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私が大学で学んだ最も重要なこと

私が大学で最も重要なことを学んだのは,一回生(一年生)の春,それも開講週でした。

第二外国語として選択したロシア語の初回講義でした。しかもこれ,大学に入って最初に受けた授業だったのではないでしょうか。担当講師はとても穏やかな先生でした。

受講学生は七,八人だった記憶があります(もうちょっと少なかったかも)。先生は私たちにこんな問いを投げかけました。

皆さんがロシア語に対して抱いている印象を教えてください

全員が当てられ,私の前の二,三人は無難なことを答え,先生は「ありがとうございます」「確かにそうですね」のように微笑んで反応していました。

順番が来た私はこう答えました。

文字が変わっていると思います

先生の表情が変わりました。

「田中くん,でしたね。あなたは今,ロシア語の文字が変わっているとおっしゃいましたね」

「は,はい……」

ロシア文字が変わっていると感じるのは,英語のアルファベットが普通だと決めつけているからです。ロシア語を母語とする人々から見たら英語のアルファベットのほうが変わっていると感じるでしょう」

「そう,ですかね……」

「いいですか。あなたは,あなたたちは,今日から大学という場で学んでいかれるのです。自分が知っていること,馴染みのあることが当たり前で,普通で,正しいことだと決めつけるのは望ましくない態度です」

「は,はい」

「視野を広く持ち,様々な視点から考えられる人になって大いに学んでください。では次の人は……坂下さん,お願いします」


正直なところ,当時の私は(何言ってるんだ,このおっさん)と思っていました。このように反抗的だったのは,第一志望の京都大学に落ちて進学した大阪大学に対して(俺はこんなところに来るはずじゃなかった)と不貞腐れていたからです。愚かなことです。

そんなふうですから,先生が示してくれたような学生にはなれませんでした。重ね重ね,愚かでした。


大学を卒業して約四半世紀。

「大阪大学」の四文字を見ると必ず思い出すのがここまで述べてきたエピソードです(それに付随して,坂下さん可愛かったよなあという記憶も)。

ちなみに大学で学んだ次に大切なことは『砂糖の世界史』の川北稔先生がおっしゃっていた

ストレスなんて(めしを)食えばなくなりますよ

です(ちなみに就職後,これを思い出して実践した若き日の田中先生は170cmで95kgという肥満体になりました)。

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