幸せになれば不安は消えるのか
人間は不安をぬぐうために幸せになろうと努力する。自分に降りかかる厄災や金欠など、なるべく陥らないよう、努力している。
では今幸せであれば不安ではないかというとそうではなさそうだ。
めちゃくちゃ高級車乗っていても「いつまでこの生活ができるのだろうか」みたいな不安は付きまとう。
ではどうすれば不安はなくなるのだろうか。それを考えるにあたってまずは不安とは何かを考える。
簡単に思いつくのは、「今後幸せじゃなくなりそうなとき不安になる」である。これは直感的にもあっていそうだ。そうすると、不安は幸せの微分と言えそうだ。
確か何かの関数を微分すると傾きになったと思う。なので、幸せを微分した時、その傾きが右肩上がりなら不安じゃない。右肩下がりなら不安、といった具合だ。
めちゃくちゃ急こう配で右肩下がりなら「超不安」だ。
例えば、
彼女との愛が深まっていったり、経営している会社が右肩上がりだったり、とにかく「幸せ」が上昇しているとき、その幸せのt微分の傾きは正だ。
だいぶ傾きが右肩上がりなので全然不安じゃない。
逆に、最近彼女とマンネリだとか、売り上げが横ばいになってきたとか、とにかくなんらかの幸せが一段落してきたとき、その幸せをt微分すると傾きは緩やかとなり、少し不安ということになる。
さらに、株価が大暴落するかのように、何かの災害に見舞われたり、不景気で会社が傾いたり、なんらかの「幸せ」が落ち込んでいったとき、もうこれは言わずもがな、超不安である。
そうすると、幸せの絶頂の状態の時と、不幸のどん底の時の「不安」は同じくらいだったりするってことになる。
なるほど、つまり、「幸せの地盤を引き継いだ二世」みたいな人も、焼け野原からスタートした人も、不安は同じように付きまとうわけか。
この「不安」を退治するためには、「少しずつ幸せになっていく」必要があることになる。「一気に幸せになる」場合は、「一気に不幸になる」可能性も高くなるので、手堅く少しずつ安定して幸せに向かうと不安はなくなるみたいだ。
なるほど、確かに安定を捨てて独立するなどした場合めちゃくちゃ不安が伴う人生を歩むだろうから、符合する。
よし、そうしよう!と思うが、言うがやすし。僕の人生は以下のような感じである。
どうやら僕は不安とともに生きているようだ。