『二人の記憶』第93回 見ているところでは…
海の授乳が終わってハイハイを始めた頃から、亜希子もちょくちょくビデオを取り始めた。
それまでは子供の成長記録は写真に限ると言っていたけれど、口の遅かった碧がちょうどその頃によく喋り始めたこともあって、少しずつ動画にシフトしていた。
喋ると言ってもそこは女の子と違って、「おいしいねー」「これナニ?」「アオくんも(ちょうだい)」といった程度。ミニカーを転がすときには「ブーン」とか「う~う~、きゅうきゅうしゃですよー、どいてくださーい」と語彙が広がるのは男の子だからか。
「アオくん、それは救急車じゃなくて消防車だよ」と亜希子が訂正すると、碧は手元の車を改めて眺め、一旦は「しょーぼーしゃ」と言ってみたものの、しばらくするとすぐに救急車に戻っている。救急車のミニカーも必要だ。
碧が消防車と救急車の見分けが付くようになり、語彙が少しは増えてきたある日、昇太郎が帰宅すると亜希子が日中に撮影したビデオを見せてきた。
カメラのモニターには顔をくしゃくしゃにして泣いている碧が写っていた。音量を上げると、泣きながら何かを言っているが、何せ号泣に近い泣き方なので何を言っているのかまでは聞き取れない。
昇太郎は「どうしたの?、これ」と亜希子の顔を見る。
「聞いてよ。アオくんたら、酷いんだよ」
「だから、聞いてるよ。何で泣いてるの、アオくんは」
動画の続きを見ていると、左下にパンした画角にこれまた泣いている海が写る。
「ありゃ、ふたりとも泣いてるじゃん、アコ。何があったの?」
「証拠映像は残っていないんだけど、アオくんが遊んでいたところにカイくんがハイハイしてきて、アオくんのミニカーを掴んだの」
「ふむ」
「そしたらアオくんか怒ってカイくんの頭を叩いたわけ」
「まぁ、そうなるわな」
「だから私が、『アオくん、カイくんも一緒に遊びたいって。いじめないで遊んであげて』って言ったの。そしたらアオくん、何て言ったと思う?」
「何て?」
「大きく頷いて『こんどはママがみてないところでいじめる!』って。で、大泣き」
「・・・」
「一体誰が教えたのかしらね? 大して喋れない子供に」
「俺、ではない、よ」
「じゃあ何よ、私が教えたとでも言うの?」
「そんなことは、言ってない」
「じゃあ誰よ」
「きっと他の子が言っているのを聞いたんだろうね」
「てことは、喋れないけど実はかなり理解しているってこと?」
「そうじゃない?」
その日の就寝前、先にベッドにいた昇太郎の横に潜り込んできた亜希子がつくづくと言った。
「天使のようだと思っていた我が子も人の子で、育て方を間違えると大変だね」
昇太郎は心のなかで、きっと亜希子の遺伝子だと思いかけて、慌てて打ち消した。
「大丈夫だよ、俺たちの子はそんな悪い子なわけ無いって」
昇太郎はそう言いながら、布団の中で繋ぐ手にギュッと力を込めた。
幸いあれ以来は、碧が同じような物言いをしたことはない。
つづく