『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を読みながら思い出していたこと
若林さんの文章には不思議な魅力がある。
私は小さい頃から本を読むことが好きだが、読んだ後に得られるものは、共感や納得よりも新しい発見の方が大きかった。自分とは違う立場の人の気持ちや考え方を知ること。
でも若林さんの文章には、自分がこれまでの人生でもう既に出会っていたささいな感情を思い出させてくれるような力がある気がする。考えていたのにうまく言えなくて言葉にするのを諦めていた色々なこと、そういうことが不思議と綺麗に繋がってまとまる。
今回は、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬(文庫版)』を読んで、最近なんだか同じように感じたことがあったなーと思い出したことがあったので、そのお話をします。
今から5、6年前の大学時代、とても辛かった。何も無いということが辛かった。そんなの贅沢な悩みだなと思う人もきっといるだろう。読み返すと、私でさえも思う。甘ったれてるなと。
もっと昔、中学3年の1年間。きっとこの時が、合わない環境の中で過ごさなくてはいけない、ということで言えば辛かった。
クラスという、自分では選べない空間で過ごさなくてはならない1年間。合えば楽しいが、合わなければ最悪だ。
いじめられていたわけでもないし、行けば話す友達だっていた。でも何かが合わなかった。それぞれ単体で見れば好きでも、あの空間にあのメンバーが集まった時にまた新しい空気が生まれる。その空気が苦手だった。給食の時間が特に苦手だった。
大人数での食事や集まりが苦手なのはこの頃からだったのかもしれない。2人で会う時とは違う、新しく生まれる空気感。人数が増えれば増えるほど、多数派の意見が強くなるシステム。そこで正解になったことが、他の集団で正解になるとは限らないのに。
その頃の私は誰よりも早く食事を終え(たぶんたくさん残していた)、すぐにトイレに行って給食の時間が終わるまでそこで過ごした(ような気がする)。もう記憶が定かではないが。でも当時のガラケーを開けば、トイレの窓越しの青空の写真がたくさん残っているし、そこから見える青空が本当に本当に綺麗だったのはよく覚えている。
それに当時の私には他に部活もあった。顧問の先生も含め、部活の皆がそばにいてくれたから、その1年間やってこれた。
私が所属する世界は1つじゃないんだ、と気づいたのもこの頃だったと思う。
クラスは苦手だったけれど、私には他に部活という世界があったし、この頃はアイドルが好きだったので、土日に同じ趣味を持つ友達と会ったり、ライブに行ったりする、そういう世界も持っていた。だから、そんな瞬間があれば、たった1つの嫌な世界は平気になった。
問題はその後の大学1、2年の時。とにかく無。無の2年間。何があったかよく思い出せないくらいに、無。
入学式の日、3人がけの長机がたくさん並べられた控え室で、指定されていた1番右の席に3番目に到着した時点でもう出遅れていたのだきっと。ここで、既に隣で話している2人に話しかけられるのは高いコミュニケーション能力を持ち合わせている人だ。2人が話しかけてくれないのならば、こちらから話せるわけがない。
今ならわかる。2人だって私と同じように人見知りだったってこと。私ももしその2人のどちらかだったとしたら、後から来た1人に話しかけることはできなかったかもしれない。
そのうち女の子達の控えめな、今日お昼一緒に食べても良い?の会話があちこちから聞こえてきた。そんなのを鼻で笑って横目で見ていた私は、そこで完全に出遅れた。見下して鼻で笑っているくせに、どこか少しだけ羨ましい、でもこんな風に猫をかぶった態度で始まって本当に仲良くなれるわけがないのにと斜に構えていた。何もしないで友達ができるわけないのにね。
中学では、決められた環境で過ごさなければならないクラスというものを憎んでいたのに、今度は自由すぎる環境が憎かった。
そのうち高校の友達を経由して、1人仲良くなった。けれど休日によく会うわけでもなく、膨大な時間を持て余している大学生にとって、それは日常のほんの一部に過ぎなかった。もちろん当時はその子が心の支えになっていたので感謝している。
