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走ることについて語るときに僕の語ること(フルマラソンで2時間40分を切った話)

この記事はオリエンテーリング Advent Calendar 2023(裏版)の2日目の記事です。https://adventar.org/calendars/9425

こんにちは。横浜OLC/入間市OLC所属の田邉拓也と申します。
11/26(日)に行われたつくばマラソンで2時間39分55秒(NET TIME)という自分の想定を遥かに超える好タイムを出すことができました。
せっかくなのでつくばマラソンに挑むまでのことと、なぜこの記録を出すことができたのかについて書き記しておきたいと思います。
ちなみに練習や準備に関係ない部分も多いので、適当に章を飛ばして読んでいただければと思います。


なぜ私は走るのか?

「走ることが好きだから」

見出しのような質問に対してただそんな風にシンプルに答えられるような人間だったらどんなにいいだろうか、としばしば思います。
走ることは自分にとって例えば「歯磨きをしないで寝ると気持ち悪い」に近いような、生活の一部であり、もはや依存に近いのかもしれません。

私は中学校で運動部に入ってからずっと走っていました。
最初に入った卓球部はドライブでのラリーが楽しかったですが、手先が不器用な自分はそれ以外のプレーが全然向いておらず、中学3年生の途中で止めてしまいました。
中高一貫校だったのでその後友人に誘われて残りの3年間はバレーボール部で過ごしました。バレーボールはアンダーハンドでレシーブが正確に返せる瞬間がとても好きだったのですが、練習は厳しくてレギュラーになるにはほど遠く、またレシーブは得意だったはずなのにコートに立つと、緊張で身体が思うように動かず、度々イップスになってミスをしてはチームメンバーに対して気まずい想いをしていました。またバレーボールを始めてからは肩の脱臼癖が発症しました。肩が外れるたびに激痛が走り、その後は2,3週間練習ができなくなってしまう、そんな日々の繰り返しは悲しくてしょうがなかったです。(あまりにも脱臼癖が酷くなってからは守備専門のリベロなのに監督から飛び込みレシーブを禁止されていました)

そんな自分にとって、走ることは唯一「人より上手くできること」でした。
卓球部時代のある日に行ったランニング練習で、指導に来た大学生や先輩より5㎞のコースを速く走ることができた時、生まれて初めて「自分にも人より上手くできるものがあったんだ」と思いました。
恐らくその時から今まで、ずっと自分を支えてくれたのが走ることです。
高校時代、部活の練習がない日は帰宅してからランニングをするのが日課でした。確か、鶴見川沿いを12㎞くらい、それも結構追い込んだペースで走っていたように記憶しています。身体を動かすのは好きなのにバレーボールは下手で、動けば怪我をして、そうしたらなんとなくやることがなくて鬱屈とした日々の中で、自分のもやもやした気持ちをぶつけるように追い込んでいたと記憶しています。
日常生活を送っているといつも眠くて、頭は沸騰しそうで、考えはごちゃごちゃだったけど、走っている間だけは走っていることそれだけに集中できた、その時間だけが生きていて心地よかった、それはやっぱり「好き」とは違う感覚でした。
当時「それでなんで陸上部に入らないの?」と訊かれては歯切れの悪い返事を返したように記憶していますが、今にして思えば「走ることが別に好きではなかった」からだと思います。

自分にとってオリエンテーリングのような”走ることが結果に繋がる、そして走るだけではない面白さがある競技”に出会えたことは本当に幸せなことだったと思っています。高校時代から追い込んで走る習慣があったから、大学時代に一人で追い込みトレーニングをするのも、それほど抵抗なくこなしていました。

こういう経歴だからこそ、社会人になってからも走ることは歯磨きのように続いています。ちなみに昨年の走行距離は12か月で2991㎞、平均して月に250㎞程度は走っていた計算になります。
最近では走っている間に思考が進んで考えがまとまったり、嫌なことを忘れられたり、気候や景色を楽しんだり、走ることが趣味に近づいているようには思います。走ってカロリーを消費した後に食べる食事は美味しいですし、走っている仲間とは普段の交友関係より仲良くになれることが多いです。
それでもやっぱり純粋に「好き」というのとはなんか違う気がしてます。だって歯磨きは好きでなくてもやりますから。

こんな感じで、私は内省的で、まぁ、言ってしまえば「めんどくさい人間だ」とよく思っています。(3年前のこの日に書いたアドベントカレンダーも私のめんどくささ全開ですが、割と評判が良かったので良ければどうぞ)

フルマラソンに挑むモチベーション

初めはサブスリーの称号が欲しかっただけ

オリエンティアでも最近少しずつフルマラソンに挑戦する流れがありますね。フルマラソンでサブスリー(3時間切り)は、(最近会社のランニング趣味の方と話していても感じますが)やっぱり名の通るステータスです。「せっかくオリエンテーリングのためにサブスリーくらいは出せそうな走力を持っているんだから、今のうちに記録を出しておこう」、私も最初はそんなモチベーションでした。
初めてのフルマラソンはコロナ禍直前の2020年2月に行われた「UPRUN 新横浜鶴見川マラソン」という大会でした。鶴見川沿いにある実家のすぐ前を16回も通過するという正直全くテンションの上がらないコースで、この大会は本当は4月に青森で行われる公認コースの練習のつもりだったのですが、不幸にもそちらはコロナで中止になってしまいました。
そこで出した記録は2時間53分22秒。ずっと3,50/kmくらいのペースで巡航していたものの、27㎞以降の大失速は散々なもので最後は5,00/kmまで落ちるほど気持ち悪くなってしまいました、、、
本来の大会はなくなったとはいえ、一応目標のサブスリーは達成できたのも相まって、「しばらくフルマラソンはいいかなぁ、、、」という気持ちになっていました。

