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小鳥書房の1日インターンを経て考えたこと。


心が動くこと、が生きるに繋がる。

うまく説明できない気持ちを大切にしたい。


①応募する前のこと


現在薬局で医療事務として働いている。

5年目になった今年、今の会社を辞めることにした。

大きなきっかけがあったわけではないけれど、小さなことが積み重なって、気がついたら心が限界寸前まで来ていた。

嫌なことだけではなくて、楽しかったことやこれからの楽しみなことを考えても涙が出てきた。めったに泣くことはないので、ここ最近だけで1年分くらい泣いた気がする。

どうして皆が気にならないことが私は気になってしまうのだろう。流せないのだろう。頭が勝手に動いてしまうのだからどうしようもないことなのだけれど、そればかり考えるようになった。

そんな自分が本当に心から嫌になる時もあって、でも気がついてしまうことを気にしないって難しくて、もっと平気でいられる人だったらなあと他人が羨ましくなった。

けれどそんな日々を過ごしていくうちに、ある時、気にならない自分になれる一歩手前まで来た。

ふと気がつくと、同じような日々が繰り返される中で、それまで気になって仕方がなかったことに対して関心が向かなくなっていた。慣れてしまっていた。

それに気がついた途端とても怖くなった。望んでいたはずなのに。

あらゆることが気になってしまうというのは私の大嫌いな部分だけれど、きっと大切な個性でもあって、それが鈍くなって周りと合わせられるようになっていくというのはとても怖いことかもしれないと感じた。

もちろん自分の考え方がすべて正しいとは思っていないし、変わっていくことも大切なことだと思っている。けれど状況は何一つ変わっていないのに、初めにおかしいと感じていたはずのことが当たり前になり、それまで私にとって当たり前だったはずのことがそうではなくなるのが怖いと思った。

数は少ないかもしれないけれど存在はするであろう自分と同じような感覚の人の気持ちに気がつけなくなると思うと怖くなった。

普段は邪魔ばかりしてくる自分の客観性にこの時だけは感謝した。

そして辞めることにした。

甘いかもしれないけれど、私を守れるのは私しかいなくて、無理して頑張り続けた結果体調を崩してそれを抱えたまま生きていかなくてはならなくなったとしても、今の会社が死ぬまでの面倒を見てくれるわけではないのだ。


②知ったきっかけ


辞めることにした私は、次に何をしようかと考えた。自分の好きなことは何か考えてみた。

私は飽きっぽい。

例えばずっと都会で過ごしていたら田舎が恋しくなるし、1人でいる期間が長くなれば誰かと一緒に過ごしたくなるし、接客業を続ければ今度は1人で黙々とできる仕事がしたくなる。常にないものねだりだ。

けれど、そんな繰り返しの中で、本が好きという気持ちだけは、自分がどんな状況に置かれていても子供の頃からずっと変わらなかったと気がついた。

学校や人間関係がうまくいかない時も、人生が楽しくて仕方がない時も、なぜだか辛くて仕方がない時も、都会にいても田舎にいても、1人の時も恋人がいる時も。

人は良くも悪くも周りの環境に影響されて変わっていくけれど、どんな状況に置かれても変わらない気持ちというのはすごいことなのかもしれないと思った。

そして漠然と本に関わる仕事がしたいと思った。

しかし本に携わる仕事について何の知識もないうえに、そんな突然の思いつきについていけるほどの熱量もなく、ろくに調べようともせずに、これまでの経験を活かしつつ今よりも1人でできて間接的にでも本に関わる仕事、と考え、出版社の事務に行き着いた。

けれど、この先多くの人と一緒に働けるのだろうか、職場はどんな雰囲気だろうか、と不安になった私は、「出版社 事務」や「出版社 オフィス」や「出版社 雰囲気」など、不安を解消できるようなワードを思いつく限りインターネットで画像検索した。

そんな中、出てくる関連画像に飛び続けていたら、小鳥書房の入り口が写っている写真にたどり着いた。

編集の仕事なんて自分にできるようなことではないと思っていたので、仕事を考える際の選択肢にも入っていなかった。しかしインターンの受け入れを行っていることを知り、編集という仕事について何も知らないのに選択肢に入れない結論を出すなんてもったいないと思った。

そしてなにより、これまでにインターンとして小鳥書房を訪れた方々の感想を読んでいたら、久しぶりに心がわくわくして、私も自分自身でこの場を体感してみたい、こんなに色々な方を受け入れている落合さんという方に会ってみたい、自分がそこで何を感じるか確かめてみたい、とすぐに応募していた。

