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「コミュ力」の正体とは

「コミュニケーション能力」、略して「コミュ力」という言葉がある。

一般的には「会話を盛り上げるのが上手い」という意味で使われるだろう。

しかし、それは表面的な意味である。
私はコミュ力の正体は、「他者への想像力(思いやり)」だと思う。

「相手の意図を正しく汲み取り、その上で自分の意図を正しく伝える」ことが、コミュニケーションの最高峰であり、そのために必要なのが「他者への想像力」だ。

良い例ツイートを見つけました。

このツイートに5億回くらい頷きました。こういうことです。これは「相手の意図を正しく汲み取る」ができていないときに起こる。

もっと、例をあげよう。親が小さい子を嗜めるとき、「自分がされたらどう思う?」とよく言う。これも「想像力」ではあるが、半分正しくて、半分間違っている。

この場合、相手の立場を自分に置き換えてモノを考えているだけなのだ。極端な話、「別に私はそれをされても嫌じゃないので、他者にやってもOK」という結論になりうる。

本質は「自分が同じことをされてどう思うかは一切関係なく、相手がその立場で「嫌だ」と感じることはすべきではない」ということだ。
これが「相手の立場を、自分に置き換える」というチープな想像力から一歩進んだ、「相手の立場から、相手の思考で物事を想像する」という真の想像力だ。

つまり、「相手の立場に立った時、自分はどう感じるか」ではなく「相手の立場に立った時、相手はどう感じるか」という話である。この話で、”オマエ”は一切関係ない。他者を理解したいとき、”オマエ”を思考に介在させてはいけない。

正直、この「他者への想像力(思いやり)」は、トレーニングで、ある程度は向上させられるものの、根本的に鍛えるのは難しい気がする。
スキルというより、地頭の領域なので、できない人は本当にできないと思う。運動神経とかに近い。

そして、この能力が著しく欠けている人は、同僚としてもパートナーとしても、かなり厳しい。
「自分の都合がいいようにしか捉えない」と適切に情報処理ができないため、当然適切なアクションもできず、仕事はできるようにならない。パートナーからは「思いやりがない人」と思われる。

これも5億回くらい頷きました。
過去のパートナーに、全く同じことをした人がいて、そこから別れを意識し始めたことがありますw
まさに「思いやり」がないんですよね。こういうのは一時が万事で、「他者への想像力(思いやり)」がないと、その他の場面でも自己中ムーブをかまされます。

結論、「コミュ力」の正体は「他者への想像力(思いやり)」であり、これが”そこそこできる人”は仕事も人間関係もスムーズにいきます。これが”超できる人”は、マーケターに向いてるとも思う。(というか全職種に適正ある)

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