妻への不満を外に発信しないことは美しいか
そうでもない。
この「妻への不満を絶対に外に発信しない」というポリシーは、「妻への不満がある」という条件のもと成り立つため、これを美徳とする人は妻への不満が必ずある状態だ。
妻への不満がないのであれば発信しないというか発信できないだけで、美徳もくそもない。
つまり、言い換えると、「妻への不満があるけど言いません、どう?カッコイイでしょ」と言っているのだ。
確かにカッコイイかもしれない。だが「不満はしっかりあるんだね」というカッコ悪さも内在している。
また、昨今家庭内というのはブラックボックスだ。昔のように縁側からのぞき込めば夕飯何食べてるか見えた時代とは違う。
こんな時代はむしろ外に情報を発信していない家庭は怖さすら感じる。
家庭というのは一種の「エコーチャンバー」だ。エコーチャンバーとは、コミュニティの外からの情報を信じられなくなるってやつだ。
ググると以下のような例が出てくる。
木の実しか食べたことないジャングルAのサルの軍団が「木の実って世界で一番うめえよな」って言ってると、隣のジャングルBのサルに「バナナのほうがうめえよ」って言われた時、ジャングルAのサル軍団は「そんなわけねえ!」「ジャングルBのサルはうそつき集団だ!」ってなる。
ようは極端な思考が仲間内で加速することだ。
上記の例と同様に、親父が「この世は腐ってる」と子供たちに吹聴すれば、子供たちはこの世が腐ってる前提で育ち、いくら周りが「この世は良いもんだ」と言っても聞く耳を持たなくなる感じだ。
「ステロイドは悪だ、脱ステだ!」と言って皮膚炎を重症化するまで放置し敗血症で子供を死なせてしまうニュースなんかも聞いたりする。
エコーチャンバーは悲しみの温床だ。
なので、家庭内の情報は定期的に外で答え合わせしたいところだ。その一つのチャネルが「家庭の不満を外に吐露する」ことだろう。
美徳には反するかもしれない、カッコ悪いかもしれない。だけど、妻の悪口、夫の悪口は、定期的に外に発信しよう。
脱エコーチャンバーだ。