それでも、中学では毎日部活に打ち込み、大学入学前の1年間は毎日寝る時間も削って受験勉強に打ち込み、さらにはそれに心を昂らせて、しっかり生きてる!1秒も無駄にしてない!毎日やることがあって幸せ!と、忙しさを楽しんですらいた私にとって、時間があるのに何もしない状況は辛かった。
今なら、せっかく時間があるなら何か好きなことをやってみればいいじゃん、って思えるけれど、当時の自分に好きなことなんて思いつかなかった。
さらによくなかったのが、当時の私にとって世界がそこの1つだけだったこと。
中学では、部活とアイドルオタク。高校では、日常の学校生活も楽しくて、予備校でも友達ができたし受験勉強も楽しかった。でも、大学進学後にサークルや部活に入らなかった私は、他に所属する世界がなくなってしまったのだ。
アルバイトは始めたけれど、楽しい!というわけでもなければ、休みの日に毎回入れるわけでもなく、それなら他にも始めれば良かったのだが、それも今だから言えること。当時の私にとって、新しい何かを始めることも大きなストレスになっていた。自己否定が始まっていたから。どうせうまくいくわけないって全てに対して思ってしまっていたし。
そしてそのうち、休みの日は家に引きこもり、あー社会と関わってないなー、非生産的な人間だなー、何してるんだろ、何で生きてるんだろ、なんて一日中ぐるぐるぐるぐる考えていた。
そのうち人とうまく話せなくなってきて、話題も出せなくなって、汗も止まらないし、困った私は普段仲の良い友達と会っている時に何を話しているのか覚えておこうと思い立った。
けれど友達と会った時。そこには、それを覚えておこうその為に聞いておこうと考える自分がいたせいで、話す自分がいなくなっていた。そうやって仲の良い友達とも上手く話せなくなった。日々、良いことはもちろん嫌なことさえも何も起きないから、久しぶりに友達と会っても話すことがなくなっていった。
そんな中、アルバイト先の店長が新しい人に変わった。そしてこの新しい人が合わなかった。たぶんお互いにどっちが悪いというよりは、ただ合わなかっただけ。
私は元々、端的に話すことや、わかりやすく人に伝えることが苦手だったのに、そこに当時の環境も加わってますます話すことが苦手になっていた。そして自分でこういったことを自覚していたので、なるべくわかりやすく、不要なことは省いて手短に伝えたい、と思っていた。でもそう思うことで話し出す前に考える時間も長くなり、そのわりに大した成果もなかった。
だから私が新しい店長に何かを説明していても、「何言ってるか分からない(苦笑)」と話の途中で遮られることが何度かあった。
きっとこれが最後の一押しだったんだと思う。私はここで、このままだと私本当に駄目になる、離れなきゃ、と強く感じたのをはっきりと覚えている。
ここで、なんて私は駄目なんだ、と思い込まなかった自分を心から褒めてあげたい。
それでアルバイトを変えることにした。すると大当たり。新しい仕事は自分に合っていてすごく楽しかった。毎回行くのが楽しみで、働いている時も楽しくて、あと2年もないのかと思うと寂しくなるくらいだった。
この経験はとても大きな出来事だった。
私が駄目だったわけではなくて、ただただ環境が合わなかっただけだったんだな、っていうのを自分で実際に体感できたこの経験が。これは社会人になった今も支えになっている。
そこからはとても楽しかった。
新しいバイト先では、似たような人達が多かったのもあって仲良くなれた。休みの日にも遊んだり、色々なことを考えている子が多かったのでたくさん話をして自分の考えや価値観に変化が出てきたりもした。それは私の日々をとても充実したものにしてくれた。
他にも友達に誘ってもらったボランティアに行ってみて、相手から話しかけてくれるわけではない状況に置かれた私は、自分から人に話しかけにいくことも少しだけできるようになった。所属した委員会でも後輩に積極的に話しかけられるようになって、色々と提案して行動も起こせた。
きっかけは何であれ、とにかくほんの少し動いてみることで、自分の周りの世界の見え方が変わることに気づけた。その前の2年間が嘘のように人生が楽しくなった。