私は新しい環境や初対面の人とお話しすることが驚くほど苦手で、大体前日の夜はなかなか寝られないし、緊張してお腹が痛くなってご飯も食べられなくなるような人間だけれど、そんなことは頭から抜け落ちていた。

③当日のこと


インターン当日の朝。

私はやはりいつものように緊張でお腹が痛かった。もはや応募したことを後悔し始めていた。けれどもう応募もしてしまったし、準備もしてくださっているだろうし、お金も払っているしと、予定より2本遅れたが電車に乗って向かった。

谷保駅で降り、歩いて向かうとすぐに着いてしまった。

まだ開店前だったお店の近くをうろうろしながら、具合が悪いことにして帰ってしまおうかとまで思った。

そんな調子で少し待っていると、小柄な女性がやってきた。今回1日インターンを受け入れてくださった小鳥書房店主の落合加依子さんだ。

緊張しながら挨拶し、お店の中に入れてもらった。

すごく素敵な落ち着く空間だった。私はマスクをしたまま深呼吸をした。

いくつか言葉を交わし、私が谷保に来るのが初めてだとわかると、近所を一緒に散歩しようと提案してくださった。

小さな町だけれど、とても開かれているように感じた。

そして私は今も暮らす自分の生まれ育った場所のことをあまり知らないことに気がついた。帰ったらカメラを持って散歩してみよう。

お店に戻って色々なお話をしていくうちに、自分が、初対面の相手向けのつくられた自分や、こう思われているだろうなと感じ取ったイメージに寄せた自分ではなく、好きな人達と話している時に近い自分に変わっていっていることを実感した。

それは自分の好きな自分だ。

本当は、編集の仕事を教えてもらうことでも、今後の仕事について考えるきっかけにするためでもなく、心の中でぐちゃぐちゃになっている今の自分の気持ちを誰かに聞いてほしかったのかもしれない。

きっとそれを感じ取ったかよさん(落合さん。かよさんで良いと言ってくださった)は、ひたすら私の話を聞いてくれた。

途中から、いつもいらっしゃっているという間瀬さんも加わり3人でたくさんお話しした。

色々なお話を聞いて、自分も話して、聞いて話して聞いて話して、、と頭と心がフル回転し続けたのは久しぶりの感覚だった。

違う考え方を否定せずに受け取り合うのは、とても心地の良い時間だった。

人の話を聞きながら、そうそう!わかるわかる!と思ったり、なるほどそういう考えもあるのか!と発見があったり、あっこれ私も前に考えたことのある話だ!と既に自分の中にあったものが思わぬタイミングでまた表に出てきたり、自分で話しながらもその途中で自分の中に新しい考えがじわじわと生まれていっているのを感じたり。

そうやって感情が忙しなく動きながらお話しする時間は、自分が誰であるとか、相手が誰であるとか、今置かれている状況とか、コンプレックスとか、抱えている小さな悩みとか、そういったことを全て忘れ、ただただ今目の前にいる人達と、その時その時を楽しんで、中身と中身で会話をしているような感覚で、とても刺激的な時間だった。

本当に楽しかった。

10年くらい前の日記に、「こういう時間は本当に心が楽しくて、そのことだけでいっぱいで、明日のこととか、他のことなんて何も心配いらなかった」って書いてあったのを見つけたけれど、同じような感覚だなと思った。(ちなみに日記の出来事も大したことはなくて、予備校に通い始めて仲良くなった子達とたくさん話せた日の帰り道に、自転車を漕ぎながら楽しかったなーって1人で思い返してにやにやが止まらなかった日のこと。)

そして、こういう感覚、瞬間を感じることが今を生きるってことなのかなと思った。

さらに、そう実感できた瞬間が積み重なって自分が広がったり、変わっていったり。

それを繰り返していくことが人生なんだろうな。

だから、そういう時間が長らくないと、なんで生きているんだろうって思考が湧き出てきて邪魔してくるんだろうな。

きっとそんな隙間がなければ、そんな思考が入り込む隙はないはずで。

でもそれはただ単純に忙しく時間を過ごしていれば良いということではなくて、心が充実しているかどうかということなのだと思う。


小鳥書房の中でかよさんと2人でお話ししたこと、3人でお話ししたこと、国立駅までの帰り道を歩きながら間瀬さんとお話ししたこと。

とにかくきっとすべてが、先のことが決まっていない今の私にとって必要だったことで、大きな刺激になった。

なんてことない会話も含めて全部録音しておきたいくらいだった。

悲しいことに、今意識的に思い出そうとしても全部は思い出せない。でも確かに私の中のどこかには残っているはずで、きっとこの先いつか必要になった時にふと思い出すのだろうなと思ったら、何だか心強いし、その再会が楽しみになってくる。