意気揚々と巡行していた序盤とマラソンの過酷さを痛感する終盤のギャップよ

会社のランニングクラブというコミュニティ

2022年、会社のランニングクラブで出場した企業対抗駅伝大会

実は昨年から会社のランニングクラブに顔を出して、毎週水曜日に一緒に練習をしていました。少し年上の方が多いコミュニティですが、マラソンをやっているだけあって気の優しい方が多く、すぐに馴染むことができました。クラブの方々とジョグをしながらのおしゃべりは毎週の楽しみなのですが、そこで初めて「マラソンを楽しむ大人たち」のトレンドがあるということを知りました。長野マラソンや北海道マラソンというキーワードが出る中で「田邉さんの次の予定は?」「私は来週全日本オリエンテーリング大会に出場します笑」「そっか笑」というような微妙に噛み合わない会話を楽しんでいましたが、やはり仲のいい人たちがこぞって出ている大会は気になってきます。

その大会の一つがつくばマラソンでした。
フラットなコースはタイムも出やすく、11月下旬に行われるため気候もかなりマラソン向きとのこと。そして子育て世代も多い会社の先輩たちにとって首都圏からの近さは何よりも魅力とのこと。マラソンファンに人気の高いこの大会、昨年は気付いた時にはエントリーは終わっていましたが、今年は先輩たちと同じマラソン大会に一つくらい出たいなと思っていました。本当は全日本大会もOMMエリートもある11月に行われるということでさすがに過密日程過ぎないかと迷っていましたが、やっぱりエントリーしなければ何も始まらないよな、と覚悟を決めてエントリーしました。
こうして3年9か月振りに、二度目のフルマラソンに出場することになりました。また陸連公認大会のような大規模なレースに出場するのは初めてでした。仲間と一緒のレースに出たいだけなんだから楽しんでやればいいし、どんな結果でも別にいいや、と思ってはいたものの、段々と欲も出てきます。

市民ランナーグランドスラムを達成してみて

実は今年、7月の富士登山競争山頂コースを完走して、市民ランナーグランドスラムというのを達成しました。市民ランナーグランドスラムとは、フルマラソンサブスリー、ウルトラマラソンサブテン(100km・10時間切り)、富士登山競争完走の3つを達成することで、以下のブログにわかりやすく書かれていました。

富士登山競争はクリック競争が激しく、尚且つ前年5合目コースを完走しないと山頂コースに出場できません。登りが苦手なので、2年間かけて完走できたことは大きな自信になりました
なぜか「Youは何しに日本へ?」に絶妙な位置で映り込む

この市民ランナーグランドスラムもやはり会社のランナーたちに言うと「スゴイ!」と驚かれるような、市民ランナー界隈ではメジャーなもので、やっぱり「体力のあるうちに達成しておきたい」といったどちらかと言えば外的なモチベーションで取り組んでいました。
100㎞マラソン10時間切りは、それこそもう二度とやりたくないのですが、一念発起して2021年10月に行われた柴又100kという大会に出場して9時間26分58秒のタイムを出して達成していました。
この時に初めて神奈川県陸上競技連盟に競技者登録をしました。
なので私の持ちタイム100㎞ 9時間26分58秒は陸連に正式に登録されています。

柴又100kの95㎞地点、内臓も脚もボロボロ

富士登山競争を完走して市民ランナーグランドスラムを達成して、改めて、「フルマラソン、もうちょっとちゃんとしたコースでタイム出したいな」と思いました。前述の大会がちゃんとしてないわけではありませんが、参加者20人くらいで、コースも同じ場所を何度も折り返すだけ、もちろん陸連登録の大会ではないし、名前を言っても誰も知りません。
何より「ただの練習のつもりで出た大会」というのがなんとなく引っかかっていました。せっかくなのでつくばマラソン、陸連にも記録を残せるこの大会で、しっかりとサブスリーを決めたいなと思いました。

ランニング時のエネルギー代謝~有酸素系と解糖系~

ここまでフルマラソンに挑む気持ちの変遷を書き記し、いよいよ練習や目標設定の話に入っていきたい、、、ところなのですが、前段として私の走ることに対する捉え方と理論が、なぜその練習内容なのかを説明する上で重要なので書いておきます。(尚、体内での代謝と疲労の関係をイメージで捉えやすくする目的で記載しており、厳密な考証を行っていないという点はご容赦ください。)

有酸素運動と無酸素運動(解糖系)とは?

基礎的な知識かもしれませんが、運動には有酸素運動と無酸素運動(解糖系)の2種類があります。私は大学時代、ミトコンドリアエネルギー代謝を専門に研究していたので「無酸素運動」よりも「解糖系」と言われた方がピンとくるため「解糖系」という表現を使っています。

有酸素系と解糖系の違いは以下にわかりやすく解説されていました。走ることに絞って言えば、
 ・有酸素系=どこまでも続けられるような負荷のジョグ
 ・解糖系 =100~400m程度の全力ダッシュ
というイメージで捉えていただければ概ね合っていると思います。

次に有酸素系と解糖系において体内でどのようなことが起きているかということを説明します。以下の説明に登場するATP(アデノシン三リン酸)という物質は「生体のエネルギー通貨」とも形容され、運動時のエネルギーそのもの(これが多ければ多いほど大きな運動ができる)と考えて差し支えありません。

体内に摂取した糖や脂肪を使って、さらにその反応過程で酸素を消費しながら、ゆっくりと大量のATPを生み出す運動が有酸素系です。経路が複雑なため、瞬間的なエネルギー供給には不向きです。

※参考サイト:https://www.dnszone.jp/nutrition_guide/1-3/

対照的に、解糖系は酸素消費をせずに(嫌気的に)糖質をピルビン酸へと分解、そして乳酸へと還元する一連の反応です。急激にエネルギー需要が高まった状態(人間の動きで言うとダッシュや筋トレをしているような状態)の時に、この経路によってATPが生成され、30~60秒程度最大限の筋収縮が可能であると言われています。「乳酸」は聞いたことがある人は多いと思いますが、「乳酸が溜まると動けなくなる」で有名な「乳酸」のことです。(現在では乳酸そのものを疲労物質として捉える考え方は誤りであるとの指摘もあるようですが、説明が複雑になり過ぎるので細かい説明は割愛します。)

