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言っておきたい事(自序にかえて)

自序

旅行について

私の趣味は映画鑑賞だけではない。旅行もその一つである。これは今では思い出したくない「黒歴史」が密かに眠る、私の中学時代の話である。早朝6時頃、岡山発岩国行の鈍行列車に乗り、数時間かけて厳島神社や錦帯橋に連れてってくれた事がきっかけで旅行にハマった。この計画を立てたのは、旅行好きだった亡き祖父であり、祖父は旅行の素晴らしさを私に教えてくれたのである。

それまで、地元を出た事が全くと言って良いほど無かったのだが、以来一人で全国各地を旅行するようになった。あたかも祖父の遺志を継いでいるかのように。大学時代までは中国・近畿地方を中心に、現在は東北・九州地方を中心に旅を続けている。各地の名所を巡り、かつ各地の異文化に触れるのは本当に良いものだ。また、自己紹介(初投稿)で既に述べたが、ひょんな出来事から我が国の映画俳優を調査研究するようになったのも、ちょうどこの頃であった。

本業でなければ副業でもなく、況してや趣味娯楽で調査研究している私が決して言える立場ではないのだが、このように「自ら進んで何かを学ぶ」という事は生涯にわたって必要不可欠であると強く主張しておく。すなわち、自分に「探求心」「理解力」があるかどうかである。

旅行においても同じ事が言える。行きたい場所について事前に調べたり、実際にその地を訪問して色々学ぶ行為がそうだ。若し、無計画でかつその地についてあまり「知らない」状態のまゝでは、例え実際にその地を訪れたとしても、中途半端な知識で終わってしまう。何一つ得られずに終わってしまう事もあるだろう。

少々言い方が悪くなるが、私が最も害悪だと思うのは、一度も行った事が無いくせに「何も無い」と勝手に決めつける者。あまりにも有名過ぎる観光スポットで、何十個何百個もお土産を買い漁ったり、映えスポットを求めて写真を撮ったりする「だけ」の者。誰かについて来たゞけで他には何も興味関心が無い者。誰かに無理やり連れて行かされたとしか思っていない者等々。

こうした有名過ぎる観光スポットしか「知らない」(または「行かない」)煩わしい観光客と、マスコミ等の見飽きた有名観光スポットの紹介が、却って「オーバーツーリズム」を招いているのではないだろうか。これは外国人観光客だけの問題では無い。日本の名所について何も知らなさ過ぎる、若しくは知識を得る気力が無さ過ぎる現代日本人にも問題があると私は思う。他にも素晴らしい所は日本全国に沢山あるのに…。

大学時代について

更にもう一つ、私の大学時代について述べよう。あれは小学校に入学する直前だったか、今は亡き地元のイトーヨーカドー(跡地はMEGAドン・キホーテになっている)の書店で購読した学習漫画がきっかけで、日本史が大好きになった。その後、インチキな中学高校を卒業し、一年の浪人生活を経て、日本史専攻の学科がある大学に進学した。

ところが、同級生の大半は、やはり学歴取得と楽しい学生々活が目的だった。卒業さえ出来ればそれで良い…といったところか。道理でレポートが課された時、信憑性に欠ける辞典を平気で書き写して提出する輩がいる訳だ。他人任せにする輩なんて論外。驚くことなかれ、中には日本史が苦手教科であるにもかゝわらず進学した同級生もいて、皆が皆「歴史マニア」だと思い込んでいた私にとっては、正直言って信じがたい光景だった。一方、固より日本史に興味関心があって入学した同級生は少数派だった。

甚だしきに至っては、或る科目の講義において、中学高校で習う内容が皆な理解出来ておらず、教授は「○○学科なら知ってゝ当然だろう」と苛立っていた。すると、後ろから「俺は日本史を学ぶために進学したのに、そういう知ってゝ当然みたいな「固定概念」はやめて欲しい」と不満を洩らす同級生がいた。講義内容を押しつけだと被害者ぶり、自分の知識・理解不足を顧みない典型的な悪例である。こんな者が学校の教員…冗談にも程がある。それに、こんな者が卒業論文を執筆…と思うと…これ以上言うと単なる愚痴になるため省略する。

こゝで現代の学生に強く訴えたい。大学は新しく学ぶ所、学び直す所では無い。今までに得た知識を更に深める所であるという事を。前者なら、別に家で中学高校の教科書を何度も読み返せば良いだけであって、わざわざ大学に行く必要は無いと私は思う。況してや改めて学び直すのは結構無謀な行為であって、直ぐに置いてけぼりにされるだけである。

なお、どうしても…という場合は、今後の自分を見据えたうえで学問に励んだ方が宜しい。他の同級生より何倍も努力した方が宜しい。大学で新たに学問を学ぶには相当な覚悟が必要である事を忘れないで欲しい。だからこそ、自分が本当に学びたい学問は何なのか。後悔する事の無いよう今一度考えて欲しい。

最後に

最近、何事も「知らない」だの「大丈夫です」だのと言って会話を寸断したがる若者が本当に多いように感じる。一般常識の概念が分からなくなっている。だが、幾ら勉強が苦手だからとて、勉強からの逃げ道はどこにも無いのである。そんな私も、まだまだ勉強しなければならない事や知らない事は沢山ある。人生勉強である。自ら進んで何かを学ぶという意志を持ち、一つの分野に止まらず色んな事に興味関心を持って欲しい。

とはいえ、知識の押しつけはいくらなんでも良くないし、「時代だから仕方ない」という馬鹿げたお決まりフレーズは使いたくないし…。難しいところである。ある物事に興味関心を抱かせる最善の方法はあるのだろうか。永遠の課題である。

願わくば之を語りて平地人を戦慄せしめよ。

という訳で、これより本編に入る。

令和五年十二月 ゑさし

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