4年前入社したばかりの頃に、「興味を広く持って、浅くても知識をたくさん持つこと。そうすれば相談にきた患者さんに、自分で解決まではできなくても自分の知識の中から悩みに合うその道のプロを紹介することはできるから」というようなことを言われ、なるほどーと納得したようで、心のどこかで引っかかっていたことを思い出した。

確かに、自分が病院や薬局に行って、こういう症状なんだけどどうしたら良いかな、どこの病院に行ったら良いかなと聞いて、わからないですって言われたら困るし、これを買ってこうしたら良くなりますよ、ここの病院に行ったら良いですよって言ってもらえたらとても安心するし助かる。だから、私が今いる場所ではそれが正しくて、そうあるべきなのだと思う。

でも私は何かを極めることや、偏っていたとしても何かに対してオタクと言われるくらいの知識を持つこと、またそういった人がきっと好きなんだ。だから、引っかかっていたんだなと思った。

信念を持って自分の好きなことに熱を注いでいる人達はとても眩しくてかっこいい。

今後やりたいことを、楽しそうに教えてくれたかよさんは、とてもキラキラしていて素敵だった。


④時間を置いて、出てきたこと


・私には何もないことに気がついた。

先を見すぎて、その手前の段階の丁寧な部分を見落としていた。

普段から、明日死んでも後悔しないか?を基準に生きていて、それはプラスに働くこともあればマイナスに働くこともあると自覚している。

今の自分にとってはマイナスに働くことが多いのかもしれないと思った。

私は、やりたいなと思ったことがあった時に、すぐに動ける場合と納得するまで動き出せない場合がある。

その違いはなんだろうと考えた時に、やりたいと思ったことに対して動き出しの行動が直結していることはすぐに動けるのに、たどり着くまでに段階を踏んで時間をかけてやっていくものに関しては、先を考えた時にそこに至るまでに死んだら嫌だなあと思って、なかなか動き出せないことが多いのかもしれないと気がついた。

そのたどり着いた先のことしか見えていなかったのかもしれないと思った。

そこに至るまでの地道な作業の時に死んで、理想としていたところに辿り着けなかったら嫌だなあって。

だから私はいつも簡単にできてしまうものに対してしか動けないんだなって気がついた。

そんなことを繰り返していたら、いつまで経ってもずっと私は空っぽのままで、結局何も残らない。

それに、あの時のあれって当時は何の意味があるんだろうって思いながらやっていたけれど、やっぱりやっていてよかったなー意味があったなーと思わぬ形で全く関係なかった経験や出来事が繋がる瞬間がすごく好きなのに、未来でそう思える可能性すら自分で奪ってしまっている。

だから、これからは一歩先のことから全部を大切にしようと決めた。

考えすぎることはもうたぶんこの先も直らないから、せめてそうしようと決めた。

無駄なことなんてひとつもないはずだから。


・私は、他人に理由を説明できる行動しかできない。

何でそうしようと思ったの?と聞かれたとしたら、こう答えようって思いつくことしか。


インターンの日、頭で難しく考え続ける私を見かねたかよさんが、町を自由に歩いて写真を撮ってきて良いよ!とカメラを貸してくれた。

その時も何を撮るべきなのか、頭で考えていた。

とりあえずたくさん撮ってみて、そうしたらその中に見えてくることがあるはずなのに。

わかっているはずなのになあ。


この、聞かれるかもわからないのに聞かれた場合のことまで想定してしまうのは、おそらく小学生の時の、感想みたいなものを名指しで当てられる授業が原因だと思う。

私は何も感じなかった場合、その場でとっさに嘘がつけない。真面目すぎて自分が思っていないことは言えない。

だから、聞かれたことに対して何も思っていないのに、何かを答えなくてはいけないという状況が本当に苦手だった。わかりませんも言うのが難しかった。

それから常に理由を事前に準備するようになった気がする。

でも私はもうしっかり大人で、そんな状況に直面することはないのだから、そこから早く卒業しよう。


人に説明できる理由を見つけないと動き出せない自分と向き合っているうちに、説明できない心の動きに従って動くことの中に大切なものが詰まっている気がしてきた。絶対に私はすごくもったいないことをしている。