※参考サイト:https://www.dnszone.jp/nutrition_guide/1-3/

 

私のランニングに対する捉え方とLT値(乳酸性作業閾値)

体内で行われる物質代謝の多くは合成反応と分解反応が平衡状態にあり、乳酸もそのような平衡状態にある物質の一つです。
(化学平衡のイメージで捉えるとわかりやすいかもしれません。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%96%E5%AD%A6%E5%B9%B3%E8%A1%A1

スポーツをする人にとって「乳酸が溜まる≒疲労が蓄積する」という表現はかなり一般化していると思いますが、これはつまり、運動強度が高まった結果(ランニングで言うとジョグよりダッシュ系の高負荷の動きが多くなった結果)、有酸素系の反応スピードでは賄えなかった分のエネルギーを解糖系で生成し、解糖系を通して副次的に生成される乳酸の合成スピードが分解スピードを上回る状態を指します。
LT値に関しては4年前のアドベントカレンダーで根本選手が非常に良い解説を書いてくれていましたので引用させていただきます。

LT値(Lactate Threshold;乳酸性作業閾値)という単語は聞き馴染みがないかもしれません。
LT値は「血中乳酸が持続的に増加することなく行い得る最高の運動強度」と定義されています。ここでは「乳酸が溜まり始める強度」という認識で構いません。
図のようにヒトは血中乳酸が急増する点があり、その点をLT値と呼びます。

引用元:jogのすすめ
https://markmag.jp/2011/11/zagaku06/10148

私もランニングやオリエンテーリングをする時に、このLT値と血中乳酸濃度の考え方を重視しています。
”LT値は「血中乳酸が持続的に増加することなく行い得る最高の運動強度」”という記述がありましたが、この記述や先ほどの図からも読み取れる通り、ランニングやオリエンテーリングのような持久系の運動は常に、
「運動負荷にともなう有酸素系と解糖系のバランス」
に支えられており、それが身体を動かし続ける上での全ての肝だと考えています。

例えば、
100m走※のスピードで5000mを走り切れないのは、なぜか?
5000m走のスピードでフルマラソンを走り切れないのは、なぜか?

これら走る競技の全ての肝が「競技時間や負荷とそれに合った出力をベストに調整すること」にあると考えています。さらに「競技中に自分の持ち合わせるフルパワーをオールアウト」できれば、その時点で持ち合わせる最高の力を出せたということになります。
例えば、5000m走のタイムを出したければ、15~20分間の間に自分の体力を出し切ることが具体的な目標となります。直前の練習で自分が15分程度継続できるギリギリのスピードを探る練習をやっておきます。5分しか持たないスピードで力尽きたり、20分以上持続可能なスピードで走ってレース後に「出し切れなかった」と後悔することを防ぐためです。
ただただジョグをする時間ももちろん設けていましたが、ペースや時間を決めたポイント練の最中は「今自分の走っているスピードはどれくらいで」「その負荷を一定にしたらあとどのくらい持ちそうか」ということを自分の身体を観察しながら頻繁に考えています。
決して厳密な表現ではありませんが、例えば「今の自分にとって4,00/kmのスピードって有酸素系何%で、解糖系何%くらいの負荷なんだろう?」ということを運動中常に意識している、そんな感覚です。そして、どうやったら有酸素系のエネルギー供給を枯渇させずに維持し続け、解糖系をゴールの瞬間と同時に枯渇させるほど使い切れるか、自分の内部で起こっていることを見つめながら、そういうレースを目指していました。

そうした練習を通して自分の身体のことを把握できれば、あとはその計算を元にレース戦略を立てるのみです。もちろんレース中のペースコントロールの判断にも非常に役に立ちます。
次の章に今回のマラソンにあたっての準備を詳しく書きますが、判断の基本はこの考え方でした。
(※ちなみに詳しくはないですが、短距離でこの理論を使うことはあまりないのかなと思います。たった10~20秒程度で終わる100m走であれば解糖系を100%使う計算でいいのですから、エネルギー代謝に関して深く言及するよりも、瞬発的な動きの改善に力を割いた方が良いでしょうから。)

オリエンテーリングへの応用

一応、LT値と血中乳酸濃度の考え方をオリエンテーリングに対してどのように応用しているかを書いておきます。オリエンテーリングの場合はやはり不整地とアップがあることが大きな違いですが、自分の負荷を観察しておくという基本は変わりません。
例えば、ウィニング90分で自分の実力では2時間近くかかってしまう全日本ロングはかつて何度もペースコントロールに失敗して途中で力尽きた経験があり、強い苦手意識がありました。
こうした状況の中、今回はマラソンのために取り組んでいた30km・2時間(4,00/km)のペース走の経験が非常に役に立ちました。ペース走はちょうど2時間で力尽きる感覚だったので、この時程度の(≒4,00/kmで走っている時の)身体の負荷を意識しながら、コースの終わりが見えるまでは4,00/kmと同じくらいの負荷を意識して、ちょうど体力を出し切るくらいの感覚でゴールすることができました。

このようにオリエンテーリングの時は走るスピードで測れない代わりに身体の負荷に置き換えて考えています。
ちなみに最近はオリエンテーリング中の登りって解糖系の運動だな、、、と痛感することが増えています。かつては1レースで10回以上、元気に登りを走れたのですが、今では2,3回登りを走ったらもうそれ以上はゼイゼイと息を荒くしながら膝に手を当ててゆっくり登ることしかできなくなってしまいました。(最近は、その解糖系走りをどこで使うか、タイミングを慎重に見極めるようなことが増えています)

