高等学校の国語の授業 論説文編④ 『水の東西』の論証構造
前述のように、すでに中学校段階において複数の推論を組み合わせた論証の構造を把握する能力は十分に育成されていると言えますので、高等学校ではより複雑な論証の構造を分析できる能力を高めていく必要があります。
さらに、高等学校ではその先の指導も重要となってきます。複雑な論証の構造を分析するだけでは、答申で課題として指摘された「表面的な『教材の読み取り』に過ぎないのです。高等学校では、論証するために複雑に組み合わされたひとつひとつの推論の妥当性をも検討していくことが重要となるのです。
例えば「演繹的な推論」前提となる命題(「データ」と「理由づけ」)については蓋然的になりがちとなると前述しました。「演繹的な推論」の妥当性は前提となる命題の蓋然性の高さにあります。「データ」となる命題が蓋然的であるならば、それを導くための根拠が「論理的に」しかも「多種多様」で「幅広い」ところから導かれている必要があります。ここのところをよく理解して妥当性を考えていくことが大切になってくるのです。
高校生に『水の東西』の「推論の仕方」を分析させていくと、中学校までに系統的な指導を行っていれば、まずは以下のような基盤となる「演繹的な推論」が把握できるでしょう。
データ:鹿威しは流れるものを感じさせる
↓ ← 理由づけ:日本人は流れるものを積極的に受け入れる
主 張:鹿威しは日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けである
そして、このNOTEのマガジンでで一貫して述べている「日常生活における論証の構造」を理解していれば、「データ」と「理由づけ」の蓋然性にも気づけるはずです。そして、それら前提の蓋然性を高めて妥当性を担保していくための推論の存在も見えてきます。
「データ」である「鹿威しは流れるものを感じさせる」の蓋然性を高めるためには、鹿威しの仕掛けについての具体的なの説明をその根拠としての推論が展開されています。この構造は以下に示すAのように「演繹的な推論」となっています。
<A>
データ:鹿威しは水を「せき止め」「刻む」(具体的な仕掛けの説明)
↓ ← 理由づけ:「せき止め」「刻む」ことは流れを強調する
主 張:鹿威しは流れるものを感じさせる(→「データ」となる)
そして、「理由づけ」である「日本人は流れるものを積極的に受け入れる」の蓋然性を高めるためには、西洋の噴水を根拠とした「演繹的ではない推論」の「対比」(以下に示すB構造)と「行雲流水的な感性を持つ」という日本人の心情を根拠とした「演繹的な推論」の二つの推論が展開されています。
<B>
対比:西洋の噴水との比較(流れるVS噴き上げる・時間VS空間)
↓
考察:日本人は流れるものを積極的に受け入れる(「理由づけ」となる)
<C>
データ:日本人は行雲流水的な感性を持つ
↓ ← 理由づけ:行雲流水的な感性とは流れるものを受け入れる心
主張:日本人は流れるものを積極的に受け入れる(「理由づけ」となる)
このように、『水の東西』は、基盤となる「演繹的な推論」を支えるために二つの「演繹的な推論」と一つの「演繹的ではない推論(対比)」が複雑に組み合わさった構造を持つ表現であると言えます。
しかし、前述したように、この構造を分析的に捉えるだけでは「表面的な『教材の読み取り』」に過ぎないのです。ここから先の論証するために複雑に組み合わされたひとつひとつの推論の妥当性を検討していくことが高等学校の国語科教育では重要となるのです。