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想い

先日、宮城県の東日本大震災の震災遺構として残されている廃校小学校を見てきました。

震災の恐ろしさが展示されている廃校。その一つの教室で震災後に放送された番組が流れていました。
映像には、まだ一面に残骸の残された漁村だった場所で、うつむきながら一人で積もった砂を引っ搔いているお婆ちゃんが映っていました。

何してるんですかと聞くと

おじいさんが昔から漁師で稼いで来てくれたお金はずっとタンスに保管していたんだ。孫や子どもが来たときにはお金もあげたいし。全部タンスにしまっていたんだ。
全部流されてしまった
寂しそうに言うのでした。

その数日後でしょう。その場所の積もった砂が片付けられ、コンクリート床が綺麗にしてありました。その場所で元気のないお婆ちゃんと、おじいちゃんが、支給された弁当を食べている映像でした。

おじいちゃんは74歳の漁師。坊主刈りの白髪で、前歯が抜け、頭にはネジリ鉢巻きをした漁師そのものという風貌。とてもにこやかな人でした。津波で持っていた漁船も行方不明なのだそうです。

おじいちゃんは
「ばあちゃん、天気のいい日に家で食べる弁当は美味いなあ!」とにこやかな笑顔で笑っていました。
震災直後の支給弁当なので、大したものなんか入っていません。家も流され、コンクリートの床がかろうじて残っているだけです。

「体、動がすと気持ちいいなあ、ばあちゃん!」歯の抜けた顔で最高の笑顔を見せながらご飯を食べるのでした。二人で家のあった場所を片付けたのでしょう。

そこからしばらくたった頃でしょうか。そのおじいちゃんが仮設住宅のお風呂に入っていました。
「こうやって風呂に入れるなんてありがたいなあ」にこやかな仏様のような笑顔で言うのでした。

おじいちゃんは漁業用に大きな小屋を持っていたそうです。その小屋にはいろんな網や、漁具が沢山しまってあったそうです。採る魚介類によって漁具が変わるからだそうです。あと一生買わなくてもいいぐらいに十分な量の漁具が保管されていたのに全部流されてしまったそうです。
ほうぼう捜し歩き、木に引っかかっていた自分の網を見つけては運んできて、家のあった場所に積んでおくのでした。

大切な網でさえ野ざらしで置かざるを得ない状況で、ある日、その大切な網が盗まれてしまいました。おじいちゃんは
「誰が持って行ってしまったなあ」と満面の笑顔で笑うのでした。


私は、こんなに凄い人を見たことがありません。
もし自分が、じいちゃんだったらだったら「全部タンス預金はありえないべ」とお婆ちゃんに小言を言ったでしょう。こんな踏んだり蹴ったりの苦しい時にテレビなんか来るなと文句を言ったでしょう。

こんな素敵な笑顔では笑えなくなってしまったことでしょう。

自分も、こうありたい。このおじいちゃんのようにありたい。そう思いました。

このお婆ちゃんは、やはりタンス貯金を一生後悔するでしょう。でも、このおじいちゃんがいる限り、このお婆ちゃんは幸せに生きていけるでしょう。どんな時も。
そう思いました。


それから数日後。私は妻の小言にイラっとして、恐らく、そのイラっは顔にも出たでしょう。
ハッとして、自分はあのおじいちゃんの域に達することは出来ないと感じました。

それでも、そこには届かないとしても、そうありたいと思うことや、そうあろうと努力することをやめない自分でいたいと思いました。

そして、そのような想いは、誰の心にも眠っているのではないだろうかと思いました。


震災後、沢山の人がボランティアに駆け付けました。私も参加しました。そこでの人の温かさは人間そのものです。
その反面、最近の心の冷たい事件や出来事も人間そのものです。

人間なのでどちらの面も持っています。
どちらを多く出していくかは、自分で決めること。

今年も沢山の自然災害がありました。私の住む県でも大きな災害がありました。大きな災害では沢山の尊い命が失われてしまいます。それでも残された人たちは力を合わせて生きていかなければなりません。

それなのに、世の中では心の冷たい事件や出来事が凄い勢いで増えていて、人類はより酷い状態に向けて落ち始めているのではないかと思ってしまうこともあります。

それでも、温かい人でありたいと思うことや、そうあろうと努力することを
やめない自分でいたいという気持ちは誰の心にもあると、そう感じるのです。間違いを犯してしまった人の心にさえも、まだその温かい心は確かに存在する。そう思うのです。


全ての人が、生き物が、地球が、宇宙が
穏やかな幸せに溢れた生活を送れる日が来ることを願っています。


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