だからもし、なんで?って聞かれたとしても、何かわからないけどやりたくてとか、そう返せるようになろうと思った。

もう少し自分の心に身を委ねてみよう。


・私はこのインターンの日のような時間を過ごすことが生きていく上で絶対に必要なことなんだなって再確認したけれど、それが仕事である必要はあるのかな?とも考えてしまった。

それに、自分が良いと思ったもの感動したものを皆にも伝えたい!知ってほしい!と思うのか、それとも私の考えていること聞いて!なのかによっても変わってくるのかな。

こういった心が動く経験をして、それを身近な人達に聞いてもらえたら、私はそれで満足できてしまうのかもしれない。

こうやって、楽しかったなーってことを、聞いて欲しいなって思い浮かぶ人達がいることも、それを、聞かせて!って聞いてくれることも、本当に幸せなことだと思う。


・人は好きだし、知らない人と話して知らないことを知ることも好きだけれど、誰とでも同じように話せるわけではない。

旅先で出会った人などはたくさん話せるし自分から色々と聞けるのに、職場や、同窓会や、何かの集まりだと上手く話せない。

それがなぜだろうと考えた時に、自分の心が開いているか、と、自分の興味があることか、という点が原因だろうと感じた。

そして何より、人とのコミュニケーションはとっても自由なものであるはずなのに、「仕事」とか「話さなくてはいけない」というような括りになってしまうと途端にどうしたら良いかわからなくなって、何を聞いて何を知るべきなのか、正解を探し始めてしまう。

だから、仕事にはせずに、日常の中で「たまたま」出会ったことから得られることだけを、自分と自分の周りの人の為に拾っていくことにする。


・なぜ本が好きなのか、を考えてみた。

紙の本を手に取った時の安心感や落ち着き。

開いたら始まるこの中の世界を知る楽しみな気持ち。

本屋さんでずらーっと並んでいる本を眺めて、こんなにたくさんの世界が存在するんだとわくわくして自分が小さく感じる時。

読んだ後に自分が何を思うのか、の期待。

同じ本を読んだ人と何を感じたか話すこと。

色々あるけれど、読む前と読んだ後で自分が変わっていることを感じた時、が1番好きなんだろうな。

変わるというか、増える、広がるという感じ。

読む前の自分と、読んだ後の自分を会わせてあげる感じ。

そして、本を読むことと人と話すことから私が感じる心の動きは同じだと初めて気がついた。

これがものすごく大きな収穫だった。

それに私はその心の動きを日々の中に必要としていることもわかった。

だから、本が好き→本に関わる仕事を探そう、と思っていたけれど、「なぜ本が好きなのか」の「本が好き」の部分ではなく「なぜ」の部分が共通する仕事を探そうと思う。

毎日の中で、ほんの少しでも心が動く瞬間に出会えるような。

仕事が難しければ、仕事以外の時間でそういう経験を増やしていこう。

そしてそれを自分のものにして、自分を広げて、友達や身近な人たちに聞いてもらおう。

そしてそこで話すことでまた自分が変わっていくはずだ。そうやって繰り返して生きていきたい。


・私は、どうして今の会社を辞めることにしたのか、を誰かに聞いてもらいたいとばかり思っていたが、辞めてどうしていきたいか、今考えていることを聞いてもらいたいと思うようになった。

後ろ向きな退職から、前向きな退職にほんの少しだけ変わった気がする。

─何かをやってみると、状況は変わらなくてもそれを見る目の方が変わるかもしれない─

大好きな橋本紡さんの『流れ星が消えないうちに』に出てくる言葉だ。

辛い時、節目節目に必ず助けてくれる。

退職することと小鳥書房のインターンは直接関係していないけれど、動いてみたことで、今直面していることに対する考え方は少しだけ変わった。

心配性すぎて気が済むまで下調べをしてしまう私だったからこそ出会えた小鳥書房。何の不安もなく次の仕事を決めていたら、出会うことはなかったかもしれない。結果的に今回も本に関わる方々に救われた。

私はやっぱり本が好きで、今後どんな仕事に就いたとしても、それだけは、きっとこの先もずっと変わらないだろう。



かよさん。

1日インターンとして受け入れてくださり、編集の仕事について1から教えてくださり、本当にありがとうございました。

とても貴重な経験でした。

そしてしばらく目を背けていた嫌いな自分と向き合うきっかけになりました。

まず、心を自由にすること、考えすぎずに心に従って動いてみること、自分に素直になること、からやっていきたいと思います。

必ずまたいつか小鳥書房に伺います☺︎︎

ありがとうございました!!

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