神集めの島と文化的処方
夏休みを利用して神津島に行ってきた。
神津島ってどこ?って思うだろうか。
実は東京都の島のひとつ、伊豆七島に属する島だ。
東京の竹芝からジェット船で3時間半。
意外と近い南の島。
神津島は、日本に3か所しかない「星空保護区」に認定されており、まちの光が空に漏れないように工夫がされている。
今回の旅では、この星空を眺めに行くことも目的だったが、もうひとつの目的が、島唯一の診療所に勤務する岩瀬翔先生に会いに行くことだった。
岩瀬先生は、まだ20代の若い医師だが、イギリスの社会的処方を学びに留学をした経験をもち、書籍『みんなの社会的処方』にもご寄稿を頂いた。社会的処方EXPOの運営にも関わっていただいている。
研修プログラムの一環として、東京都の島しょ地域を何年間か回っているのだが、その間に一度島に遊びに来てくださいよ、と言われていたので、今回お邪魔することにしたのであった。
島に渡ってすぐに合流した、汗だくの岩瀬先生に連れられ、パッションフルーツやメロンの生シロップで食べられるかき氷のお店へ。
そこで、「HAPPY TURN神津島」という取り組みを紹介してもらった。
神津島にUターン・Iターンしてきた方々を中心に、島に関わりのある人々が神津島を知り、豊かに暮らすきっかけを得る事を目的としたプロジェクト。
「東京アートポイント計画」の一事業として運営されているこちらの取り組みでは、島の拠点「くると」という誰でも集まって遊んだり作業ができる広場を中心として、子どもたちから大人までが様々な活動に取り組んでいるという。
ダンスが好きな人が立ち上げた「おどり部」もあれば、ウクレレ好きが集まっている「ウクレレ部」、他にも「筋トレ部」や「ハワイ語勉強部」などもある。島の方々が、それぞれの「やりたい!」を持ち寄って、様々な活動が生まれて、そしてつながっていっている、という話。
僕は、これこそが「文化的処方」なのではないかと感じたのだ。
「文化的処方」というと、アートを患者さんに処方する、といった類が例示される場合が多いが、本来「文化」とはその土地その土地の人々が紡いできた営みの連鎖であり、その表現そのものである。なので、美術館や博物館、歴史的建造物などに紐づく展示品や文脈も文化の一環である一方で、市井のいち市民が営んでいる活動だって文化たりえるものなのである。
最近よく思うことが、多くの方々は社会的処方や文化的処方を難しく考えすぎ!ということ。もっと楽しい、ワクワクするって感覚を大切にして、自分や自分の大切な人が社会とつながりなおすための表現として、それらを捉えて欲しいなと思う。
そしてもうひとつ思うこと。島に来て改めて、自分は「よそ者」で居場所が無い民であると自覚した方が良いのだということ。
島にはアートが似合う。そんな気がするというだけで、単純にアートの拠点を持ち込んで活動をするだけでは、失敗する可能性が高くなる。それは、あくまでもその人が「よそ者」であるからだ。もちろん、よそ者にはよそ者の良さがある。地域活性化などの文脈では「よそ者」の方が役に立つ場合も多々あるだろう。しかし、コミュニティの中でつながりを重視してプロジェクトを展開していく場合は、その地域の中である程度腰を据えてやっていく、ということを周囲から「信頼」してもらえるかが重要になる。その信頼を築く前に、「自分はこのまちでこんな取り組みをやってみたいんです!」と主張するだけでは、多くの人はついていかない。
そのまちに以前から住んでいた方との交流、冠婚葬祭のお手伝いや自治会への参画などを経て、ようやく自分たちのコミュニティの一員として認められるようになる。地域活動に失敗する事例の少なからずは、この「信頼」を稼ぐことを怠っている結果である。
文化的処方を、殊更に難しく考える必要も無いが、頭の中で構築したことを現実に当てはめようとする怠惰もダメ。一言で言えば「考えるよりも、行動しろ」ってこと。
日本人は真面目だからなのか、正解を求めすぎる。正解はほとんどの場合、あなたの頭の中にあるのではなく、その地域の人々との関係性の中にある。それが分からないうちは、どんなキレイごとを述べようとも、文化的処方の姿は見えてこないだろう。
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コトバとコミュニティの実験場
「コトバとコミュニティの実験場」 僕はこのマガジンで、「コトバ」と「コミュニティ」の2つをテーマにいろいろな記事を提供していく。その2つを…
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