⑤ 「論理的思考・表現」を広義でとらえる必要性
「トポス」について述べてきました。
ペレルマンが言うように、私たちの「主張」の目的は「聞き手の同意を喚起させ」、私たちの求めることに対して納得させ説得していくことにあります。そのためには、それぞれの場に応じた論証の方法があることになるのです。いつもいつも論理的な強固さ・論理的に蓋然性の高い主張が求められるものではないのです。
論理教育においては、今までの「いわゆる論理教育」からもっと視野を広げていく必要があることになります。
そこでは、マガジン『論理的思考力・表現力をどう育成するか①(理論編:構造の理解)』で示したもののように、学問的・実証的に蓋然性を高めていくことが必要になる場、本マガジンで述べてきた「トポス」のように感覚的なものが位置づけられる場が存在するということをまずは理解させていくことが重要になります。
そしてその上に立って、それぞれの場に応じた理解・表現指導が必要になってくることになります。
つまり、これからの論理教育は、論理的な隙を許さない厳密なものから論理としてとらえられないような曖昧なものまで幅が広いものにしていく必要があるのです。
母語である日本語について学ぶということは、既に身に備わり日々の生活において使用するには何ら困ることがない日本語について「学び直す」ことなのです。つまり、身に付いてしまった(意識することのない)考え方や言葉の使い方について意識化し、整理し、取捨選択し、新たなものを付け加えていくことが大切になるのです。
本論で述べてきた「トポス」については、まさに自然に「身に付いてしまった」ものと言えます。これを「意識化」し「学び直す」ことは、論理的思考について意識的に考えさせるよい機会になるでしょう。そればかりでなく、無意識であった自分の行動基準について再認識するためにもよい機会となるものでしょう。
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