全日本ロングの50%のビジュアル。笑顔を見せているが、そもそも笑顔が出るくらいの無理のないペースで走り通すことを意識していたからこそ。

練習と目標設定

さて、ようやく練習と目標設定について書きます。
会社の仲間たちと話していて、一段上のフルマラソンの目標となるのは「サブエガ」で2時間50分切りです。(最初「エガ」って何?と思っていましたが、エガは江頭2:50のことのようです。)
私の持ちタイムは2時間53分台なので、確かに自分でも目標はその周辺に置きたいと考えていました。しかし、練習を通して現実は甘くないと痛感することになります。

普段のトレーニングについて

普段のトレーニングについても軽く書いておきます。
ベースは月250㎞前後でポッドキャストでも聴きながらのジョグ。オリエンテーリング、トレランなどは月1,2回程度ですが、
・週1回以上はポイント練(ペース走やインターバルなど)を入れること
・目標レースシーズンに合わせてポイント練の内容を変えること
を意識しています。
代表的なポイント練は社内の水曜練習会で取り組んでいる6kmのペース走です。多摩川沿いを東名高速道路をくぐるところまでジョグし、加速して一気に戻るというトレーニングをしています。各々の目標設定で時に競り合いながらやっていて、私の中での基本は、6㎞通して3,30/kmで走れれば調子いいかな、という指標にもなっています。また前章に絡めて言い換えると、私はこの6㎞の中で約20分間出力できる閾値のスピードを探っている、ということになります。

社内練習会の多摩川コース
9~14の6㎞区間はペースを上げて(この時は5km17,30を切れて好調)

1回目の30㎞のペース走 やってみるしか前に進む方法はない

今回の取り組みの中でも最大のポイントとなったのは新横浜公園で行った30㎞のペース走です。全日本は11月第一週でしたし、脚へのダメージも考慮して直前ではない時期10/8(日)と10/21(土)に2回ほど行いました。

内容としては3,45〜4,00/kmで25〜30km走り切ることを目標に、給水のタイミングを除いて4,15/kmより遅くなってしまったら即終了するというサドンデス方式で始めました。アクエリアス950mlを拠点に放置しておいて、5km(3周)ごとに給水は必ず摂ります。
普段は多摩川や鶴見川の河原を走ることが多いですが、一人でやるにはあまりに辛い&周回コースでないと過酷なので、実力派マラソンランナーがたくさんいる新横浜公園を活用しました。
この練習を通して、2時間以上巡行できる閾値のスピードを探って、今の自分の身体にあった戦略を立てようと考えていました。

実力派ランナーが多数、土日の新横浜公園
10月8日の回
10月8日のラップ

10月8日の回は、そもそもそんな過酷な設定でできるのかかなり不安な気持ちで走り始めましたが、サブスリー・サブエガ達成に向けてはかなり現実的な計算で設定を組んでいます。これができないならできないで「現状サブスリー・サブエガの走力はない!」と受け止めて前に進むしか方法はありません。

しかし予想外に、最初の5kmは動き過ぎでは?と思うほど身体が軽くて安心しました。この出力で3,45/km切るの?という感覚でした。
10kmまでは少し抑えめに行き、とりあえず20kmまでは確実に行こうかと巡行。17kmくらいまでは身体もそんなに疲れてなくて余裕でした。
課題は21〜27kmのなんとも言えない精神面身体面のキツさでした。前半はそもそもかなり疲れのないまま距離を稼げていますし、20kmが迫ってくる高揚感で全然耐えられましたが、そこを抜けてすぐの次の目標が遠い21〜27は本当にキツいと感じました。この区間、せめて4,05/km切らないくらいのスピードで耐え忍べばサブエガも見えてくるだろうか、、、と考えましたが、この時点ではまだちょっとイメージが湧かなかったです。30㎞の最後のラップでとうとう4,10/kmをはみ出てしまいました。3年前のフルマラソンを思い出すと、残りの12㎞でどれだけ失速するのかはやはり少し気になります。

尚、この日に補給の練習もしたかったのですが、拠点に置いておいた私の命のMag-Onは誰かに盗まれてしまいました。(絶対に許せん!)

2回目の30㎞ペース走 +2㎞でわかった理想と現実

10月21日のコース
10月21日のラップ

この日にやると決めていた2回目のペース走。
20kmまでは特段頑張らなくても4,00/kmで行けることがわかったので、20-30kmの10kmこそ真のトレーニングと考えて取り組みました。前回よりは抑えて入ったつもりでしたが、やはり20kmまでの4,00/kmを切っていこうというペースでは少しずつ脚を削ってしまっていて、どうしても次の10kmは4,10/kmまで下がってしまいました。
この日は前回の懸念もあったのでフルマラソンまで残り10kmとなる32km地点まで行ってみましたが、最後2kmがめちゃくちゃキツくて芝生に倒れ込みました。32km地点で2,07,30くらいでしたが、最後2㎞のラップは4,20/km近くまで上がってしまっています。

もしこの後があったとして、残りを4,05/kmで行ければサブエガですが、そこまでは行けそうもありません、仮に5,00/kmで行ければサブスリーは達成、そちらはいけそうです。
3年前の記憶も引っ張り出すと、恐らく4,25/kmで3km粘り、4,35/kmでもう3km粘り、最後のテンションで4,40をギリギリ維持してゴール、くらいでしょうか。自己ベストの2,53〜2,55を突破できるかどうかの戦いになるだろうか、そんな予想はついてきました。
それ以外の方法は序盤をもう少しペースを落としてフラットなラップを維持する戦略ですが、サブエガを達成するには全行程を4,00/kmで走り通さねばなりません、、、そんなことできる感触は、、、ちょっとないかなと、、、

やっぱり私にサブエガはまだまだ早いようです。
そんな理想と現実のギャップに気付けたのが2回目の30㎞走でした。

服装や装備や補給についての戦略

30㎞ペース走はレースペースを把握する以外に、服装や装備や補給といった細かい戦略を決める上でも役に立ちました。フルマラソンのように3時間の長丁場では如何にして恒常性を維持するかといったことも考慮に入れねばならないからです。服装を誤ることによるトラブル(汗のかきすぎや低体温症)、補給のミスによる燃料不足や足の攣りは十分に対策を検討せねばなりません。

