We Almost Lost Detroit/GSHの音楽背景 002

それは、高速道路の上に突き出ている
別な時代の生物のように
それは、子どもたちに「あれ、なあに?」と訊きたがらせる
車に乗っている時、母親に

だけど、誰も子どもたちのことをじっくり考えようとはしなかった
どうやって子どもたちが生き延びるのかなんて
そして、今回デトロイトを失うところだった
どうやったら正気を失わないでいられるのだろうか?

We Almost Lost Detroitは、1977年発表のアルバム「Bridges」に収録。

ワンコーラスの間「it」としか表されていないものは、巨大発電所であるということが2コーラス目で明かされる。

1966年10月デトロイト郊外にあるエンリコ・フェルミ原子力発電所で炉心溶融事故が起きた。

のちに、この事故について書かれたドキュメンタリー本が発表されるが、その題名が「We Almost Lost Detroit」。1975年のことだった。

それから2年後の1977年、当時のギルのバンドのドラマー、トニー・ダンカンソンからこの本を手渡されたギルは、このストーリーを歌にして一気に書き上げたらしい(出典:Marcus Baram著のGil Scott-Heron: Pieces of a Manというドキュメンタリー)。ミディアムテンポのソウル・バラード風な出だしからは、まさかこんなことを歌っているとは想像できない。

また、3コーラス目に唯一の人名が出てくるが、歌詞に出すほど重要なことなのだろうかと気になってしまう。調べてみると、そのカレン・シルクウッドは原子力関連企業で働いており、1974年に謎の死をとげた(このシルクウッド事件はのちにメリル・ストリープ主演で映画にもなっている)。

And what would Karen Silkwood say
If she was still alive?

疑問に思ったことがある。いくら読んだばかりとはいえ、いくら2年前に本が出たからといえ、1966年の事故のことを1977年に取り上げているのはどうしてなのか?
また、カレン・シルクウッドの取り上げ方も『もし生きていたら何て言うだろう?』というからには、1966年のデトロイトの事故ではなく、歌っている1977年当時のことについてと思われる。

アルバムBridgesの曲紹介をみると、この曲をクラムシェル・アライアンスに捧げるとある。

クラムシェル・アライアンスは1976年に(略)結成された。このアライアンス(同盟、連合)は1975年に、2000年までに1000の原子力発電所を建設するというリチャード・ニクソン大統領の計画に反対したニューイングランドの活動家や組織として開始された。

しかし、1000箇所って…。ちなみに上記Wikipediaには、1977年3月には原発建設予定地に2000人を超える抗議者が占拠し、そのうち1414人が逮捕されたと書いてある。このような現実に目を向けていたギルが、デトロイトのドキュメンタリー本でスイッチが入ったのかもしれない。なお、デトロイトには当時、ギルの父親とその家族が住んでいたともBridgesの曲紹介(再発CDのもの)にも記載されている。

余談だが、曲紹介の最後に「PS Who was Karen Silkwood?」とあるのだけど、CD再発時に改めて書いたものなのだろうか?

(これは2015年12月14日に書いたものです)


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Toshiko Nomura | SEIZE THE DAY
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