⑬ 日常生活における論証の発達段階4
⑫で述べたように、なぜ、つなぎの段階の「理由づけ」は省略されるのでしょうか。⑥で世界中でもっとも古くから知られている論証として示した「アリストテレスは人間だからいつか死ぬだろう」というものも「理由づけ」が省略されたものでした。
アリストテレスの論証は以下のように構造化できます。つまり、省略された「理由づけ」は「人間は必ず死ぬものである」となります。
アリストテレスは人間である(データ)
↓ ← 人間は必ず死ぬものである(理由づけ)
故にアリストテレスは必ず死ぬだろう(主張)
つなぎの段階の「理由づけ」を省略せずに書けば以下のようになります。
・Aさんは消しゴムを貸してくれた
・Aさんはノートをコピーしてくれた
↓
Aさんは優しいひとだ
↓
↓ ← 優しい人とはお友達になりたい
↓ (優しい性格は友達となる条件である)
Aさんはお友達になりたい人だ
これら省略されている「人間は必ず死ぬものである」「優しい人とはお友達になりたい(優しい性格は友達となる条件である)」という「理由づけ」に共通していることは何でしょうか。
それは、誰にとっても常識的なこと(皆が共通に知っていること)であるということです。日常生活とは、そのほとんどの場合が社会的な常識の範囲で営まれています。ですから、日常生活において我々が話すことは、ほとんどが常識的なことが「理由づけ」となっていることになります。
人間は省エネの生き物です。常識的なことはわざわざ言語化などしないのです(これをわざわざ言語化すると「くどい」などと言われてしまいます)。ですから、つなぎの段階のように「理由づけ」が省略されることが一般的な構造となるのです。
今まで、日常生活における論証の構造は、発達段階に応じて3段階のものがあるということを述べてきました。しかし、ここで重要なことは、その発達段階においてはどのような場であってもその構造のみを用いて思考し表現しているということではないということです。その場に応じて、その3つの構造を駆使して思考し表現しているということです。
例えば、皆さんが高校生以上であるとしましょう。すると皆さんは場に応じて3つの論証の構造を用いているということです。例えば、ショーウインドーからケーキを眺めているとしましょう。ケーキの「イチゴが乗っているフォルム」「クリームのふんわり感」という目に見える情報から「このケーキはおいしそうだ」と思うのは最初の段階の論証の構造を用いているのです。そこから先まで考えを巡らし「このケーキを買って食べてみたい」と行動化するのであれば、つなぎの段階の構造を用いたことになります。つまり「おいしそうなものは食べてみたい」という常識的なことを「理由づけ」としているので、それを省略した構造で主張を展開しているのです。
次の⑭では、今まで述べてきた日常生活における論証の構造について動画にまとめてみました。確認してみてください。
動画のパスワードは「ronri1」です。