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三岸好太郎vs.古賀春江【アートのさんぽ】#31

感情と観念の造形思考


 
 日本の近代美術の特質は、独創的な造形思考が弱いこと、その発展的な継承がないこと、そして西洋から次々と新思潮が移入され続けられたことがよく指摘される。
フランスでは、スーラやシニャックの色彩分割による点描が、マティスの色彩を生みだし、セザンヌの空間把握が、ピカソやブラックの造形思考を生みだし、立体主義は未来主義に、未来主義はダダイズムに継承された現象は、日本に起こらなかった。
黒田清輝の試みようとした構想画や青木繁の神話的世界は、結局のところ彼らのなかだけで終ってしまった。日本には枝葉があるものの幹が育たなかった。幹は常に西洋にあり、枝葉だけが借用され、それに花をつけるのみであった。しかもその花は、次世代へと続く種を生み落とさずに、花びらだけが空しく散っていった。
この傾向は1910代以降の美術、つまり大正期に新興美術と呼ばれたもののなかに著しかった。
ここでは、三岸好太郎と古賀春江の造形思考について考えてみる。
 

感情の表現を重視した三岸好太郎


 
 

三岸好太郎《海と射光》1934年

三岸好太郎は、基本的な造形思考を2つに分けて考えた。
それを造型的構成心理造型的感情心理と称した。
造型的構成心理について、次のような説明をしている。
「人は見やうとするものを見ると云う意志的なる眼を以て自然を見るならば、絵画的画面の上には見やうしないものは見えないのである。であるから勢ひ、そこに表現したものは見やうとする絵画的意志より出発してゐるので、これは画家が画面に表現しやうとする造型的構成心理と名付け得るものである」と。
つまり、自然をあるがまま写すのではなく、画家の絵画的な意志に合致したモティーフのみを取捨選択し、画面を構成しようという心理をいうわけである。
そして、これを徹底させたのが立体主義(キュビスム)であるという。
 「立体派はまずこの問題を一番純粋に生かして用いた絵画精神と云ひ得るのであるが、この逐次進歩すると共に、単なるメカニズム的な構成のみに終り、人間心理の造型的感情と云ふ要素を閉却せるものとなり終つた」と。
立体主義が造形的構成の究極となるメカニズム的な構成として感情的なるものを排除したという。とくにこのメカニズム的構成に関しては、当時の社会状況を象徴するものとしてみている。
 「勿論メカニズムは、極端なる現洋画思潮に於ける意識的構成主義(フォルメシヨニズム)の急先鋒をなすものであるが、このピカソの構図の如きは鋭角的存在の限定する効果を、鈍角的なる効果より以上に重大視する現代の唯物主義思想を強大に表現なし得たるものと云ひ得るであろう」と。
また、造型的構成心理が必要以上に強調されるのは、「現代人の文化が唯物主義的な空気が濃厚に呼吸しなければ生活し得ない一つの時代思想とも云ひ得るのである」と。
ピカソに代表される立体主義的造形が、科学技術の発展した現代の物質文明を反映させた表現であるという見解は、三岸の状況認識や文明観が素直に反映されている。しかも、自分の美術史的な立場を、高橋由一や黒田清輝などに続く日本近代美術史に置くのではなく、マティスやピカソなどの西洋美術史に置いているのは興味深い。
 三岸はピカソの造形を対極点として、自己の造形論を展開させている。
そしてレジェのなかに、三岸の方向性を裏付ける転換点を見出している
「ここに於いて立体派の没却せる一面を意識したレジエーは、その画論に於て、純粋なる造型美術の上には普遍的統一性を保持するため、造型的構成心理に相俟つて造型的感情が重大なる意義を有する事を強調したのである」と。
レジェが構成的要素に加えて、感情的要素を投入していることに注目している。
その上で、「元来普遍的人間性の中に存在する造型的感情(感覚)とは前述の如く、作曲上に於けるメロデイに対するハルモニイの如く、美術作品上に於ける線条に対する色彩の如く、造型的構成心理と相俟つて一の作品を成立せしめるものである」と。
構成的要素と感情的要素とのバランスの重要性、あるいはむしろ感情的要素の重要性を訴えている。
 そして、結論的に次のように述べている。
「感情的興奮を呼びさまさざる絵画はもはや芸術の世界ではない。この点は何人も異存のない事であらう。芸術の世界とは結局感情の世界と云つてもよいのである」。「感情的興奮とは単純ではない。感情生活に表れる感情的要素は種々と錯雑しているのであるが、その複雑性の価値の高ければ高い程、観者に与へ得る絵画的刺衡(効果)は従つて価値が高い」。「…創作の本質とは、画家の主観的感情の表現に外ならないのである」。「而して感情を表現しようとする力(一つの創作作画せしめる活動力)は、画家の衝動弾力であり感情的意慾である」と。
芸術とは感情の表現であり、その感情は複雑なほど価値があり、そして画家というのは訴えたい感情を強力に持っているというのである。
 三岸は感情的要素を前面的に押しだす表現主義者というよりは、むしろ知的で幻想的な構図の作家として知られる。だからこそ、三岸の画論のなかで、あれほど「感情の表現」を声高に叫ぶ必要があったかどうか疑問である。
しかし、ピカソの分析的キュビスムに代表されるメカニカルでクールな表現の成り行きには、一定の理解を示しながらも、戸惑いと不安を感じていたのだ。それゆえ三岸は構成的でありながらも、感情に訴える作品を生みだすことに腐心したのだ。
 

