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『室井慎次』を観る前に、『踊る』シリーズの特徴を振り返る

『踊る』の時間が、間もなく動き出す。

10月11日に公開される映画『室井慎次』。「踊るプロジェクト再始動」というキャッチコピーとともに、新作の報がもたらされた。フジテレビは夏ごろから『踊る』シリーズをTVドラマ・映画・スピンオフと一挙に放送している。相当に力の入ったキャンペーンである。

私も『踊る』シリーズのファンとして、新作を楽しみにしてきた。ところが、『室井慎次』の公開映像が公開されていくたびに、ある疑問が浮かんだ。

『室井慎次』は、『踊る』シリーズとの接続を意識していながら、『踊る』シリーズの特徴を共有していない作品になっているのではないか。

この記事では、『室井慎次』を観る前の予習として、『踊る』シリーズの特徴を振り返ってみたい。

(1)『踊る』シリーズの特徴

①警察を「ヒーロー」ではなく「役所」として描く切り口
『踊る大捜査線』の切り口の新しさは、警察を「格好いいヒーロー」ではなく「数ある役所のひとつ」として描いたことにあった。そのねらいは、TVシリーズ第1話の冒頭によく現れている。

第1話の冒頭は、青島が取調室で犯人を詰めるシーンから始まる。だがその取調べは、湾岸署が新人の青島に課した模擬取調べだった。いかにも刑事ドラマ然とした振る舞いをした青島は、管理職たちに「刑事ドラマの見過ぎ」と冷笑されてしまう。

早速警視庁から入電。パトカーで颯爽と出動しようとした青島は、事務職員に「書類を書いてください」と止められる。緊急事態なんだ、と青島が焦ると、「では、緊急出動用の書類を」と別の紙を渡される。呆れた青島は走って現場に駆けつける。しかし現場ではすでに警視庁捜査一課(本庁)の職員たちが捜査をしており、湾岸署(所轄)の青島は邪魔者扱いされてしまった。

この冒頭数分に、『踊る』のスタンスが現れている。定番の刑事ドラマのイメージを裏切り、警察をあくまで「役所」のひとつとして描く。刑事ドラマの格好良さに水を差すようなコメディシーンが度々挿入される。

『踊る』シリーズで有名な(そして『室井慎次』のCMでもネタにされている)「レインボーブリッジ封鎖できません!」も、「役所のひとつとしての警察」を表す台詞である。犯人グループをお台場に閉じ込めようとする捜査本部。しかし、本部の指示でレインボーブリッジに向かった青島は、国土交通省と東京都港湾局の職員に止められてしまうのであった。

②青島と室井の「約束」がもたらすダイナミズム
しかし、警察(官)をシニカルに描くだけでは、物語として盛り上がりに欠ける。『踊る』シリーズには、物語を駆動するダイナミズムがあった。それが青島と室井の「約束」だ。

TVシリーズの終盤、いつしか名コンビとなった警察官僚・室井と所轄の刑事・青島は、ある「約束」を交わす。室井は官僚として出世し、青島は現場で市民のために働く。それぞれの場所で働いていくなかで、警察を「正しい」ことができる組織に変えていく、というものだ。

『踊る』シリーズにおいて、「役所のひとつとしての警察」が〈現実〉だとすれば、「青島と室井の『約束』」は〈理想〉である。実際に、TVシリーズの続編となる映画シリーズにおいては、〈現実〉が少しずつ〈理想〉へと近づいていくかに見えた。

「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」と凄む青島を室井は警察幹部の制止を振り切って突入させ(『踊る大捜査線 THE MOVIE』)、「どうして現場で血が流れるんだ!」と憤る青島を見て室井は捜査を立て直し(『踊る大捜査線 THE MOVIE2』)た。そして数々の難事件を経て、室井を本部長とする警察組織改革が始まった(『踊る大捜査線 THE FINAL』)。

青島と室井の「約束」という〈理想〉に向かって、警察組織の〈現実〉が変わっていくかもしれない。シリーズを通して徐々に進んでいくその予感が、『踊る』シリーズを駆動するダイナミズムだった。

(2)『踊る』シリーズの特徴とは異なる”踊るプロジェクト”最新作

間もなく公開される『室井慎次』のCMには、「『踊る』の時間は、止まってなかった。」というキャッチコピーがある。しかし『室井慎次』は、予告を見る限り、上述した『踊る』シリーズの二大要素を欠いている。

「あの男との約束を果たせなかったーー」という衝撃的な一言から、映画の予告は始まる。『室井慎次』において、室井は警察を定年前に退職したらしい。そして故郷の秋田に戻り、犯罪加害者家族・被害者家族の支援活動をしているという。そうしているうちに、何らかのきっかけで事件に巻き込まれていくようだ。

室井は職を辞し、警察の外側にいる。そして室井が「約束」を交わした「あの男」は回想以外に出てこず、その俳優名もクレジットされていない。

①室井は警察の外側にいる
まず、室井は警察の外側にいる。警察はあくまで、主人公がかつてそこにいた世界、そして今は主人公の外側にある世界として描かれる。「中の人」たちのドラマとして「役所のひとつとしての警察」を描くことはできない。

②青島がいない
そして、「約束」が潰えている。室井は「約束」を果たせず警察官僚を辞した。かつて『踊る』シリーズを駆動したダイナミズム、そして「約束」を交わした相手は、回想映像にその面影を残すのみである。


もっとも、以上述べてきたことは、あくまでいくつかの予告映像を基にした印象でしかない。劇場で実際に作品を目にしたとき、このような薄っぺらい印象は大いに裏切られるのだろう(そうであってほしい)。

予告を見る限り、『室井慎次』は、「『踊る』の時間は、止まってなかった。」と打ち出していながらも、これまでの『踊る』シリーズの特徴が当てはまりそうにない。
さらに、一部報道によれば、主演の柳葉敏郎は「僕は今作を『踊る大捜査線』シリーズとは思ってない」と発言している。”踊るプロジェクト” 映画最新作でありながら、『踊る大捜査線シリーズ』ではない。この言辞をどう捉えるか。その答えは、劇場で確かめるしかないだろう。

では、『室井慎次』が描きたかったものは何か。そこにこの映画の見どころがあるはずだ。

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