21日はかなりの晴天で気温は20℃以上ありました。走り終えてから晴天によりだいぶ消耗していたことに気付きます。曇りの8日の時より+2kmどころじゃないレベルで疲弊していたのはそのせいもあるでしょう。
アームウォーマー、手袋をどうするか迷っていましたが、晴天なら手袋だけでいいかもなと思いました。

また補給について、8日は前述の通りMag-Onを取られてしまったので、21日に補給の練習を行いました。この時は15.5kmと26kmの2回、モンベルに売っていたゼリー系と水飴系ジェルを使ってみました。15kmの補給は悪くなかったですが、26kmで摂った水飴系はやっぱり消化がしづらくて少し動きが鈍くなってしまいました(この現象は同じく水飴系のMag-Onでも起こっていました)。このように4,00/kmのような高速を維持しながらものを食べるのは、例え食べやすさを売りにしたジェルであっても難しいのです。補給タイミング自体は悪くなかったと思うので、ゼリー+水分系で最適なものを見つけるよう調査します。

また基本的に摂取タイミングは15㎞、30㎞の二か所で2本。加えて、想定より早くエネルギーが減ってきた時のために1本、後半大失速した時に糖分を摂ったら回復するかもしれないので予備に1本、と考えて、計4本を持つ戦略に決めました。
全日本ロングやOMMはジェルを試すのにちょうどいい機会で、どれが動きながら補給するのに最適かを見極めました。ポイントは飲みにくくないことやお腹に入った後に内臓に負荷がかからないことです。
最終的に持って行ったのは以下の3種類です。

・俺は摂取す エネルギー ×2
・アミノバイタルアミノショット パーフェクトエネルギー ×1
・MEDALIST ゼリー メダリスト エナジージェル ×1

また「MAURTEN」というジェルは抜群に高かったのですが、「世界記録保持者キプチョゲ選手の発案で企画されたレース後半におすすめなジェル」という触れ込みと効能に負けて購入しました。
これはOMM2日目の朝に食べておいたら、確かにレース中も粘りが効いた感じがしたのでレース前に食べておくことにしました。(わらび餅のような形状でやや走りながら食べるには不向きかも、と思いました)

・MAURTEN ジェル100 GEL100

また書き忘れましたが、9月くらいに公式ページからコースガイドのYoutubeが挙がっていたので見ながら、コース上のどんな場所に何があって、どんな場所で給水や補給をして、風が吹くとしたらどのあたりか、などイメージを膨らませました。

最後の20㎞のペース走 気候への対応

11月12日にOMMのエリートクラスを完走して、あとは落ち着いてつくばマラソンを待つつもりでしたが、レースが近づいてきて気になる情報がありました。気象情報です。
特に木金で20℃を超える晴天から、日曜日は10℃を下回る模様とのこと。これほど急激な気温変化は誰にとっても厳しいことですが、私は自律神経があまり強くないので自分の体調変化についてかなり警戒していました。
つくば周辺は最高気温8℃程度が予想され、インナーウェアを半袖から長袖に変えることを検討しました。汗をかなりかきやすい体質ということも考慮すると長袖に変えて汗をかき過ぎて後から冷えてしまわないか、そんなリスクも不安視していました。最後の調整で軽く行う予定だった20㎞ペース走に長袖インナーウェアを着用してみました。

金曜日から土日にかけて一気に10℃近く下がってしまう週間天気を見てビビる
1週間前の20㎞ペース走のコース
1週間前の20㎞ペース走のペース

本当は出走時間も合わせて行いたかったのですが、新横浜公園はなぜか自転車レースに占拠されて使えなったので隣駅の岸根公園でペース走を行いました。走る前は想定よりお腹が空いてしまい8時半頃に小盛牛丼を食べてみました。しかしそのせいで序盤は動きが悪く、一方で補給なしでも20km地点まではいけそうなくらいエネルギーは保ちました。
また15℃程度の気候でも長袖インナーはいい感じで、腕を露出しない分、暖かさも好感触でした。

最終的に3,51/kmというのは悪くない感触でしたが、動き始めの身体の重さでちょっと力を使い過ぎてしまった感じがしました。
いずれにしても残る検討事項は「あとは当日何をどのくらい食べるか」と思いました。スタートラインに立った時にお腹が鳴るほどの空腹は避けたいのでおにぎりとパンは買っておいて少し齧っておくことにしました。

当日の戦略としては、3,50/kmで、もしいけたら20km以上、行けるところまで粘って、残りの20㎞はどんなに落ちてしまっても4,10/kmを死守する。そんなざっくりプランであとは当日の身体の動きに任せる、そんなことを考えました。

1週間前の過ごし方

その後は19日日曜日にニューヨークに行く小泉知貴くんの壮行会と、22日に横浜OLCの月例ランニング会と、二度お酒を飲む機会がありました。自分の感覚として、お酒は連日飲むと体調が悪くなる体質ですが、3日ほど空ければしっかり代謝できてそれほど問題ないとわかっていました。
さすがに22日の横浜OLC練習会後の方は少し抑えめにしていましたが、これまでの経験上、あまり張り詰めて準備すると気負って結果が出ないことも過去にあったのでこのあたりは自分の直感を信じました。(特に今年の11月は全日本、OMMと張り詰めたレースも多かったので)