観念的な幻想性を表現した古賀春江


 

古賀春江《現実線を切る主智的表現》1931年

 このあたたかい幻想性を表現した三岸好太郎に対し、クールとまではいかないが、多少観念的な幻想性を表現したのは古賀春江であった。
しかも、古賀は僧門の出身であったためか、輪廻とか空無、静寂といった仏教的な用語を使いながら、造形論を展開しているところが、いかにも興味深い。
 「芸術は現実を遊離する。現実的な意味を持たない芸術 - それは宇宙のメカニズムに包摂された『一つの存在』である。春に花が咲き秋に葉が落ちる如き『そのまゝの存在』である。一見すれば出駄羅目である。然しそれが出駄羅目と批判される間は(その自己がある間)このメカニズムは了解されないであろう。これが輪廻の『業』である。それは我々を支配する力そのものゝ中に融合する事に依つて達せられる自己撥無の境地である」と。
最初から写実的な表現を否定する。しかも、芸術というものを現実とは全く関係のない路傍の石のような存在であるが、それは自己を空しくして、宇宙の力を呼び寄せ造りだすものであるというのである。
 古賀春江はこのような芸術観のもとに、超現実主義的な傾向の作品を希求するようになる。しかし、古賀の超現実主義は、アンドレ・ブルトン流のシュルレアリスムとは違って、つまりオートマティズムとかディペイズマンといった手法を使わずに、自分では否定するものの実際には空想的で夢想的な表現を求めた。
「空想の芸術、夢の芸術は経験的現実的であり超現実ではない。超現実主義を以て夢の等しき無目的の意識状態であるという説は首肯出来ないものである。超現実主義は純粋性へ憧憬する意識的構成である。故に超現実主義は主智主義である」。「純粋の境地 - 情熱もなく感傷もない。一切が無表情に居る真空の世界、発展もなければ重量もない、全然運動のない永遠に静寂の世界!」「超現実主義は斯くの如き方向に向って行くものであると思ふ」と。
超現実主義というものを、純粋性を求める意識の作用としているのである。そして、純粋とは情熱も感傷もないとか、真空の世界、永遠に静寂の世界だというのである。この古賀の純粋性を求める姿勢は、三岸の「感情的興奮を呼びさまさざる絵画はもはや芸術の世界ではない」という姿勢とは正反対であるが、その表現に素朴な幻想性が共通して見られるは不思議である。
 古賀春江によれば、この純粋性は不可視のものであり、これを見えるかたちにするのが超現実主義であり、芸術であるというのである。
「芸術の本然の姿は我々の可見の世界にないものである。それは我々の当為の世界であり先験的存在である。それは現実の可見の世界に表現するに如何なる方法を採るか - その具体的技術的方法論が必要となる」。「一個の作品は作者の認識を基礎として作られたる思惟の観念の於ける完全なる秩序ある意識的方法に俟たなければならない」と。
作者の意識的な考え、あるいは無意識的な感覚を作品に反映させるため、独自の方法論が必要なことを強調している。
 古賀は、その方法論については具体的に述べてはいないが、その手懸となると思われる資料がある。それは、自作の解説として書かれた詩である。たとえば、1930年の《窓外の化粧》について次のように書いている。
 
 

古賀春江《窓外の化粧》1930年

晴天の爽快なる情熱、蔭のない光。
 過去の雲霧切り破つて、
 埃を払つた精神は活動する。
 最高なるものへの最短距離。
 
 溌刺として飛ぶ - 急角度に一直線を。
 計算器が手を挙げて合図する。
 気体の中に溶ける魚。
 
 世界精神の絲目を縫う新しい神話がはじまる。
 
というように、ロートレアモン流のオートマティズムを用いた典型的な超現実主義の詩作のようにも見える。しかし、よく読んでいくと、イメージ的に統一された脈絡があることに気付く。
晴天/爽快/光/精神/活動/最高/最短距離/溌刺/一直線/合図/世界精神/新しい神話。連想ゲームのようにイメージが続いている。
古賀は絵画の制作においても、同様の方法をとったと考えて自然であろう。つまり、ある漠然たるテーマについてイメージを膨らませ、そのいくつかのイメージをコラージュ風に並べ、画面構成していく
古賀はこのような方法によって、純粋なる観念を画面に定着させことができたのである。
 
 
 
参考文献:『20世紀・日本の絵画』ふくやま美術館

#三岸好太郎 #古賀春江 #シュルレアリスム #キュビスム #ピカソ #レジェ

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