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こちらは『褐色の蛇~国家認定緩和医・望月亜桜の日常』の「プレ公開版」です。定期購読マガジン『コトバとコミュニティの実験場』メンバー限定となっています。正式版は2021年春頃に無料公開予定です。
梅雨明けの温泉棟に、蝉の声がチー、チーと遠く響く。
――初鳴きかな。
湯船に微かに届く声を聞きながら亜桜は、昨日もこの声が耳に入ってきた気もしていた。
隣で湯につかる赤垣は、水面を眺めながら時おり肌を手でこすっている。褐色の水滴が肌に弾かれて、また湯船に還っていく。
「今日は誘ってくれて、ありがとうね」
沈黙に耐え切れなくなった亜桜が話しかける。
「いえ、こちらこそ宿直明けに付き合って頂いてありがとうございます」
固い。雰囲気が、固い。赤垣が何を考えているのか、どう切り出していけばいいのかがわからない。うーんと亜桜が悩んでいると、赤垣はざあっと立ち上がって窓を開いた。
「いい、風ですね。こっちのほうがいいですよ」
半開きになった窓から、初夏の匂いが流れ込んでくる。大きく息を吸い込んで少し笑顔になった赤垣に、亜桜は安心した。
「そうね。気持ちいいけど、覗かれないかな」
「ですね。お湯の中に入っちゃえば見えないですけど。あ、こっち側に寄れば死角になりそう」
そう言って、赤垣は亜桜の背中を押す。誰もいない湯船の端っこで二人は体を寄せ合った。
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