木の文化の再生に向けてその九    おわりに

前項でも述べたように、人の情緒をつかさどる前頭葉の発達は生活の基盤となる自然環境やそれに基づいて生れてくる文明や文化の違いによってかなり異なったものになる。この違いによってものとの関わり方や生活習慣の独自性が地域によって異なった表現形となって現われる。 この表現形の異なる生活文化の下で長年生活を続ける結果、これらの生活環境がストレスとなって情緒の発達に大きな影響を与えるようになり、各民族のアイデンティティ-となると考えられる。われわれ日本人は江戸時代までに構築した人系のものとの関わりを捨てて、明治以降今日まで124年間にわたってもの系のものを追い求めてきた。その結果、19世紀間以上に及ぶ長い歴史の中で作り上げられてきた日本人の情緒のアイデンティティ-を喪失してしまったように思える。
 ものに対する西洋人と日本人の情緒の違いは本質的に異なる部分がある。紙の発達の仕方からみても、前者は紙をものとしては唯物的に重み付けが強いのに対して後者は唯心的な重み付けが強い。自然環境に対しても前者は征服することを、後者は共生することを考える。 
両者は極論すればものの見方、情緒のあり方いずれをとっても両極にある。しかし、ものに陰陽あるごとく唯物的であればあるほど唯心的なものを求め、唯心的であればあるほど唯物的なものとの出会いは悦楽的、蠱惑的である。明治以降の日本人はそれまでの求道的でストイックな人系のものとの関わりから自己中心的で自由にものと関われるもの系のものとの出会いによって、豊かな物質文明の存在を知ることになった。
その結果、今日の日本人の表現形は西欧人とほとんど変わらないかそれ以上に彼等の生み出した物質文明の先端を行くところまで到達し、経済大国になったことによって唯物的な思潮に歯止めがなくなり、科学技術立国として物質文明至上主義が国策となり、経済成長だけを目指して突き進むという現状を作り出してきたのであろう。他方、アメリカ人は別として、ヨ-ロッパ人は自分達の生み出した物質文明の進歩に自分達の情緒がついていけないところで戸惑っている感じがする。それは、近代文明によってアメニティ-が実現されるはずであったのが、それによって生活環境破壊が招来された現実を身をもって知ったからではないだろうか。日本人は西欧文明に対する精神的な免疫がないため際限も無く物質文明の世界へと無目的に突き進んでいるが、この辺りでそろそろ和魂に帰り、科学技術一辺倒の物質文明至上主義から自然との共生へと軌道修正すべきであろう。  
紙製や木製の調度品と人の情緒の関わり方を科学するためには心理学や生理学的手法に歴史の時間軸、環境およびものの表現形を加えて総合的に行なう必要があり、近い将来、ひと系のものと情緒との関わりの研究は木材学の重要な研究分野になると思われるが、視野狭窄に陥った研究者たちに理解して貰えるだろうか。唯一の希望は、若い人たちの無垢の感性、情緒に期待するしかないだろう。私の提案がそのための切っ掛けになればと願っている。私を含めた年寄りの経験に基づく知恵と若い人々の無垢の感性の融和によって木の文化の再生をソフトとハードの両面から実現するよう願っている。継続は力なり!!

            参考・引用文献

1)廣瀬正男:”紙の民具”、岩崎美術社、1985.
2)正倉院事務所編:”正倉院の木工”、日本経済新聞社、1978.
3)農商務省山林局編:”木材ノ工芸的利用”、大日本山林会、1912.
4)伝統的工芸品産業振興協会編:”伝統的工芸品技術辞典”、グラフィック社、     1980.

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野村隆哉
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