痴漢にあった時「あんなカッコして歩いてるやつも悪い」のか
よく、
「痴漢されるような格好してるやつも悪い」
とか
「その格好は痴漢されにいくようなもんだ」
とか、痴漢された側に瑕疵があるような言分があるが、的外れだろう。
痴漢されたほうが挑発的な格好かどうかは関係なさそうだ。
オシャレの源泉はセックスアピールである。モテるためだ。鳥がDNAレベルで羽根をカラフルにして異性にアピールしていたものの延長にありそうだ。
最近オシャレの拡大解釈が進んで、自分の為とか、同性にモテる格好とか、ルッキズム否定の潮流だったりとか、新たな価値観を資本主義が取り込んでいっている。
そのためオシャレが立体的な表現になってきて分かりにくいが、根本はセックスアピールということでいいだろう。
オシャレをすることによって第一関門の見た目を突破し、内面評価の第二関門に移行する。第二関門も突破したら晴れてカップルが成立する。僕たちはそういう手順で繁殖している生物である。
「いやいや待てよ、第一関門の見た目なんかなくて、第二関門の内面しか見ないよ僕は!」
と言いたくなる気持ちもわかる。昨今ルッキズム否定のパラダイムである。僕も第一関門なんかなくなってしまえと思っている第一人者だ。
だが、依然として誰も「外見は内面を映す」という考え方には異論を唱えていない。
例えば、
「その人を評価するにはまず足元を見ろ」
とか平気で言っていたりする。面接のときに無精ひげで紙ぼさぼさで行かないだろう。しかもその面接で
「ルッキズムに私は反対です」
と言っていたりするのだ。この二つは矛盾する。
つまり依然としてルッキズムは存在し、「第一関門:見た目」は存在する。
第一関門の見た目が依然存在するとなったところで、話を戻そう。
「あんなカッコして歩いてるやつも悪い」と言うのはお門違いである。
負け惜しみに近い。
「第一関門:見た目」をいちいち特定の相手の前だけで突破する状態に持っていくのは効率が悪すぎる。なので、第一関門を突破できる「見た目」は常態化しておきたい。
常態化することによって通りすがりの人に刺さらないとも限らないためオポ損失を防ぐ役割もある。
つまり、「第一関門突破状態」という状態で電車に乗っていたり歩いてたりするのはコスパやオポ損失を考慮に入れた賢いやり方だ。
さて、そこで痴漢してくるようなヤツはもちろん内面なんざクソという判定になって、「第二関門:内面」が問題となって突破できないだけである。
世の男性諸君は女性が全裸で歩いていたとしても、「第二関門:内面」の存在を忘れてはいけない。第二関門が突破できるよう、まずはお茶に誘おう。
(…いや警察に通報かもしれないな)