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登山の魅力を伝えられないのはなぜか

上司が部下を登山に誘っている。

「登山良いよ〜!やろうよ!」
「え〜でもしんどくね」

「しんどいけど景色最高だからね!」
「うちのテレビ60インチあるからYoutubeで見ればいいし」

「ばっ、匂いとかその場の空気感とか色々あんだよ!」
「でもそれ味わうためだけに登るのコスパどうなのよ?たまに死んでるし」

「プライスレスだぞ〜山頂からの景色は〜」
「山頂に100万円埋まってたら間違いなく登るわ」

「もう誘わんわ!家で60インチのテレビ見てろ!」

みたいなくだりがよくある。部下の不遜な態度を許す好感の持てる上司だが、なぜ登山の魅力を伝えられないのか。

「登山が好き」を分解すると「登山の魅力」と「私が好きと感じる」に分解できる。「登山の魅力」はいくらでも伝えられるが、この「私が好きと感じる」をどうしても伝えられない。

登山が好きは「登山の魅力」と「私が好き」に分けられる

なぜ「私が好きと感じる」ことを伝えられないかというと、好きと感じている「私」の妥当性が伝えられないからだ。

登山を好きである「私」の妥当性を証明するためには、観測者についても正しいかどうか証明しなくてはいけない。なので、

私の妥当性を証明するためには、「私」を観測する「私」の妥当性を証明する必要がある。

でもここでまた「私」が出てきたので、

「私」を観測する「私」を観測する「私」の妥当性を証明する必要がある。

でもここでまた「私」が出てきたので、

「私」を観測する「私」を観測する「私」を観測する「私」の妥当性を証明する必要がある。

となっていき、無限に続いてしまう。
なので、「私が好きと感じる」というのは絶対に伝えることができないのだ。

よってこの上司は、「もう誘わんわ!」と言ったのは正解だ。どこかで切り上げないと一生伝わらないのだから。

ここで、「もう誘わんわ!」といって引き下がらない例の一つが、「シーシェパード」だろう。捕鯨反対で船を体当たりしたりする人達だ。

クジラを守りたい理由は、色々あるみたいだが結局の所「クジラが好き」だからだ。なので、いくら「クジラの魅力」を説いても「私が好きと感じる」が伝わらないのだ。

クジラが好きは「クジラの魅力」と「私が好き」に分けられる

この「私が好きと感じる」がどうやっても伝わらないので、船を体当たりしたり放水してみたりしているのだ。

noteのスキはどうだろう。本当に「スキ」と思って「スキ」と押しているかを気にしている人がいるが、気にしない方が良い。

なぜなら、本当にスキと思っている「私」は絶対に伝えられないし、伝えてもらうことはできないのだ。

ということで、僕はそんなこと全く気にしませんから

気兼ねなくスキ押してください(←笑)






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のろさとし | 実業家 | 製造業 | システムエンジニア
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