死前喘鳴は予防可能~SILENCE試験とその背景まで解説
がんなどの終末期に「死前喘鳴」と呼ばれる現象が起こることがあります。具体的には、余命が数日以内となった(ほぼ)昏睡状態の患者が呼吸するたび、のどの奥で「ゴロゴロ」という音が鳴るものです。
死前喘鳴は、のどの奥にある水分が呼吸で震えて音が出る、というものでその機序から考えても本人が苦痛を感じることはほぼ無いと考えられていますが、付き添っている家族には「痰が詰まって苦しんでいるのでは」という不安をかき立てるものでした。
今回オランダから発表されたSILENCE試験では、ブチルスコポラミン(商品名ブスコパン)の投与によって、この死前喘鳴を予防できる結果を示しました。
これまで死前喘鳴はどのように扱われてきたか
これまでの臨床では経験的に、ブスコパン投与で死前喘鳴が改善する例があることが知られており、家族の苦痛が強い場合にブスコパン投与はよく行われてきました。
しかし2012年、その効果を検証する無作為化比較試験ではブスコパンはプラセボに対する優位性を示せませんでした。
その結果などを受けて、2016年の国内ガイドラインでは死前喘鳴に対するブスコパン投与は「投与しないことを提案する」としました(僕が担当でした)。
ブスコパン投与を推奨するだけのエビデンスに乏しく、また先述したように、死前喘鳴では患者が苦痛を感じていない可能性が高く、自然の経過のひとつであり、それを家族に説明することが薬物療法よりも第一と考えてほしい、という思いを伝えたかった面もあります。
しかし一方で、この国内ガイドラインへは批判も多数ありました。実際、観察研究ではブスコパンの効果がある例は示されており、国外ガイドラインでは「情報提供や非薬物的手段を講じたうえで、不十分な場合にブスコパン投与を推奨する」としているものもあったためです。
実は国内ガイドラインでも、「投与しないべきだ」とまでは言っておらず、推奨文も一段階緩やかな「投与しないことを提案する」となっており、また解説において「(非薬物療法を行ってなお家族の苦痛が強い場合にブスコパンなど)抗コリン薬を投与することは許容できる」と記載してはいるのです。これは、ガイドライン本文を作成する際に「確かにエビデンスには乏しいものの、患者背景によっては効果がある患者がいる可能性は残っている」との判断から、文章を練ったものでした。
しかし批判の中には「推奨文だけを読んで解説まで読まずに判断する医者もいる。その結果、投与を頑なに拒否する医者が出れば、家族の中で悲しい思いをする人が増える」という指摘もあり、悲しいことですがそのパターンもあり得ることも確かでした。
「治療ではなく予防」にシフトしたSILENCE試験
そういったこれまでの流れを受けて、
「ブスコパンは気道への水分分泌を抑える薬。死前喘鳴が始まってからブスコパンを投与しても、既に気道内に分泌してしまった水分は消せない。だから発生後にブスコパン投与をしてきたこれまでの研究は失敗した。なら、死前喘鳴が開始される前にブスコパン投与をすれば死前喘鳴も予防できるのでは?」
と着目して始まったのがこのSILENCE試験となります。
SILENCE試験は、プラセボ対象無作為化比較試験で162名が割り付けられました(がん患者を86%含む)。治療群は死期が迫ったときにブスコパン20㎎を1日4回皮下注され、対照群は生理食塩水を投与されました。
結果、ブスコパン投与群ではプラセボ群と比較し有意に死前喘鳴が予防されました(p=0.02)。また死前喘鳴が発生するまでの時間も有意に延長しました(引用図)。
SILENCE試験の結果で臨床はどう変わるか
SILENCE試験は、ブスコパン予防投与が死前喘鳴を減らせることを示しました。
では、この結果を受けて臨床はどう変化するか、です。
まず注意すべきは「予防は示せたが、発症した死前喘鳴への治療はいまだ不明確」という点です。かといって全ての患者に「1日4回ブスコパン皮下注」を行うかと言われると、それも微妙です。薬剤コストも問題ですが、看護師の業務負荷がかなり増すためです。
ただ少なくとも「感染など気道分泌を増加させる要因が無い患者において気道分泌が少ない時点でブスコパン投与を開始すれば、死前喘鳴の悪化を防げる」ことが示唆された意義は大きいです。このことは実は以前から指摘されていて、患者の状況に応じてブスコパン投与は行うべきでは?と言われていたとことの根拠が示される形になったためです。
よって、僕としては今後の臨床において「ブスコパン投与の効果が見込める患者を早めに見極め、予防またはごく初期での開始を検討する」が妥当なラインかと考えています。もちろん、非薬物処置や家族への説明はこれまで通り併用が必要です。
死前喘鳴は確かに、患者本人の苦痛にはつながらないとしても、周囲で付き添う家族の精神的苦痛につながります。正しい情報提供が第一ですが、それだけでは家族の不安解消につながらない場合もあります。今回、このSILENCE試験で、死前喘鳴の予防効果が示されたことは臨床的にも大きな意義があると考えています。
※追記:10/7昼に公開して以降、この結論について少し考えていたのですが、「死前喘鳴を経験した家族のうち、医師などからの適切な情報提供によって落ち着きを取り戻せる」方が、結構いるのではないか、という点が気になってきました。予防投与をすると、必要ない方へ無駄な投薬が行われることになりますし、予防投与しないと一定数「喘鳴に耐えられない」家族が出るが、出現してひどくなってからでは効果が薄い可能性がある・・・というジレンマ。やはり「出現のなるべく早期に」家族にアプローチしていくので乗り切るしかないかなあ・・・。
(以下、マガジン購読者限定部分ではこの研究への感想とこぼれ話を追記しましたのでこちらもご覧ください。※医療者向けです)
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