必要になるという訳だ。ナノレベルの半導体を使うからこそギガの情報量をやり取り出来る。
それにしても人間が扱う数値がどんどん大きく、そしてどんどん小さくなって、行き着く先には何があるのだろうか。何が見えるのだろうか。
ギガが使えるようになって私達は動画を自由に見たり作ったり出来るようになった。
今私達がネットで見ている動画は1秒間におよそ30コマの静止画だ。つまり原理的にはパラパラ漫画と変わらない。だから、動画の中には奥行き情報が無い。動画を見て感じる奥行きは私達の脳の中で処理された結果だ。
例えばVRにしても、両目分の情報が必要だから同じ画質なら情報量が普通の動画の倍になるが、接頭語が一つ増えるというのは10の3乗、つまり1000倍の話だ。途方も無い大きな量と思える。そんなに必要だろうか。
紙に書かれた情報を電子化するというペーパーレスどころか、何もかもを電子化しようとしているDXの流れの潮流にあっては、世界に飛び交う情報量は増えこそすれ減ることはないだろう。
ましてビッグデータと称してマイクロ秒単位でログデータを蓄積している分野も数多くある。大量の情報同士を結びつける情報技術が発達したからではあるが、人間に感知出来ない程短い時間に起きた現象を膨大に集めて見えてくるものはそんなにも重要なことなのだろうか。
レコードからCDに移行したときに、音楽の情報をデジタル化する時の量子化ビット数が少なすぎるからレコードの方が空気感が伝わるなどと言われた。その後分解能を増やしたSACD(スーパーオーディオCD)という規格も出来たが、全く普及していない。
一部ではレコードの復権が囁かれてたりしているが、ネットで垂れ流されるサブスクサービスには到底及ばない。
ハイレゾにしたってどれほどの音質効果か、判別出来る再生環境を持っている人は実質的にはいない。
新聞は紙じゃなきゃねと言っているおじさま達の脇で、電子書籍も良いが漫画はやっぱり紙がいいという若い人の声を聞く。
マッチングサービスも便利だが日常での出会いも大切にしたい。
デジタルの膨張こそ電力の大量消費を要求するものであってサステナブルでは無い。デジタル活用の要所を見極めるようにしなければ、私達は近い将来、電脳の世界で溺死しかねない。
デジタルをどこに使うか見極めるためには、スマホの画面から顔を上げて、もっともっと現実世界を見つめなければならない。
おわり
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