2年間、外と関わることが少なかった私は、自分の内面と向き合うことが多かった。自分のことが嫌いな時期に自分を見つめる行為は辛かった。
でもその中で、中学3年の1年間あんなに辛かった記憶はあるのに、何が辛かったかと聞かれると説明できないことに気がついていた私は、また人生がうまくいくようになったら、きっとこうやって荒んでいる人の気持ちがわからなくなるんだろう、自分が思っていたことさえも忘れるんだろう、とわかっていたので、その時に感じていたこと考えていたことを、メールの下書きや、携帯のメモや、ノートの日記に残していた。
そして見事にその通りになり、楽しくなった途端に、辛かった時の気持ちが想像できなくなっていった。同じ1人の自分が考えていたことなのに。でも当時の自分が残していたことを読めば、理解はできる。よくわかる。
そして、それが最近役に立ったのだ。
辛かった日々から抜け出せた私の経験は、6年後の現在で苦しんでいる友達をほんの少しだけ救った。
友達から話を聞いて、あの時の自分と似ているなーと感じたので、当時の自分が残していたものを引っ張り出してきて伝えた。
当時の私は欲張りなことに、辛いという気持ちに対する理解や共感だけではなくてそこから抜け出す方法も教えて欲しかった。
たぶんどうにか教えてくれていた人もいたのだと思う。失礼なことに、響いていなかっただけかもしれない。ただただ当時の私が、「こんなに人生楽しそうな人達がこっちの気持ちなんてわかるはずない」と最初に決めつけて、響くはずのない状況を作り出していただけかもしれない。
でも、たとえ聞く側が心を開いて聞いてくれたとしても、話す側がいくら相手に寄り添って考えてくれたとしても、想像だけではどうしても補えないこともあるのかもしれないなと思った。
今回私は、実際に苦しんでいた過去があったから、友達に響いたのかもしれない。私が過去のことを忘れ、想像して何かを話してもやっぱり響かなかったかもしれない。所詮自分が絶対に安全な場所にいることをわかっていて、そこから偉そうに口出しをしているにすぎなかったかもしれない。
だから、私はあの2年間を経験して、良かったんだ。
過去に苦しんだ経験が現在で役に立ったことによって、あんなに自己否定ばかりで嫌いで嫌いで嫌いで仕方なかった過去の自分までも肯定できたような気がした。
現在で友達を少しだけ救ったと共に、当時の私までも救われた。
生きていくというのは本当に複雑で、色々な色で溢れていて、誰かにとっては赤なことが、他の誰かにとっては青だってこともあるかもしれない。それは人によって違うから、曖昧なことが多くて、それで良いのだと思う。当たり前なことだと思う。
でも中には、私にとってどの角度から見たって黒。黒でしかない。それはこの先変わるはずがない。と思っていたことが、ある日同じ私の中で、真っ白に変わることがあるのだ。本当に驚いた。
それからヨシタケシンスケさんの『思わず考えちゃう』の中の宝くじの話も今思い出した。
自分がすること、選ぶこと、見ること、聞くこと、自分の身に起こること、すべて「宝くじを買っている」と考えればいいのではないだろうか。何か別の、大きなものになるかもしれない。それが嫌な思いをしたことなのか、つらい経験なのかわからないけれども、宝くじのようなものだと考えれば、何かそれを抱えていることの意味が出てくる。
今やってることが、ひょっとしたら何かに化けるかもしれない、何かの役に立つかもしれない。何かと交換ができるものを自分は持っている、って思うと、得とも損とも言えないけれども、ゼロではない何かがずっと手元にあるんだよって、少し力になる。
問題は、この宝くじ、いつ当せん番号が発表されるかわかんない。だけど、ある日いきなり当せん番号が決まりましたっていう発表があって、それは何番ですってアナウンスが、ないとは言えない。当たらなかったって思っていたのが、三十年後にいきなり、当せんですって言われるのかもしれない。その宝くじに期限はないから。
他にも今私の中に既にある何かが、ある日突然違う色に変わることもまだまだあるのかもしれないなと思ったら、歳を重ねるというのは面白いなと思えてきた。
過去はやり直せないけれど、生きていればいつの日か、過去に起きたことの意味は変えられるのかもしれない。