論理的思考は「旅行」なのかもしれない
論理的思考は旅行の一種だと思う。
最近ロジカルシンキングが大事だとビジネスシーンで声高に叫ばれるのをよく聞く。僕も大好きだ。一見答えのでなさそうな複雑な事象は「そんな簡単な話じゃないよ」とか「ゼロヒャクで言うなし」とか、慰めの言葉や思考停止を強要する言葉で結ぶことが多い。そんな事象に対し、答えを導き出すまでいかずとも一歩真理に近づくことを論理的思考はしてくれるからだ。
旅行も好きだ。だけど旅行は費用が高くなかなか行けたもんじゃない。旅行は大概移動を伴う事が多いが、この「移動」がまず高い。新幹線で都市間を移動するのに1万円。海外に行こうもんなら往復数10万円を越えたりもする。1ヶ月の給料分と考えると、人生の1ヶ月分を切り売りして移動しなくてはいけない。
ここでいう「移動」とは、どういうことを言うか考えてみると、この世界は3+1次元(+1は時間軸)であり、この3次元空間のある地点xから地点yに自分を運ぶことを言いそうだ。+1の方は時間軸なのでいつも等速で移動しているがあまり移動とは言いそうにない。
時間軸を移動するためにはタイムマシンがいるような気がするが、それ以外にはないか考えるために時間とは何かを考える。
時間というものは何かというと、僕の知る限りいまだによく分かっていないはずだ。"時間"というものは絶対的に存在しておらず、そこに時間というものがあるかのように感じるだけ、というのが大方の見方のようだ。
量子の世界でもない限り、僕達の住むマクロな世界では、因果律の積み重ねの向きが時間の向きと同じと言える。例えば、熱湯の中に氷を入れたとき、時間とともに氷が溶けることはあるが、部屋に置いてある水が時間とともに熱湯と氷に分かれることはない。勉強したから合格したわけで、合格してから勉強が始まるわけはない。(エントロピーの法則の説明などでこういう例えが良く出てくるがここでは触れずにおく)
ここで「論理的思考」に話を戻すと、論理的思考とは、なんで?なんで?と考えることであり、それこそこの因果律を辿っていったり、追っていったりする行為である。不合格だった→(なんで?)→勉強しなかったから。といった具合である。
つまり、論理的思考とは、因果律を移動していることといえる。強いては3+1次元の内、時間軸である+1次元空間を移動していると言えないだろうか。
旅行とは3次元空間を移動することだと定義されていそうだが、いっちょこの+1次元の移動も旅行ということにしちゃえば、この論理的思考も旅行といえるのではないか。
「タイムトラベル」のように、名前を付けて訴求力を上げようと思う。
「ロジカルシンキングトラベル」略してLTTとしよう。
LTTという遊びを手に入れたところで、金額を計算するとゼロである。理論を構築するために使った学費や図書費などを入れるか迷うが、それは通常の旅行でもかかっているはずなので計算にはいれない。思考している時間もコストに入るかもしれないが、それも通常の旅行でも発生している。
つまり、通常の旅行と比べたときに、LTTは激しくコストが低い。おお、めちゃくちゃお得じゃないか。
さらに、通常の旅行は、旅行先で新しい発見や、新鮮な体験が待っているが、LTTも「なんで?なんで?」と移動していくと、新しい発見や体験が待っている。もしかしたらノーベル賞をもらえるかもしれないし、そこまでいかずとも、生きる知恵や好奇心を満たす考察に結び付く可能性がある。
ビジネスシーンでは論理的思考は受け入れやすいが、プライベートで論理的思考をやるのは面倒、という人がいる。これは通常の旅行も同じで、旅行がめんどくさいと言っている人もいる。めんどくさいけど、旅行に行ったら行ったで、楽しく、意義を感じているという意味では、通常の旅行とLTTはそんなことまでよく似ていると思う。
LTTをいきなりやろうと思っても、結構「なんで?なんで?」は難しい。論文や、トヨタ式(だったかな)のなぜなぜ分析とか、結構フレームワークになっていたりする。なので、いきなりやろうと思ってもできないかもしれないが、旅行を楽しむのも意外にコツなどの素地が必要だと思う。
LTTという旅行をなるべく多くの人が楽しむために、「LTTを100%楽しむために読む本」みたいな攻略本を書いてみたいと思う。