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【住所不定宇宙】3分のイチも伝わらない
思い出したいことがあって、昔の日記を読み返す。
たしかに自分の字で書いているのに、誰かの日記を盗み見ているような気持ちになる。日記というより、小説を読んでいるみたいだ。
自分のことなのに、どこか現実味がない。
高校生から社会人になるまでの期間は、毎日書く用の日記帳と、書くのがおさまらないときに追記用の日記帳があった。
B5サイズのリングノート。
3冊あるけど、どれも違う柄で統一感なんてまるでない。
追記用は当時の部活のこと、好きな人のこと、友人関係のこと、そして進路のことが長い時には3ページにも渡って書いている日もある。
そうかと思えば行を無視して「ありがとう!!」と馬鹿でかく書いている日もある。
なんやそれ。誰に対して、何に向かって書いたのかもわからない。
読んでも思い出せないことが、たくさんある。
忘れないように書いているのに、やっぱり忘れてしまう。でも忘れていても、なかったことにはならない。あったけど、思い出さない限りは忘れている。
もちろん誰かに見せる用に書いていないから、ひとりごとのように出来事をポツポツと書いてある。
誰かに話したくても話せなかったこと、誰かに話しても話し足りなかったことをポツポツと書いている。
あーでもない、こーでもない、どうなの?全部ぜんぶ文字にしている。
紙と油性ボールペンがあると、私はけっこうおしゃべりならしい。
大きな決断をした時がたしかにあって、覚悟を決めた時があって、嫌でも自分と向き合わなければいけなかった。
誰かに言わせたら無駄と思えるような時間が、私にとっては数年後に大切なものになった。
よく頑張った、と当時の自分に言ってあげたい。
その選んだ道でたいへん楽しく生きていると言ってあげたい。
で、結局、思い出したいことは10年前くらいに友だちと旅行中にどこへ行ったかということだったけど、読み耽ってしまいその日まで辿り着かなかった。
でも私のことだから、それは書いていないかもしれない。
きっとしらすを食べたお店の名前とか、あんみつを食べたお店の名前も書いていないと思う。
ただ、楽しかったと、それだけ書いてあるだろう。
嬉しい楽しい悲しい、それ以外の言葉にできなかった感情はたしかに私の中で生まれたものなのに、この感情の行き先をどう書いたら何年後かの私に伝わるんだろう。