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【住所不定宇宙】クリスマスの思い出を愛そう
近頃、母や兄をもつ同性の友人と盛り上がってしまう話題といえば、「兄貴、気がきかない問題」である。
決して兄貴という存在が嫌いなわけではない。
小さい頃はなんでもお兄ちゃんの真似をして、習い事も読む漫画もゲームも部活までも同じものをしてきた。
ランドセルだってお兄ちゃんと同じ黒が良かった。ダメだったけど。
お兄ちゃんが世界一面白い人間だと思っていた頃もあった。同級生の男子たちのアホさに比べるといくらか大人な気がして、笑いに品まであるように感じた。
そしてお兄ちゃんの友だちと遊んでいると、なんだか自分が大切なものとして扱われているかんじがまた好きだった。
そんな尊敬の目を向けていた兄貴に対してどうして「こいつ、気がきかねぇなぁ」と思ってしまうのか。
日本の長男を一括りにしてしまい申し訳ないが、現在の私の統計ではだいたいの「お兄ちゃん」という存在は妹に気がきかねぇなぁと思われている。
たとえば、こんな時。
私が帰省のタイミングの時、2番目の姪の誕生日だったので、ホールケーキを買うことになった。
帰省のタイミングで、ということは私にはキャリーケースという荷物がある。
新幹線を降りてケーキ屋さんへ徒歩7分。
ケーキを受け取り、また駅に戻り電車に30分乗り、地元の駅に着く。駅からは実家まで車で10分だ。
想像してみてほしいのだけれども、キャリーケースとホールケーキは非常に相性が悪い。
キャリーケースを右手に、崩さないようにケーキを左手に持つことは大変気をつかうし、雨なんて降っていたら傘をさすことさえできない。
この行動に対して兄はお礼を言うわけでもなく、ケーキ代を半分払うよ、もなく、なんでそんな遠い所からケーキ買ってきたんだ?と言う始末である。
正直ケーキ代半分くらいどころではなく、手数料と私の新幹線代も請求してやりたい。姪はかわいいので、叔母としては何かを尽くしてやりたくなる。
私も大人なのでこういった暴言のようなものを本人に向かって吐くことは少ない。
だけど、心の底から感謝くらい言えないのか!と私の心中は炎上することが常なのだ。
この炎上話はたいてい母や友人に話すと共感してもらえるので、燃え広がることはなく、鎮火される。感謝だ。
ただ、そんな兄貴とはクリスマスの思い出がある。
我が家のクリスマスプレゼント事情は特にこだわりがなく、朝起きたら枕元にある年もあれば、年明けにプレゼントが届くこともあった。
私が小学生3年生の頃、とあるお店に置いてあったフクロウのぬいぐるみが欲しかった。
丸くて大きなフクロウのぬいぐるみ。
昼間に母と兄と車で出かけて帰宅し、母が先に家へ入ってすぐ私に言った。
「2階で物音がしたからお兄ちゃんと2人で見てきてほしい」
泥棒かもしれない、と母が言い加えた為、私の恐怖心は最高潮だった。
当時尊敬の目を向けていた兄は修学旅行で買ってきたであろう木刀を持ち、私を連れて2階の寝室まで一緒に階段をのぼった。
兄の背中越しに恐る恐る寝室を見渡すと、包装紙に包まれているけど、あの丸いシルエットは私が欲しかったフクロウだとわかった。
「サンタさん、今来たんだ!!!!!」と大興奮の私。
ちなみに私は14歳くらいまでサンタさんを信じ抜いていた。
この日の出来事を思い出す度、母の演技力にも関心だが、やはり最優秀賞は兄だ。
たぶん、当時中学1年生だった兄はもうサンタさん文化を卒業していただろう。
母と兄の間に打ち合わせの時間などあったのだろうか。
今年の年末年始に私は帰省予定だ。
兄夫婦と姪たちにも会う予定になっている。
ぜひこの思い出の真相を兄に聞いてみたいところなのだけれども、そんなことあったっけ?とかさらっと言いそうで怖い。
私なりにこのクリスマスの思い出を忘れないようにたまに思い出してみたりして、一応大切に扱ってきた。
私にこのクリスマスのかわいい記憶が無かったら顔を合わせた瞬間に悪態をついてしまっているだろう。
兄よ、妹は26年も前の出来事に支えられてあなたへの気持ちを保っているよ。
メリークリスマス。