仲間との信頼を築くことが人生の勝利!石田三成と大谷吉継から学ぶ☆
こんばんは!
馬場大輔です♪
今回は、豊臣家に仕えた石田三成と大谷吉継の関係性から学びます。
先日義理人情の話をしましたが、石田三成は義理堅い人だと伝えました。
その中で大谷吉継とのエピソードからも、それを感じることがあります。
大谷吉継も戦国時代の有名な武将の一人で、豊臣秀吉に仕えて異例のスピード出世を果たしています!
秀吉からは「百万の兵を与え、自由に指揮させてみたいものだ」と言わしめたほどの実力者と言われいます。
ある時、大谷吉継は病に侵され、第一線から退いていました。
そんな大谷吉継と石田三成との関係性を表すエピソードがあります。
「大坂城」で催された茶会です。
その席では、お茶が入った茶碗をひとり1口ずつ飲んで、次の人に回すという飲み方をしていました。
病に侵されていた大谷吉継が口を付けたあと、他の武将は茶碗に口を付けることを嫌がったのです。
そして、ほとんどの者が、茶碗に口を付けたふりをして、次に回したと言われています。
しかし、石田三成だけは違いました。
皆が嫌がった茶碗を受け取ると、そのままいつもと同じように飲み干しました。
大谷吉継が口を付けたあとの茶碗には膿が浮いていたとも言われていますが、石田三成は気に留める様子もなく一飲みすると、おかわりを要求したとも伝えられています。
関ヶ原の戦い直前において、東軍に合流するはずだった大谷吉継が、石田三成の要請を聞き入れ、一転して西軍に与したことから見ても、2人の間ではこれに近い出来事があったと推測することができるのです。
大谷吉継は家康が天下を取るという予測をしていたにも関わらず友情を取りました。
最後は小早川秀秋の裏切りにより、自決することになったので、この選択が正解だったかはわかりません。
ただ、戦に負けると感じながらも石田三成との関係性を大事にした大谷吉継の義理人情は本当に尊敬に値します。
それを引き出した三成の友情も本当に凄いです。
目先の損得よりも本当に大切な人との関係性を大事にしていきます。
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