知貴とのしばしの別れを惜しむ楽しい時間でした
横浜OLC月例ランニング会後の飲み会は、毎月のとっておきの楽しみです

ちなみに21日に会社で30代交流会的なイベントがあって、懇親会も計画されていたのですが、自己紹介の時に「趣味は走ることで、今週末はフルマラソンがあって、2時間50分を切るためにコンディションを整えていて懇親会には行けません!すみません!」と思いっきり爽やかに言い切ったら、解散する際にいろいろな人に応援されながら、会社の飲み会も出席しない、という素晴らしい状況になりました。こんな完璧な飲み会の断り方あったんだ、と感動するとともに、私を取り囲む優しい世界に感謝しました。

他に工夫していたことは2つあり、一つ目は「金曜日の温泉」です。週末の土日に入る前の金曜日の夜、行ける時は近所の寝ころび湯とサウナがあるスーパー銭湯に行くことに決めています。11月はほぼ毎週行きました。1週間仕事などで起こったことを整理しながら、ゆったりと過ごします。自律神経も整って、肉体・精神の疲労が両方とも抜けて、最高の状態で週末のレースを迎えることができます。
疲労やストレスは意識して抜いていかないと気付かぬうちに蓄積していく、ということを最近強く実感しています。なので週末のこの習慣は、結構意識して継続しています。

二つ目は「1週間前はポッドキャストをあまり聴かない」です。
「コテンラジオ」「ゆる言語学ラジオ」などのポッドキャストを日々愛聴しているのですが、結構聴きながら頭を使います。脳疲労がある状態では意志や判断力が鈍ると言いますが、確かに仕事で追い込まれて脳が疲れているような時に、オリエンテーリングの競技中に判断ミスをしがち、そんな感覚には心当たりがありました。
なので、脳を疲れさせないように、1週間前はポッドキャストを控えめにしました。もちろん、出来るだけ夜更かしせず早く寝ることも意識していました。

あとはGARMINのボディバッテリーと毎日の疲労を意識しながら、ジョグやレストが最適になるよう、体重も増え過ぎないように丁寧に自分の身体を観察しながら調整しました。

前日の夕飯はプロランナーの川内選手も推していた、カレー(ごはん大盛)です。

本番のレース

当日の動き

当日は東京駅6時発で約1時間半で会場に到着する直通バス(往復)を利用しました。少し高めでしたが、駅から会場が遠く、比較的余裕を持った時間に到着してくれるだけにこれは良い判断でした。
4時半頃に起きて、家でフルーツグラノーラを食べて、途中のコンビニでおにぎり2個とチーズ蒸しパン1個とアクエリアス950mlを購入しました。
レース中にお腹が痛む要因にならない程度に、でも出来る限りレース中のエネルギーに変わるように慎重に身体の状態を観察しながら摂取していきます。結局、早朝の電車の中でおにぎり2個をゆっくりと咀嚼しながら食べました。ランニング時に聴くとテンションの上がるようなアップテンポの曲を聴きながらレースに向けた気持ちを高めると同時に、寝過ごしを防ぎます。
暖かいバスの中に乗り込んでからは音楽を止めてゆったりと寝て過ごし、神経が昂り過ぎないようにします。バスは7時半頃に会場に到着します。

まず行ったのは会場の荷物預り所と更衣室の確認です。
私はレース用の衣類を初めから中に着ていたので、さっと更衣室で着替えて、薄手のランニングジャケット・パンツ上下1枚ずつだけ着込んだ状態になります。
この時間帯に意識していたのは寒冷馴化です。結局前日の土曜日も日差しが暖かい日で、そこまで気温は下がりませんでした。しかし当日は小雨も降っており、気温は事前予報よりさらに低い6℃、相当な環境の変化に身体を慣れさせないといけません。
身体を冷やし過ぎてはいけませんが、暖かくし過ぎると身体が馴染んでくれないといけないので、まずは薄手のランニングジャケット・パンツ上下1枚ずつだけを着込みながら、トイレに並んだり身体をほぐしたり、準備を進めます。

ここでは細かい装備についても意識していました。
グローブはオリエンテーリングでも使っている指空きではなく、前日に調達したランニング用の防風ランニンググローブに変更。
曇りで気温も低いのでサングラスは不要でしたが、帽子やバフをどう使うかは直前まで悩みました。いろいろと配置を変えながら考えましたが、結局帽子は着用してバフを首に巻くことにしました。
小雨も降っており、帽子を着用することによる防寒効果は想像以上でした。また、バフは首元の冷えを抑えられるだけでなく、出走直前の動けない時間帯にバフに息を吹きかけることで身体を温めるという使い方があることなどに気付きました。

段々と人が集まってくる会場、音楽を聴きながらアップを行う
スタートレーン付近でジョグをするランナーも増えてくる

出走開始は9時。
8時20分くらいにジャケット・パンツを脱ぐとやはり少し寒い、身体をほぐしながら8時30分頃にはスタートレーンに到着し、Cレーンの中では比較的前の方に陣取ることができました。しかしBレーンの方々が後からどんどん来て人の壁が分厚くなっていきます。
ここでありがたいことに、人が密集し始めたので、少し暖かくなってきます。それでも小雨が結構嫌らしい降り方で、凍えずにスタートすることができるように、主催者の挨拶などを聴きながらも、屈伸運動などを繰り返して身体を温めます。

テーマとして「マラソンを科学する」が掲げられたこの大会。レース前の主催者挨拶では「ベストタイムが出やすいのは気温6~8℃」と話しています。その言葉に沸くランナーたち。
会社のランニング仲間たちもよく「つくば、ベストコンディションですね」とは言っていましたが、正直「数日中にこんなに気温下がるなんて身体を馴染ませるだけでも大変なのに、こんな日にベストが出るなんて本当かなぁ、、、」と疑っていました。

なんだか小雨が微妙に強くなり「また勝負レースが雨か、、、」などと考えていたら、いつの間にかいろいろな人が挨拶を終えて、ようやくスタートの時刻が来て出走開始です。

(走り終えた後の写真ですが)こんな格好で走りました。帽子、バフ、アーム/レッグウォーマー、長袖インナーシャツ、(写真では外しているけど)手袋、防寒防風対策はバッチリでした。

