再生産
アナログだデジタルだという時代は遥か昔になって、今どきそんなことを言う人は私の周囲にはいない。
辛うじて、アナログレコードに目(耳?)を向けている人はアナログに触れていると言えるかもしれない。
身の回りはそれ程までにデジタルに埋没しているのだ。
デジタルを操るための機器であるPCやスマホといったコンピュータ端末の機能で何が圧倒的に便利かと言うと、コピペが出来ることではないだろうか。
これまでどれだけコピペのお世話になってきたことか。
人は一日に何回コピペをしているだろうか。数えたことも無いが、コピペはもはや無意識に行っている作業なので、「今日あなたは何回瞬きをしましたか?」と聞かれるくらいに回答に困る。
この世にコピー機が登場した頃を私は知らないが、きっと大騒ぎだったろうと思う。何でもかんでもコピー出来るなんて反感を買わない訳がない。あちこちでコピー禁止を訴える人もいたのではなかろうか。
それが今や、紙媒体のコピーどころか、画面の中で目にするものの殆どがコピー出来る。映画やテレビの動画にしたってコピペされるものだから、著作権とのいたちごっこになって、「NO MORE 映画泥棒」なんていうキャンペーンが続いている。
ところが最近では、切り抜き動画が流行っている。
流行っているといっても、悪いこととしてではなく正当なこととして流行っているのだ。コピーされて掲載され拡散されることを著作権者が積極的に良しとするようになったのだ。
禁止して守るのではなく、使ってもらうことによってタダで宣伝してもらえると受け止める。
著作権者が認めている限りという前提付きだが、切り抜き動画は違法コピーと違って合法だし、切り抜かれた側にも収益が入る仕組みになっていて、切り抜いた側にも収益が入る。目にする人が多いほど収益は大きくなるから、どんどん拡散して下さい、というわけだ。
要は仕組み次第ということだ。
デジタルが得意な再生産という仕組みを如何に活用するかという前提での発想の転換だ。
しかし最初に考えた人は、コピペがここまで成長すると予想しただろうか。今では当たり前過ぎて、コピペに対して何の感情も動かない人の方が多いと思うが、コピペを考え付くのは本当に凄いことだと私は思うのだ。
コピペのように、もし思い付く人がいなかったらえらく不便な世界だったろうというようなことが多い。当たり前過ぎてやり過ごしてはいるが、考えた人凄いということは溢れている。
そんな、当たり前だけど凄いこと、を生活の中で探し回ってみるのも面白いのではないか。
そうやって見つけたタネを再生産することで、新たな凄いことが生み出せるかもしれない。
おわり