木の文化の再生に向けてその八    白木の文化

外来の仏教文化と平行して、我が国には伊勢神宮を頂点とした白木崇拝の木の文化が存在することを忘れてはならない。伊勢神宮の20年毎に行なわれる式年遷宮は遡ること1300年の昔から継続してきた神に捧げる祭祀である。建築は総ヒノキ普請で建てられ、調度品もヒノキの白木で作られる。白を清浄無垢なものとして日本人の精神の象徴となし、それに通ずるヒノキでもって神に捧げるという儀式は日本人の生活文化を支えるものに関わる技術の伝承を精神として高め、儀式化したものとも考えられる。伊勢神宮の建築様式はヒノキをこれ以上美しく使えないというところまで完成させたといえるだろう。前項でも述べたように、人の情緒をものを通して表現しうるのは、紙の場合と同様、ヒノキという優れた素材が豊富に入手出来たことと、それが持つ美しさに日本人の感性が感応出来たからであろう。これまで述べてきたように、我が国の生活文化は豊富な自然素材を生かす知恵によって発展してきたといえる。 
明治の終りに出版された「木材の工芸的利用」によると、それまでに利用されてきた樹種は138種におよび、用材としての樹種特性を究めて適材適所に利用されていたことがうかがわれる。これらの豊富な用材に加え、漆という優秀な天然の塗料が存在したことによって、木製の調度品の生活への応用範囲は広がったのであろう。「木材の工芸的利用」に収録されている木製品を見ても、その種類と数の多さから、木がわれわれ日本人の生活文化を支えていた重さを理解出来る。 
これら木製品の豊富さと、技術の普遍的な広がりは前項でも述べたように、江戸時代における幕藩体制下で各藩の自給自足政策の徹底に基づくもので、各藩は自藩の特色ある生産物以外に、他藩のいろいろな産物の生産、技術の導入を殖産事業として競って取り入れたため、地域ごとに特色のある木製の調度品が生み出されることになった。漆器を例にとると、規模の大小はあるが、今日まで継承されている漆器の産地は全国で23ケ所にのぼり、それらのほとんどが江戸時代の各藩の殖産事業によって手厚く保護され育てられた結果である。たしかに江戸時代に産業としての木工品の隆盛が見られたが、その底流には古来の神道や仏教の信仰やそれ以外の民間信仰に基づくもの作りの伝承があり、一般庶民から支配階級に至るまでこれらの信仰に基づく儀式に必要な調度品の数々がハレの日やケの日との関わりを通して伝えられて来たことがある。 日本人は、古来形あるものに神の存在を認めるという精神文化を持っていたように思われる。それゆえ、ものそのものを単純に合理的、利便的視点からとらえるのではなく、私の分類から言えば人系のものとして位置付けて、ハレの日などに用いる調度品は家伝として大切に使われて来た。これらの調度品が作られる工程も全て工人の手に依って、数十の工程を経て作られるものであったため、ものそのものにおのずと奥行のある深みのあるものが作り出されることになる。特に、木製の調度品は、素材が生物材料であるため、極端に言えば一個一個のものに個性がある。 このような個性的なものとの長年の深い関わりの中で日本人の情緒はその関わり方を茶道、華道、香道等の芸道にまでたかめたのであろう。

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野村隆哉
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