レース本番

号砲が鳴ったとはいえ、まずは大規模マラソン恒例の、分厚い人の壁が立ちはだかります。
足にチップがついているので、スタートのレーンを潜るまでは焦ることはありません。むしろ人と人の隙間ができるようにゆったりと通過し、通過した瞬間から一瞬で本気モードに。
なんとかかんとか身体を滑り込ませていい位置を確保しようとするも、やっぱり周りに合わせて5,00/kmくらいでしか進めません。ここで右手の歩道をキロ3分台で走る蛮族たちの姿が目に留まり、一瞬で判断してその流れに乗ります。
さっきのおしくらまんじゅうの中に戻るなんてまっぴら。もうスタートの設定ペースとか一旦どうでもいいので蛮族の群れに加わります。そこで3,10/kmくらいに加速しながら集団を遠巻きに見ていると、スタートにいた集団がどれだけ分厚かったかがよくわかります。
結局約1㎞先の坂に差し掛かるまで歩道を走りました。最初のラップは3,42/km。1分近く5,00/kmでまごついていたことを考えると、だいぶいい感じです。この1kmはまるで100m走かと思うほど一瞬の間でした。

さて、ここからペースを作っていきます。
二度の30kmペース走の経験から、入りは3,50/km程度までしか上げられないだろうと思っていました。なので3,50/kmくらいで走っている場所めがけて集団に合流しました。
しかし、スピードはどんどん上がっていて、明らかに3,50/kmで走るランナーの後ろにつくのは非効率であると感じます。筑波大学内の美しい黄葉の並木道で、身体が想定よりどんどん前に動いて、前の集団、次の集団と捕まえていきます。
オリエンテーリングに例えるとリレー1走のスタートの△→1→2のような感覚で大集団がようやく中集団くらいになっていき、あっという間に3kmを通過。この時点でもまだスピードは3,37/km。恐らくですが大学構内が少し下り気味なのだと判断しました。だって、全然苦しくない。
いつもの3,50/kmより楽な感覚でこのスピードを維持できています。

身体がよく動いた序盤、3,40/kmを切るハイペースも全然苦しくなかった

低い気温のおかげで汗をかかず、当初取ろうかと迷っていた5㎞の給水はパスします。ここまで18分台で来れてしまいました。
このあたりで、このコンディションに合わせて作戦を変更する方針にしました。3,40/km前後で走る集団を捕まえて風よけにしつつ、引っ張ってもらいながら、ペースが遅れてきたら次の前にいる集団に乗り換える戦略を取ります。ここまでのレース展開の中で、集団の中では一人でトレーニングしているよりも遥かにスピードの維持が楽であることに気付いていたからです。

立体交差を降りて、少し集団がバラけます。だいたい自分と同じペースで走るランナーが2人と、前方にいるけど捕まえられそうなランナーが10人くらい、そしてその10人を追い越した先に集団が一つ。あの3,45/kmくらいで走る集団の最後尾につけたら楽そうです。
3,35~3,40/kmで巡航する同じペースのランナーを捕まえながらゆるゆるとスピードを上げていき、9km地点で最初の給水を取りながら集団の最後尾に追い付きます。しばらくこの集団を利用しようと考えます。尚、給水を上手く取る方法は最初から最後まで全くわからず、この気温でキンキンに冷えたポカリスエットを何度も身体に浴びることになりました。(走り終えて「なんか膝のあたりベタベタしてるなぁ」と思ったら、レース中にかかったポカリスエットのせいでした)

この集団も少しずつ縦に長くなっていって、潜んだり、時々切り離したりしながらあまり脚を使わずに約12㎞を乗り切ることができました。ここで前の集団を追う3名が抜け出したのでここは少し脚を使う必要がありましたが、流れに乗ります。14㎞、もうコースの1/3を消化しました。15㎞、冷静に「俺は摂取す」を摂取しながらさらに前の集団を捕まえます。摂取による内臓やお腹の負荷はほぼなし、さすが「俺は摂取す」!

12km~14km、抜け出す3人のランナーに脚を使ってしっかり着いていく

この距離でも3,38/km前後のラップを維持する集団に着いていくのは少し苦しかったですが、元々の目標がサブエガだけに、せいぜい20㎞地点まで余力を残しながら3,40/kmイーブンで走れれば十分過ぎるだろうと思っていました。このため朽ち果てない程度の脚は使って粘り、集団を使い続けました。

こんな小雨と寒さにも関わらず応援してくれる沿道のみなさまの存在はとにかくありがたかったです。時々子供や着ぐるみに手を振ると振り返してくれて、元気が出てきました。

だいたい25㎞地点、コースが大きく2回目のカーブを曲がるところで切り離されますが、自分の目標としてはあと残りを4,00/kmで粘り切ればいいので「よくここまで着いていったぞ自分!」と思いながら晴れやかな気持ちで切り離されます。

後ろ集団から上げてくる人や前の集団から遅れてくる人を拾って競り合いながらスピードを維持します。27~28㎞地点にある折り返しでは2時間35分を狙っているランナー?が一気にペースを上げてきてビビりますが、もうコースの2/3を消化しているので自分が着いていけない方々のことは気にせず、とにかく粘るだけ、という感じです。このあたりで4,00/kmのスピードが「これ以上上がらない状態」になってきました。とにかく見通しがつく限り、コースの前を走るランナーの姿を見て、もうこれ以上速く走れない身体を頑張って動かし、一歩一歩を積み上げ続けます。

27~28㎞の折り返し、思いがけない快走で気分が良く、まだ笑う余裕がある

30km、アミノバイタルゼリーを取り出すも、こちらは「俺は摂取す」のようには上手く取り出せずベタベタになってしまいます。しかしそれ以上にインパクトのある出来事が発生。

