if...(2013.06.22)

「もしも」なんて言葉は誰が作ったのだろうか?
その言葉は本当に何の意味もない。

そんな言葉があるから、その言葉に頼ってしまう。

とんでもないぶっ飛んだ夢でさえ、手の届かない恋でさえ、全部その言葉をつければ叶いそうな気がしてしまう。

その言葉のせいで未来を楽観し、努力を怠る人もいると思う。

使うのは簡単だから、誰もが日常茶飯事使う言葉。

もしも自分があの人だったら。
もしもあの時あんな事言わなければ。
もしもあの時この道を選ばなかったら。
もしもあの日...

現実世界では、相反する場所でもがく小さな人間がいる。
理想世界への入場券。とても手軽に行けてしまう不思議な言葉。

でも「もしも」の世界なんて最早ない。

夢を叶えて成功した大金持ちでも、幸せいっぱいで希望に満ち溢れた人でも、必ず心の何処かに潜むその言葉。

心が無理してしまうから出てくる言葉。

無理しなくてもいいんだよ。

後ろを向くと必ずその言葉が待っている。
前を向けば、きっとその「もしも」の自分が待っているかもしれない。
だったら可能性がある限り、未来を信じていい気がする。

「もしも」を繰り返して、劣等感や後悔に肩を落とすくらいなら、そんな自分になれるように未来を変えて行けばいい。

切り開ける未来はたくさんある。
感情の賞味期限が切れたなら、また一から思い出して作ればいい。
ゴミになった想いも、思い出を手繰り寄せて、また作ればいい。
意外とそれって、簡単な事だと思う。

これからは「もしも」に頼らない自分でいたいと心から願う。

きっといつか笑顔で迎えてくれる、「もしも」の自分がいる事を信じて。

2013.06.22

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