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映画『ホテル・ムンバイ』
2008年11月にインド、ムンバイで起きたイスラム原理主義者による10件の同時多発テロ事件を元にした映画だ。そのうち、映画の舞台となるのは五つ星ホテルのタージマハル・ホテル。アサルトライフルと手榴弾で武装した年端もいかない犯人たちが襲撃したホテルでは、主犯格からの電話による指示によって無差別の殺戮が繰り返される。逃げ惑う従業員と宿泊客は息を潜めて隠れるも、犯人たちはホテル内の各所に火をつけて炙り出そうとしだす。
神の名のもとに悪しき異教徒を殺すというのが犯人の名目で、死を覚悟して参加した襲撃犯たちは、テロの実行と引き換えに貧しい家族への入金を約束されている。その約束が守られる保証はないが、忠誠を神に示すことの引き換えに家族を人質に取られているようなものでもある。眼の前に現れる人々に躊躇なく銃弾を打ち込み殺戮することに疑問を挟む余地はない。
未成年の子どもたちを実行犯にすることもえげつないが、死を持ってしても家族を幸せにしたいという優しさを手球に取るほどの動機は、宗教だけに理由があるのではあるまい。
実話の事実を忠実になぞった実写化に宿るリアリティは素晴らしいものの、特定の宗教が持つ力、極度の貧困、それに起因したテロのいずれもが日本に住む私にとっては何らリアリティが無いため、映画の中の世界から現実に溢れ出てくるような鬼気迫る真実味までは至らない。受け止めてが平和ボケしすぎていると怖さが伝わらないのだ。想像力だけでは超えられない壁がある。
見ていて思い浮かんだのは、闇バイトだった。宗教的忠誠と単なるバイトを一緒にするなと言われそうであるが、とは言えテロの実行犯はある種騙されて殺戮者になっている。しかも最期は神の名前を叫びながら死を遂げている。悪い企みの犠牲になっているという点で言えば、銃撃の被害者も実行犯たちも変わらないのだ。誰かの手のひらの上で踊らされ、無関係なはずの人々の命が簡単に奪われていく。そんな社会が理想なわけが無いのだが、世界では普通に起きていることでもあるのだ。そして平和と言われるここ日本でも。
そうした矛盾による悲しみからどうしたら世界が救われるのか。そんなことを考える切っ掛けにさせられる映画ではないだろうか。
おわり