30km通過の時計があり、だいたい1時間51分30秒。
全く想定していないペースで走っていたのでペース計算ができておらず、残り12.2kmを4,00/kmで行けば49分弱として今のタイムに足して暗算してみます。
ギリギリサブエガか、耐えるしかないな、、、としんどい感じになるも1km走ってる間に盛大に計算ミスしていることに気付きます。

「あれ、2時間40分を切れそうかもしれないってこと?」

この後の失速を考えるとそれは無理にしても、前中選手や南河選手といった何人か知り合いのタイムを思い出して、それは破れるんじゃないか、と希望が湧いてきました。「オリエンティアのTwitter、盛り上がってるかもな」と想像したらちょっと笑っちゃいました。
再度モチベーションが上がってきます。

なんとか4,00/kmでの巡航を続けるも、かつてのフルマラソンでの30km以降の大失速を考えると油断はできません。
35km、大学構内に入っていく立体交差の登りが厳しいのは想定していましたが、ずっと一定ペースで走らなければいけないフラットなコースだったのも影響して、その時の気分的にはリズムが変わることでちょっと楽になりました。
さらにそこから200mくらい緩い下りになっていたので、休みながらスピードを取り戻せて、少し回復できました。このあとも心地よいアップダウンが続き、ラッキーでした。あと7㎞、あと6㎞、あと5㎞と数えながら粘ります。なんだかハムストリングスの筋肉が脈動している様子が異様なほどリアルにわかるようになりました。攣るなよ、攣るなよ、と祈りながら走ります。

最後の折り返しはとても長く感じられて、拷問のようでした。さすがに苦しくて顔が歪んできました。でもあと何キロ、あと何メートル、と想像しながら走ったらギリギリ粘れました。

40km通過で11時31分30秒くらい。「あと8分半で2.2kmかぁ、さすがに無理だろ、、、」

しかし以前円井さんがまとめていたオリエンティアフルマラソン記録によると二俣選手が2時間42分台だったはず。それには勝てるかもしれないので最後まで頑張ります。
最後の坂を登り、また気持ちの良い下り。あと1kmの看板。いよいよ顔は歪み切って目は半分も開けられません。
苦しい、けどもう倒れ込むまで足を伸ばし続けるしかない。

40㎞を超えた地点にある、まるで壁みたいな、
厳し過ぎる最後の坂
坂を超えてあと1km、もう視覚は半分切って、
身体を前に進めることに集中

最後にFinishの看板が見えて残り400m前後、初めてラップ確認以外で手元の累積タイムを見たのですが、この時、2時間38分1秒、、、

「あれ、これ、イケるのでは、、、?!」

あとはお得意のラスポゴールダッシュで駆け抜けました。2時間39分か40分か、かなりギリギリのタイムで通過した感触があり、息を荒くしながら若干呆然としました。
「どっちだ、、、まさか、、、やってしまったのだろうか、、、?」
ちょっとドキドキした状態でレース後の手続きを終え、会場に戻ります。

どちらにしても自分のレースに現実感が湧かなかったものの、ランナーズアップデートを観測していた結城選手からお祝いのLINEが届いており、2時間39分55秒のタイムでゴールできていたことがわかりました。
そして、ようやく大変嬉しい気持ちに包まれました。

本当は笑顔でゴールしようと思っていたが、表情は歪み、余裕は一切ないまま全力でゴールに駆け込む

レースの総括

正直なところ、上手くいき過ぎて、この記事に記載したような準備と練習が全部ハマったんじゃないかな、という感触です。
今更ながら主催者挨拶の「ベストタイムが出やすいのは気温6~8度」というのは本当だったんだと思いました。気温・気候への対応は上手くできるか怖かったですが、正しく恐れることができたようです。
また、確かに走っている間、寒さによって筋肉が常にアイシングされているみたいで、ずっと心地よく走り通せた感覚がありました。走り始める前は小雨で寒くて、こんなコンディションで走らないといけないことが憂鬱でしたが、終わってみればこれ以上のコンディションで走れることもなかなかないのかもしれないと思いました。

おわりに

ランナーをやってきて良かった

走り終えた後は半ばふわふわした現実感のなさの中にいましたが、無料マッサージコーナーでうつ伏せで施術されていたら、ふいにグッときて泣きそうになりました。「走り続けてきて良かったなぁ」そう感じ入ったからです。

この記事の一番最初に書いたように自分の人生において走ることは「まるで歯磨きのように、意識しなくてもどうせやってしまうこと」。走ることに対してはどこか能動的というより受動的で、「自分の能力を使って楽しいことが出来るからやる」けど「好き」ではないんじゃないかなぁ、、、とずっと思っていました。
しかし、走り終えた後、どうして今日こんなスピードで走り切れたかを思い返せば、このレースを意識した30㎞のペース走というベースがあり、その前段として30㎞ペース走をこなせるようになるまでに積み重ねてきた日々があったことを思い出しました。
それはもう、これまでの自分の集大成です。

今日のレースはかつてないほどしっかり準備を出来て、コンディションも最高で、こんなタイムもう出せるのかはわからないですが、今日という日とこのタイムは自分のランナー史の中に燦然と刻まれます。

「人より上手くできること」を見つけ、ただひたすら鬱屈とした日々のストレスを走ることにぶつけていた10代の自分に伝えたくなるような、この時の自分は素晴らしい感情に包まれていました。

「ランナーやってきて良かった」今日はそれを信じられる日でした。

謝辞

本日のアドベントカレンダー(裏版)の記事への掲載を譲っていただいた田中基成くんに大変感謝しております。(2日でこの分量を書くのはあまりにも大変でしたが、)ありがとうございました。
またこのマラソンの前後で応援やお祝いの言葉をかけていただいた皆様に改めて感謝し申し上げます。ありがとうございました。

それでは大変長くなりましたが、この記事を終わります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。

横浜OLC/入間市OLC 田邉

マラソンランナー感のある、好きな写真
(超序盤、この後苦痛で顔が歪み続けると思い、いい写真を撮ってもらおうとカメラ目線)


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