美意識を他人に委ねないで
なぜ日本が二重至上主義なのかを考えたい。
それは、メディアのせいかもしれない、はたまた遺伝子レベルの話かもしれない。「二重こそ美しい」という刷り込みをされていたのか、はたまた本能的に二重が綺麗だと感じるのか。
素人の私でも分かるのは、「メディアの刷り込み」というのは確実に存在する、ということだ。テレビ、SNS、街中で目にする広告など、あらゆるところでルッキズムを感じることができる。
モデルには二重の人が多いし、二重整形を勧めるクリニックの広告もたくさん見かける。
そういったメディアを、浴びるように摂取してきた私たちは、「二重のほうが人間の要素として優れているんだ」と、潜在意識で思うようになったのだろう。
私を含め、外見にコンプレックスがある人が、こんなにも外見のことで悩まなければならないのは、
見た目やメンタルなどの個人の問題というより、そんな社会の問題なのではないだろうか。
そういうわけで、私は、見た目に関しての悩みを解決するためには、外見の形を変えることよりも、
自分を取り巻く環境を整える、もしくは変えることの方が大切だと思っている。
たとえば、外見に関して批評するような人とは一緒に過ごさないとか、実際の姿を見せなくても関係を築くことのできるバーチャルの世界で友達をつくるとかだ。(現実世界で、見た目に関係なく仲良くしてくれる人と出会えたらすごく良いが、現代では少し難しいかもしれない。)
そして、今後ルッキズムを助長しないために大切なのは、「美意識を他人に委ねないこと」だと考える。
自分は何を美しいと思うのか?もっと簡単に言えば、どんなものが”好き”なのか。それを、メディアなどの自分以外の存在に任せるのではなく、自分で決める、ということが必要だと思う。
見た目のことで言えば、
二重で目がぱっちりしている人が好きかもしれないし、一重のすっきりとした目元をもつ人に惹かれるかもしれない。その美的感覚を他人に委ねていては、ルッキズムは強まるばかりだと思う。
世間一般的に美しいかどうかよりも、自分が好きと思えるか。そういう考え方が広まれば、色々なルックスが評価されるようになり、
人々がメイクやファッションを、多様なスタイルで楽しめるようになると思う。
ただ、「メディアからの刷り込み」というのはきっとかなり根深いもので、無くなることはないし、これからも刷り込まれ続けるのだろう。私も「周りからよく見られたい」と、スキンケアやヘアケア、ダイエットをやり続けてしまうのだと思う。
だから、自分のもつ美意識を磨くと同時に、外見に頼らない幸せも追求していきたい。美味しいものを食べたり、料理を勉強したり、(食べることばっかりだな…)様々な幸せを味わって、
「みんなが言う”美しさ”に当てはまっていなくても、それでいいよね」と思えるようになりたい。
最後に、遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
私の今年の抱負は、なんとか生き延びることです。今年もどうぞよろしくお願いいたします!